日本に民設民営のカジノを認めるカジノ法案が、7月20日の参院本会議で、与党、日本維新の会などの賛成多数で可決、成立した。
 採決の場で、「カジノより被災者を助けて!」という垂れ幕を掲げた自由党の山本太郎氏ら3人の議員が、懲罰委員会にかけられることになった。行動はともかく、主張は彼らのほうがずっと筋が通っていると私は思う。

 カジノ法案の最大の争点は、ギャンブル依存症をいかにして防ぐかということだった。政府は、日本人からは6000円という世界最高水準の入場料を取るから依存症は防げると主張するが、そうはならない。ギャンブルにのめり込んでしまうのは、負けを取り返そうとするからで、最初から6000円の「負け」を作ることは、むしろ依存を強化してしまうのだ。
 最も有効な依存防止策は、頭を冷やす時間を作ることだ。例えば、宝くじで破産する人がほとんどいないのは、購入から当選までの時間が長く、当選しなかったからといって、次から次へと購入するという行動ができないからだ。
 この点で、カジノ法案は「週3回、かつ28日間で10回」という回数制限を設けている。しかし、この1回のカウントは24時間であり、夕方から始めて翌日の夕方まで、足かけ2日の滞在が可能ということだ。これを週3回繰り返せるのだから、実質的には週に6日のバクチ三昧が可能になっている。
 さらに大きな問題は、法案が借金を可能にしていることだ。借金を元手にバクチを打てば、破産への道まっしぐらになる。ところが法案では、カジノに預託金を積めば、カジノから借金ができるようにしたのだ。

 問題は、まだある。カジノ自体が一体どんな種類のギャンブルをやってよいかは、5人の委員で構成される「カジノ管理委員会」が決めることになった。この委員会が認めてしまえば、どんなに射幸性の高いギャンブルも実現可能になっている。
 ここで考えておかなければならないのは、長らく庶民のギャンブルとして根付いてきたパチンコの位置づけだ。
 警察庁は、これまで数度にわたってパチンコの出玉規制を行ってきたが、今年2月からは、出玉の上限が2400個から1500個に引き下げられた。大雑把に言ってしまえば、これまでは連チャンを繰り返せば十数万円儲かっていたのが、いまは5万円程度が限度になってしまった。その結果、ギャンブルとしての魅力が、大きく下がってしまったのだ。

 政府の本当の狙いは、パチンコ離れした国民をカジノに誘い込み、身ぐるみ剥いでしまうということではないのだろうか。それは同時に、これまでパチンコ業者が持っていた利権を政府と新たに参入するカジノ業者が奪い取ることを意味している。
 カジノの収益の3割は、政府に納められることになっているから、税収確保という意味では効果はあるだろう。しかし、その政府収入は国民を丸裸にし、破滅に追い込むことによって得られる収入だ。それでも構わないと、政府は考えているのだろう。
 自分の意志でバクチを打って、それで破産するのは、あくまでも自己責任だからだ。