年齢に関係なく楽しめる段ボール相撲を考案。東日本大震災の被災地を訪問し、子どもたちを元気づけた(写真:マツダ紙工業)

事業をするには、何年後にどれだけの利益が出るか、というビジネスプランが必要です。


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いかに苦難を乗り越えて事業を進めるか、を考えなければいけません。でももう1つ大事なのは、その事業に大義名分があるかです。金儲けだけの事業は、最初はうまく行っても長続きしません。世のため、人のためという気持ちが、会社を長く存続させる支えになります。

そんな考えをもって会社経営をされている社長さんで筆者が直ぐに思い付くのが、マツダ紙工業の松田和人社長です。本社は東大阪市にあり、段ボール製造・販売をしている、従業員30名の会社です。

災害対策用段ボール製品を避難所に無償提供

自社の災害対策用段ボール製品を避難所に無償提供されるなど、長期にわたって地道な支援活動を続けています。この度の西日本豪雨でも、いち早く社長のフェイスブックで「避難所で使用可能な、簡易段ボールベッド、女性授乳室、更衣室の提供をさせて頂きます」と告知されました。中小企業なので、できることには限りがありますが、それでも被災地に寄り添って行きたい、とつづられています。

マツダ紙工業は、今年で60周年を迎えました。和人社長の父親・松田重夫氏(現会長)が、大阪市住吉区で1958年に創業。まず、梱包用の段ボールの製造・販売からスタートし、その後、化粧箱などの印刷紙器にも進出しました。今では、紙パッケージの厚物(段ボール)、薄物(紙器)の両方をトータルで扱う会社となりました。

しかし梱包用段ボールは景気に左右されやすく、不況時には需要が激減します、頼みの化粧品用パッケージも海外に拠点を移す会社が増えて、期待するほどの売り上げにはなりません。このままではいけないと6年ほど前から「経営革新」(国や都道府県が新たな取り組みを目指す中小企業を支援する政策)を申請し、新たな消費者向け商品の開発にも取り組んできました。ただ、ワインラックや照明などの新商品を作っても、販路が確保できず暗中模索の状態が続いていました。

その矢先に起きたのが、2011年3月の東日本大震災でした。松田社長は、悲惨な被災地の状態を見るにつけ、何かやらねば、という衝動に駆られました。自分は何ができるのか、と悩んだ時に浮かんだのが、1995年1月の阪神淡路大震災の時の父親の姿でした。プライバシーがない、ということから、段ボール箱300セットを間仕切りとして避難所の西宮中学校に届け、大変に喜ばれたことを思い出したのです。

そこで行政の方に、こうした間仕切りであれば寄贈したい旨申し入れました。ところが、混乱しているのか、返事がありませんでした。ちょうど被災地を視察に行っていた国会議員の友人がいたので連絡を取ると、「物質的な援助はそろってきたが、プライバシーなどの心のケアはできていない、ぜひ送ってほしい」とのことでした。

輸送を自衛隊に頼もうと行政の危機管理室に電話しましたが、被災地の県の要請がないと自衛隊は出動できない、との返事。埒(らち)が明かないので、会社の青森出身の社員にもう1人社員をつけ、自社のトラックに1200セットの間仕切り段ボールを乗せて出発させました。

松田社長自身も、その後6回ほど、福島までの片道11時間を分担して運転しました。段ボールの色も通常の茶色ではなく、被災者の気持ちが明るくなるようにと白の下地にし、そこに日の丸と「がんばろう 日本」の赤い文字を印刷。天皇、皇后両陛下の被災地慰問が報道された時、その背景にマツダ紙工業の段ボール間仕切りが写っていて、話題にもなりました。

授乳室や箪笥も

その後、母親がトイレで授乳している、という話が聞こえてきました。被災地の希望ともなる赤ちゃんなのにそれでは可愛そうだ、と思い、段ボールで授乳室を数セット作って福島や郡山に運びました。これは現地のお母さん方から、大変に喜ばれました。次は、衣類を整理して入れるものがない、という声がありました。同社としては初めての試みでしたが、今まで培ってきた加工技術を活かして作り上げ、現地に累計で1000個の段ボール箪笥(たんす)を届けました。


感謝状と会津磐梯山が描かれた間仕切り(筆者撮影)

そうこうするうち、震災の影響で関西の景気も冷え込み、マツダ紙工業も業績が10%ダウンしました。支援もままならぬ状況になってきました。社員からも、他人の支援をしている場合ではない、という意見が出ます。経営者としては悩みどころです。

その同じタイミングで、福島県南相馬市在住の73歳の方から、達筆の感謝状とともに、会津磐梯山の絵と「復興への勝利」の文字が描かれた間仕切りが返送されてきました。段ボール箱は、確かに物流には役立ちますが、最後は不要品として廃棄される運命で、仕事のやりがいとしては虚しいところがあります。

そう考えていた松田社長は、この出来事で、「われわれのやっていることが皆の役に立ち、人々の心に後々まで残るんだ」と実感したそうです。その後、社員に再度相談したところ、皆も共感して支援を続けよう、ということになりました。

段ボールによる支援がマスコミを通じて報道された効果も出てきました。報道を見たお客さんから「その箪笥を売って欲しい」という要望が出てきたのです。まったく予想もしない動きでしたが、考えてみると段ボールは、軽くて運ぶのも簡単、粗大ごみにもならない。言わば、究極のエコ製品。社員の引っ越し用として、銀行、生命保険会社などの大手からも注文が来るようになりました。

避難所生活は長期戦です。冬になって、物理的には満たされてきましたが、心が満たされていないという声が上がってきました。そこで、年齢に関係なく楽しめる段ボール相撲を考案しました。幼稚園にも寄贈し、会社全員で現地を体験しようとその幼稚園を訪問。行司役もやったりして、園児たちとおおいに盛り上がりました。1回行くと70万円ほどかかりますが、すべて会社の持ち出し。ただ、周りの友人やロータリー仲間も支援してくれたお蔭で、ボランティア活動を続けられました。

こうした体験を経て、人生観、経営観も変わり、会社の社是、経営理念を新たに作ることにしました。社是は「感謝・感動・志」。経営理念の冒頭は「生かされている事に感謝し、物づくりを通じて地域社会に貢献する」としました。支援される側が感謝するだけでなく、支援する側も感動するんだ、という思いがそこに込められています。

「世のため人のためにやっていれば皆が助けてくれます。中小企業の経営はどうしても目先のことにとらわれますが、世の中に役立つ商品を作れば、周りが助けてくれて商品も売れ、会社も永続できる、ということに気付かされました。社員達も、人の役に立つ商品を作っていると自覚してくれて、会社としても一体感を持つことができました」(松田社長)

若いママの声を取り入れて新商品を開発

マツダ紙工業は、ほかにもさまざまな試みをしています。中でもユニークなのが、若いママさんたちで組織する「商品開発プロジェクト」です。


ママ友と松田社長(写真:マツダ紙工業)

彼女たちは、社会と繋がりたいという気持ちが強く、またファッションにも敏感です。同じ思いのママたちが、大阪で大小100近くのサークルを作っていますが、各グループに声をかけて、段ボールに関心ある人たちを集めました。

日当、交通費を出して、いろいろ意見を出してもらっています。被災地に寄贈した机と椅子にも、彼女たちから意見が出ました。手を切らないように、そして可愛くということで、折り返しを入れて仕上げたら、主婦層にも好評でした(幼児用6700円、小学生用9000円 税別)。

箪笥(たんす)も、幼児が着物の片付けに使えるよう、動物のイラストシールを付けた「お片付けチェスト」に変身させました。ウサギが靴下を持っていたら、その引き出しに自分の靴下を入れ、自然と片付けをする習慣が身に付くという仕組みです(3段仕様6450円、5段仕様8560円 税別)。

また、幼児用補助便座を置けるボックスを作れないか、という意見もあり、トイレ収納用品「スッキリ・トイ・トレ収納」も開発しました。この製品は、小物置きやトイレットペーパー入れとしても使え、また意外なことに、マンガ本が大量収納できる、ということで若者の間でも評判を呼びました(3100円 税別)。


松田社長と女性更衣室・授乳室(筆者撮影)

最近では、東日本大震災を機に開発した「女性更衣室・授乳室」を、全国の行政組織に備えてもらおうと活動しています(実勢価格10000円程度)。折り畳めばわずかのスペースに収納できるので、すでに八尾市とも防災協定を結び、入札で3つの自治体の採用も決まっています。

また、避難所の床で就寝すると大量のホコリ、雑菌を吸い込む問題があります。その対応として、コンパクト設計で備蓄も可能な強化段ボール製簡易ベッドを開発しました(実勢価格7500円程度)。今も避難所からの注文が多い商品です。

4年ほど前になりますが、NHK「新・ルソンの壺」(2014年3月9日放送)で紹介してもらった反響も大きかったと言います。この番組は世界にも配信されており、台湾の会社から引き合いが来たり、ニューヨークからメールが入ってニューヨークで行う展示会にぜひ出展すべきだ、とのお誘いも受けたそうです。

「継続は力」と信じる

松田社長は今も東北の支援を続けていますが、やはり「継続は力」だと感じているそうです。

2014年2月には経済産業省の「がんばる中小企業300社」に選ばれました。選定理由には「被災者への支援がきっかけとなった紙加工を活用し、提案力のあるものづくりにこだわって地域の活性化に貢献」とあります。

また、日本政策金融公庫総合研究所発行の『東日本大震災と中小企業』(2014年7月31日発売)では、わずか12社掲載中の1社に選ばれました。関西以西では当社だけであり、これも今まで地道に支援活動を続けていたお蔭と感謝しています。

松田社長は子どもの頃、母親に「世のため、人のためになることをすれば、いつか報われる」と言われたそうです。その言葉の意味が今になってようやく分かる、と言います。父親の阪神大震災での支援活動に触発され、母親の言葉がその社長の背中を押しました。今会社と社長があるのは、こうした立派な両親の存在があったからこそだと感じています。

マツダ紙工業は7月上旬の西日本豪雨の被災地への支援活動にも乗り出しています。松田社長は「避難所のお年寄りに簡易段ボールベッドが届けば、昼間はそこに座ってエコノミー症候群の予防にもなる」と言います。支援は緒に付いたばかりですが、同社の温かい想いが少しでも多くの避難所に届くことを祈っています。