新幹線は子どもたちに絶大な人気を誇る。JR東海が2017年に静岡県にある浜松工場で開いたイベントも大勢の家族連れでにぎわった(撮影:尾形文繁)

「自家用車、飛行機、新幹線、バスをCO2(二酸化炭素)排出量の少ない順に並べ替えてください」「LED(発光ダイオード)照明の導入で車内の消費電力は何%減りますか」。少々とっつきにくい話題であっても、新幹線を題材にすると子供たちの目が輝く。


静岡件の浜名湖のそばを通過する東海道新幹線(写真:tuccy1968a/PIXTA)

先生は新幹線が走っている写真を見せて「この場所はどこでしょう」と子供たちに質問する。「名古屋」「横浜」と次々と声が上がる。先生が「新幹線の後ろにあるのは海ではなく湖です」とヒントを出すと、子供たちの間から「新幹線は浜名湖の近くを走るよ」「じゃあ、静岡県だ」。ちゃんと正解にたどり着いた。こういう授業なら楽しいに違いない。

論理的思考力の訓練に活用

新幹線を授業の題材として活用する試みが小学校の現場で進んでいる。授業の指導法を研究する教員団体「TOSS」が、JR東海(東海旅客鉄道)の協力を得て2015年からテキストを制作している。テキストはリニア・鉄道館のホームページから誰でもダウンロードすることができる。


授業の指導法を研究する教員団体「TOSS」が制作したテキスト(出所:JR東海が運営するリニア・鉄道館のホームページから引用)

勉強嫌いの子供たちも新幹線の話題になれば目を輝かせる。「新幹線を通じた教育に効果があることは何年も前から知られていた」と、教材の構成を担当した玉川大学教職大学院の谷和樹教授は言う。

教材開発のきっかけは、TOSSが日本経済団体連合会の関連団体、経済広報センターと連携して行っている、小中学校の環境教育に対するサポート活動だ。2014年秋のセミナーにJR東海の社員が講師として参加し、かねてのアイデアを打診したところ、協力が得られた。

団子鼻の0系の写真を筆頭に、100系、300系、700系、そしてロングノーズのN700系の写真を見せて、「新幹線の頭の形はこのように変化してきました。なぜ変化させる必要があったのか。あなたの考えを書きましょう」。これはもう小論文の授業そのもの。新幹線は論理的思考力の訓練にも使えるのだ。


東海道新幹線の車内清掃のデモンストレーション。JR東海が2017年に開いたイベントで披露された(撮影:尾形文繁)

世界が「7分間の奇跡」と称賛した新幹線の車内清掃は、ハーバード大学の教材になったことでも知られているが、小学生向け教材にも活用されている。「清掃スタッフはなぜ新幹線におじぎをしているのか」「荷物棚を鏡で見ているが、何をしているのか」。創意工夫の必要性や日本が世界に誇る「おもてなし力」を子供たちがディスカッションする授業は、マイケル・サンデル教授が教える「ハーバード白熱教室」の子供版といっても過言ではないだろう。

こうした地理や理科の授業、小論文だけではない。谷教授は、「発達障害のある子供には、さらに効果がある」と指摘する。集中できない、コミュニケーションが苦手といった特徴を持つ発達障害の子供でも、この教材を使えば授業に集中するという。

谷教授の構想は広がる。英語の授業に新幹線を活用できないか。日本の産業の強みも子供たちに伝えたい。「“新幹線教材”はさまざまな方向に発展する可能性を秘めているのです」

大学では新幹線開業効果を分析する試みが

大学でも「新幹線学」を提唱する動きがある。耳慣れない言葉だが、列車を高速走行させるといった工学的なものではなく、新幹線の開業が地域にどのような環境変化を及ぼすのかを定量的・定性的・構造的に分析するという試みだ。提唱するのは、東洋経済オンラインで「新幹線は街をどう変えるのか」を連載する櫛引素夫・青森大学教授である。


2015年に開業した北陸新幹線の車両。過疎化に悩む自治体には大都市圏と高速で結ばれる新幹線を望む声が依然強い(撮影:尾形文繁)

これまで整備新幹線の開業をめぐっては、時間短縮効果、鉄道利用者数の増加、地域間の流動量の増減、観光地への入込客の増減、これらに基づいた地域への経済波及効果などが評価の主な指標となってきた。線路などの施設を保有する国土交通省所管の鉄道建設・運輸施設整備支援機構は開業5年目に大がかりな事後評価作業を行っている。

この事後評価により、「多くの情報と示唆が得られたものの、個別の地域に及んだ利益と不利益やまちづくりの進展、地元住民のマインドなどについては、何を指標にどう評価するべきか、フォーマットが必ずしも確立されていない」と櫛引教授は話す。新幹線整備の構想を持つ地域では、自治体、経済団体、観光関係者などがそれぞれの立場からさまざまな行動や検討作業を試みているが、「人口減少の影響も織り込んだ、緻密かつ網羅的な新幹線へのアプローチは必ずしもまだ存在していない」(櫛引教授)。


新幹線がない四国では新幹線待望論が強い(図:東洋経済作成)

新幹線開業はプラスの側面ばかりではない。地元自治体による建設費の一部負担、並行在来線の経営分離による運賃値上げ、運行ダイヤ見直しなどによる利便性改悪といったマイナスの側面も少なくないことが、利害の構図を複雑にしている。「個別のテーマで検証を試みれば全体像が見えなくなり、全体像を見ようと試みれば、際限なくテーマが浮かび上がるというジレンマ」(櫛引教授)がある。

そこで、新幹線学という「くくり」を設けて、包括的・網羅的な検証や提言を行いたいというのが櫛引教授の狙いである。愛知大学三遠南信地域連携研究センターの助成事業に採択され、8月には青森市で実務者が集まる準備会合を設定しているほか、11月には函館市で公開フォーラムを開く構想もある。

経済学から地理学まで横断的な知識が必要

四国4県や大分県など新幹線を待望する地域では、新幹線の開業が地域にどれくらいの恩恵をもたらすかを検証した詳細な報告書を作成している。しかし、それぞれを報告書はあくまで地元目線で書かれたものであり、新幹線誘致で競合する地域間の比較といった第三者的な視点は物足りない。こうした報告書のベースに「新幹線学」という共通の土台があれば、報告書を作成する側も読む側も新幹線が地域にどのような影響を与えるかという理解がより容易になるはずだ。


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新幹線学に含まれる研究領域は、大きくみれば経済学、政治学、法学といった社会科学だけでなく、環境学、地理学、都市工学など多岐にわたる。ただし、現時点での「新幹線学」はあくまでも実務的な検討をイメージしている段階だ。

それでも、将来的に、「新幹線学」という授業が大学で行われるようになれば、新幹線という切り口が大学生のこうした横断的な学びへの意欲を高めるようになるかもしれない。それは大学教育だけでなく日本経済にとっても間違いなくプラスになる。