東京の中野坂上駅前にある「ベーゼンドルファー・ジャパン」ショールームの様子(写真:ヤマハ)

「世界3大ピアノ・ブランド」という言葉がある。その内訳は、スタインウェイ(アメリカ/ドイツ)、ベヒシュタイン(ドイツ)、そしてベーゼンドルファー(オーストリア)の3ブランドを指すのが一般的だ。


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そこにブリュートナー(ドイツ)を加えて「4大ピアノ・ブランド」という見方もあるようだが、これは少し無理があるように感じられる。

そもそもなにをもっての「3大ピアノ・ブランド」なのだろう。現在の販売シェアから言えば日本のヤマハやカワイが入っていてもおかしくないのだが、どうやら過去にどれだけすばらしいピアニストたちに愛された楽器であるかということが根拠となっての「3大ピアノ・ブランド」であるようだ。

リストが愛した名器の誕生

さて、ここで注目したいのがオーストリアの名器ベーゼンドルファーだ。“音楽の都ウィーン”で1828年に設立されたベーゼンドルファーは、ウィーンに集まる数多くの音楽家たちからの助言によって改良を重ね、「ウィンナートーン」と呼ばれる美しい音色を創り上げていく。その音楽家たちの筆頭に挙げられるのが、伝説のピアニストにして作曲家のフランツ・リストだった。


ベーゼンドルファーを愛したフランツ・リストの演奏風景(写真:ヤマハ)

圧倒的な超絶技巧と華麗なショーマンシップによってヨーロッパ中を席巻していたリストは、ピアノに対する要求も多く、音色のすばらしさもさることながら、リストの激しい演奏に対応できた唯一のピアノということで、ベーゼンドルファーの名声は一気に高まった。

しかし、商業ベースとは無縁の丁寧な手作業によって作られるピアノの台数は極めて少なく、創業から190年という長い歴史の中で製造された総数はわずか5万台。現在も年間250台というペースで作られているというのだから驚かされる。その結果として経営状態は悪化。2007年にヤマハの子会社となることでそのブランドを保ち、現在に至っている。

そう、つまり「世界3大ピアノ・ブランド」の1つベーゼンドルファーは、現在日本のヤマハ傘下にあるのだ。これはなにやらクルマ業界のブランド吸収合併に似ているような気がする。

たとえてみれば、「トヨタ」が英国の老舗ブランド「ジャガー」を傘下に収めたようなものだ。ピアノ・ファンの間で当時大きな話題となった“ヤマハによるベーゼンドルファー買収”から10年。この出来事は、2つのピアノ・メーカーにとってどのような結果をもたらしたのだろう。

窮地のベーゼンドルファーを買収した意味

「1980年をピークとするピアノ生産は、その後の人口減少などに伴う売り上げ減が予想される中、ヤマハでは、お客様ニーズに応える高付加価値製品を提供し、ブランド力を強化していくことで、更なる拡販を目指しておりました。そんな折に、世界最古のピアノメーカーとも言われるベーゼンドルファー買収の話が持ち上がり、彼らと一緒にやっていくことがヤマハグループとしてのプレミアム領域のピアノを広げることにつながるのではないかと考えたことがきっかけでした」


職人が加工する伝統のロゴ(写真:ヤマハ)

こう語るのは、ヤマハ楽器事業本部部長の伊藤執行役員。調査のためにウィーンのベーゼンドルファーを視察した伊藤氏が目にしたものは、客からのオーダーとは関係なく材料の購入を行い、自らの考えに基づいた生産を行っていた結果、1年以上前の作りかけのピアノがゴロゴロしている工場の状況だったという。「これはだめだ」ということで、まずは効率化を提案し、経営難に陥っていたベーゼンドルファーを回復させることに専念する。

一方ベーゼンドルファー側はヤマハ傘下に収まることをどのように考えていたのだろう。ウィーンのベーゼンドルファーに長く勤めてきた調律師の井上雅士氏はこう語る。

「ヤマハの傘下に入ることが決まった際には社内に動揺がありましたね。私のイメージの中では、日本的な大量生産を押し付けられるのではないかという危惧です。ところがそれは大きな誤解だったのです。“あなたたちの文化を守って良いピアノを作ってください”というヤマハからのメッセージは、私たちベーゼンドルファーに勤務する全員の気持ちをポジティブなものに変えてくれました。正直、ヤマハ傘下に収まるまでの4年ほどは、先行きがまったく見えず、とても不安定な状態だったのです。これでは気持ちも落ち着かず、良い音のピアノを作る環境とは程遠い環境でした。それが改善されたことはとても良かったと感じています」

なるほど、ヤマハがベーゼンドルファーの技術面に一切口を出さなかったというのはとても新鮮な驚きだ。

素人考えとしては、ヤマハの革新的な技術とベーゼンドルファーの伝統が合わさったときに生まれるすばらしいピアノに期待してしまうのだが、現実はまったくそうではなく、技術者同士の交流すらもないという。

「彼らは1828年の創業以来積み重ねてきた伝統や技術をかたくなに守り続けています。暖かな音色や弦楽器との融和性など、ヤマハのピアノとはまったく違う音楽の場で活躍できるピアノを目指しています。それが彼らの持つ価値であり、彼ら自身もそれをさらに磨いていこうと願っています。そこにヤマハの意向を入れるつもりはまったくありません」

伊藤執行役員のこの言葉が心に残る。どうやら伝統を尊重するという意思こそが双方共通の考え方だったようだ。

ベーゼンドルファーの黒字化にヤマハが貢献

その結果として10年が経過した現在の状況はと言えば、ベーゼンドルファー自体の売上に特に大きな変化はないようだが、財務基盤が安定してきたことによって赤字続きの収益が大幅に改善され、現在は黒字化しているという。


ハンマーの調整をするベーゼンドルファーの職人(写真:ヤマハ)

一方のヤマハにとって、今回の買収は成功だったのだろうか?

「1980年のピーク時には全世界で100万台のアコースティックピアノが作られていました。それが30年あまり過ぎた現在はピーク時の半分弱に減少しています。その反面デジタルピアノの販売数が伸びていますので、合わせると全世界で年間200万台以上のピアノが生産されています。

ヤマハとしては、さまざまなニーズに即した製品を出していくことを目標に掲げていますので、結果的にはアコースティック楽器の中にベーゼンドルファーという個性的な商品を持てたことはとても有意義だと考えています。買収に要した費用以上にベーゼンドルファーから学んだことや発見できたことが、数字には現れない価値を大いにもたらしてくれたと認識しています」というのがヤマハ側の見解だ。

ベーゼンドルファーの魅力とはいったいどこにあるのだろう。何が「ベーゼンドルファー・マニア」とまで呼ばれる熱烈なファンやユーザーを生み出すのだろう。


ベーゼンドルファーの本社(写真:ヤマハ)

"ベーゼンドルファー使い"として知られるピアニストの三輪郁氏はその魅力を「オーケストラに例えるとウィーン・フィルみたいな感じですね。倍音の響きがとても良くて、弾いていると鍵盤の上から下まで同じ方向でハーモニーを作り出せるのです。弦楽器のように、弾きようによって自分の生み出す音程が聞こえてくるし、色彩感も魅力です」と表現する。

なるほどこれは、バックハウスが愛し、オスカー・ピーターソンを魅了して、キース・ジャレットの名盤「ザ・ケルン・コンサート」にも使われた名器ベーゼンドルファーに、改めて注目してみたくなるコメントだ。

ディーラー整備への期待

そのベーゼンドルファーは、現在東京の中野坂上駅前にある「ベーゼンドルファー・ジャパン」において体験可能だ。展示されている美しいピアノの中でも装飾が施されたピアノの存在感はまさに息を呑むばかり。コンサートのためのピアノというよりも、富裕層が美しい家具をチョイスするようにして購入する姿が想像できそうな楽器の数々は、まさにウィーン伝統の美術工芸品さながらだ。

この高価で美しいピアノをどこで売るのかはヤマハにとっての大きな課題に思える。今回の買収は、トヨタがジャガーを購入するようなものだと例に出してみたが、仮にそうなったとしても、トヨタのショールームでジャガーを売ることはあり得ないことだろう。それはヤマハとベーゼンドルファーの関係においても同様で、ヤマハと同列にベーゼンドルファーの価値を伝えることは難しい。

目的を持ってショールームにやってくる顧客が購入者のほとんどだというのだから、まさにその対応が求められる。そう考えると、現在唯一の「ベーゼンドルファー・ジャパン」店舗をいかに拡大していくのかが今後の鍵に思えてくる。クルマの世界がそうであるように、ディーラーの整備こそがベーゼンドルファー飛躍のための次なる1手であると考えたい。