SNSで彼氏を見つけた派遣教員の七海。幸せな結婚生活も束の間、その先には思いもかけないできごとが待ち受けていたーー。

映画『リップヴァンウィンクルの花嫁』。それは多くの岩井俊二監督ファンにとって、首を長くして待ち望んだ一本でした。

初の劇場用長編映画『Love Letter』以降、『スワロウテイル』『四月物語』『リリィ・シュシュのすべて』『花とアリス』と、一作ごとにその知名度を上げてきた岩井監督でしたが、日本で劇映画(実写)を撮るのは、『リップヴァンウィンクルの花嫁』がなんと12年ぶり。

「猫かんむり」で素顔を隠したひとりの女性。その透明感あふれる映像に投げつけられる、キツく尖った言葉。本編映像は一切見せずに中身を想像させる本作の予告編に、胸がいっぱいになった人も多かったに違いありません。

しかしなぜ12年もの長いインターバルが開いたのでしょうか? ここで思い出すのが、本作『リップヴァンウィンクルの花嫁』の公開プロモーションにおいて、監督が必ず口にしていた「3.11後の日本」。今回は、その「3.11後の日本」をキーワードに本作を読み解いてみたいと思います。

※以下、映画『リップヴァンウィンクルの花嫁』のネタバレを含みます

映画監督・岩井俊二、その長い不在と帰還

「岩井美学」とまで称される独自の【画】と【音】に心を奪われ、ついつい忘れてしまいがちになりますが、問題作『リリィ・シュシュのすべて』を例に挙げるまでもなく、岩井俊二監督は社会をざわつかせる映画をこれまで数多く撮ってきました。

『PiCNiC』しかり、『スワロウテイル』しかり。それらの映画では、私たちが普段目にすることの少ない人々の“生きる”姿がスクリーンに映し出されていました。

ところがゼロ年代後半、日本をある<魔物>が襲います。「みんな考えが同じ」を前提に場の空気を読み、多様性を否定する同調社会。そう「KY」です。本作公開時、あるラジオ番組にゲスト出演した岩井監督は、この「KY」と自らの映画製作の関係についてこう語っています。

「もやがかかって作れなかった」「ぶつけどころがなかった」――。

この言葉には納得です。もし、周りのだれもが同じ考えを持つ人ばかりだとしたら、わざわざそれを映画館で観る必要もないでしょう。

かくして、しばらくは活動の場を海外に移した岩井監督でしたが、3.11という未曾有の危機に、「傷を負ったこの日本を見つめ直そう」と母国でメガホンを取ることを決意。そうして生まれたのが、この『リップヴァンウィンクルの花嫁』でした。

西洋版「浦島太郎」リップ・ヴァン・ウィンクル

ところでそもそも「リップヴァンウィンクル」とは何なのでしょうか?

これはアメリカの作家ワシントン・アーヴィングによる短編小説「リップ・ヴァン・ウィンクル」に出てくる主人公の名前です。

愛犬と猟に出た木こりリップ・ヴァン・ウィンクル。山の中で出会った不思議な男たちと酒盛りをした彼は、酔っぱらってぐっすり寝込んでしまいます。ところが目覚めると周りはみんな年を取っていて……。(小説「リップ・ヴァン・ウィンクル」より引用)

そう、このお話はいわば西洋版「浦島太郎」。映画『リップヴァンウィンクルの花嫁』が公開された当時、この物語に出てくる「酒」をキーワードに、本作を解説する批評が数多く見受けられました。

その解説とは、主人公・七海(黒木華)がお酒を口にするたびに、彼女の世界が少しずつ変わっていくというものです。

これについて岩井俊二監督は、2016年の東京国際映画祭の舞台挨拶で「気づいたらそうなっていた」と不思議な偶然であったことを強調。タイトルの由来は監督の散歩コースにあった洋服店の名前であり、原作を意識してはいなかったとも話しています。

事実、細かく映画を追ってみると「酒」は必ずしも「変化の起点」とはなっていません。もしその起点を他に求めるとしたら、むしろ七海の「目覚め」にこそあるのではないでしょうか。

生まれ変わりの儀式「目覚め」

この「目覚め」を軸に見てみると、本作『リップヴァンウィンクルの花嫁』は大きく次の4つの章に分けることができることに気づきます。

■第一章:七海(クラムボン)の結婚[新居/夫とのふたり暮らし]

――目覚め――

■第二章:アルバイト[ホテル/ひとり暮らし]

――目覚め――

■第三章:リップヴァンウィンクルの花嫁[洋館/真白とのふたり暮らし]

――目覚め――

■第四章:新たな旅立ち[アパート/ひとり暮らし]

七海は、ひとり暮らしとふたり暮らしを行ったり来たり。住まいを転々とします。

そして各章の起点となるのがいずれも七海の「目覚め」。目覚めにより物語は大きく動き、次のステージへと向かいます。

第一章において七海はSNSで知り合った男性・鉄也(地曵豪)と結婚。しかし、思いもしなかった「罠」にはまり、ドン底へと突き落とされてしまいます。まだ酔いも冷めやらぬまま、夫の実家を放り出された七海。その裏では次の「罠」が仕掛けられていて……。

この一連にこそ、岩井監督が語った「3.11後の日本」があるのではないでしょうか。言うなれば、いつまでも続くかに見えた平穏な日々が突然崩れ、いままで非日常であったものが一瞬にして新しい日常となってしまう現代社会の危うさ。

さらに本作が、これまで作られた「崩れゆく日常」を描いた映画と異なるのは、そこから七海がV字回復することです。たとえどんな世界に導かれようと、そこにも暮らしはある。そして彼女は新たな「目覚め」とともに生まれ変わり、そこで生きていく。

そして、真白(Cocco)はその最後の夜に七海に聞きます、「死んでくれる?」。「……はい」と答える七海。しかし……。

果たしてそこは「虚構」の世界なのか?

この第四章の真白と暮らす白い館のシーンを、「虚構の世界」と読み解くレビューもよく見かけますが、必ずしもそうとは限らないでしょう。

ここが虚構の世界であるならば、それは「3.11」というきわめて重たい現実をモチーフとした岩井監督の意図からは遠ざかってしまうからです。

東京国際映画祭の舞台挨拶で岩井監督は、『リップヴァンウィンクルの花嫁』を寺山修司原作・監督・脚本の『書を捨てよ町に出よう』になぞらえています。

『田園に死す』でも『草迷宮』でも『さらば箱舟』でもなく、なぜ『書を捨てよ町に出よう』なのか。その意味するところは「現代日本東京の最前線」。

つまり、映画(虚構)でありながらも、あくまで「現実(リアル)」でなくてはならないということ。

その強い思いは、岩井監督が日本での劇映画への本格復帰に先立ち、ドキュメンタリー『friends after 3.11 劇場版』、さらには日本放送協会の東日本大震災復興プロジェクトチャリティーソング「花は咲く」の作詞を手掛けたことでもうかがい知れます。

3.11以後の「いま」を生きる道しるべとして

3.11 東日本大震災は映画界にもさまざまな影響を及ぼしました。

津波の表現があまりにもリアルすぎるという理由から、ジブリ映画『崖の上のポニョ』のテレビ放映は1年半自粛。また中国映画『唐山大地震』に至っては、4年後の2015年まで公開が延期されました。

製作サイドの戸惑いも大きく、園子温監督『ヒミズ』『希望の国』などいくつかの例外を除いて、震災や原発事故を題材として取り上げた作品は、当初多くは見受けられませんでした。

君塚良一監督の『遺体 明日への十日間』がそうであるように、監督が真摯であろうとすればするほど映画はヘビーに、また観る側にもタフネスが要求される。クリエイターたちが二の足を踏んだのもやむを得ないでしょう。

そんな中、3.11に新たな角度から切り込んでいったのが岩井俊二監督であり、『リップヴァンウィンクルの花嫁』でした。

あの日を境に日本はどう変わったのか、いや本当に変わったのだろうか。もしかすると、その<危機>はもとより私たちのすぐそばにあり、ただ気づかないでいたにすぎないのではないか?

『リップヴァンウィンクの花嫁』はそんなことを意識させる【気づき】の映画。何かに躓いたり、身動きが取れなくなったときの道しるべとして、心の中のライブラリーにそっと大切にしまっておきたい作品です。

【参考資料】東京国際映画祭 Tokyo International Film Festival、岩井俊二監督 『リップヴァンウィンクルの花嫁』 の謎に応える“A Bride for Rip Van Winkle” Q&A

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