日本ハム・上沢直之【写真:荒川祐史】

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ターニングポイントの2018年、背番号15への熱い思いも…

 故障を乗り越え輝きを放ち続ける24歳の長身右腕にとって、2018年がまさにターニングポイントとなっている。日本ハムの上沢直之投手が開幕から快投を続け、チームの新たなエースへと名乗りを上げようとしている。自身初となる球宴出場を果たした若武者は「今のところすごくいい形で投げられているので、調子を崩さずにやっていきたいです」と気を緩めることなく、今後の登板をしっかりと見据えている。

 専大松戸高校から2011年のドラフト6位で日本ハムに入団した上沢は、プロ入り3年目の2014年に先発陣の一角に加わると、23試合で8勝8敗、防御率3.19とブレーク。ポストシーズンでも先発登板の機会を得るなど大きな飛躍の一年を過ごした。

 20歳の若さで結果を残したことで今後に向けても大きな期待が寄せられたが、ここから上沢を待っていたのは2年以上に及ぶ苦難の道のりだった。翌2015年は13試合で5勝6敗、防御率4.18と成績を落としてしまい、続く2016年は故障の影響でシーズンを棒に振ることに。劇的な逆転優勝を飾ったチームに全く貢献することができずに1年が終わってしまった。

 復活を期して臨んだ2017年、故障が癒えた上沢は徐々に本来のピッチングを蘇らせていく。チームの不振もあって15試合の登板で4勝9敗と負け越したものの、防御率は3.44と上々の数字を残した。この投球内容を球団側も高く評価していたようで、ルイス・メンドーサ投手の退団を受けて空き番号となっていた背番号「15」を受け継ぐことになった。

5月23日の段階では防御率1.18、序盤戦はまさに支配的な投球

 ファイターズの背番号「15」といえば、1982年に20勝を挙げて最多勝、最高勝率、ベストナインを受賞した工藤幹夫氏や、先発と抑えの双方で活躍して1991年の最優秀救援にも輝いた武田一浩氏が背負った番号でもある。さらには2004年に最優秀救援を受賞した横山道哉氏、2010年に10勝を挙げて新人王となった榊原諒氏もこの番号をつけており、先述のメンドーサも含めて成功者の多い番号となっている。

 当時、「背番号が変わって来季にかける思いもありますし、自分の中で良いきっかけになると思います」と背番号が軽くなった喜びを語った上沢投手は、「大好きなメンドーサの後に15番をつけられることもうれしいです」とも言及。自身が1軍にデビューした2014年に共にローテーションを支えた、背番号15の前任者に対する思いも語っていた。

 シーズン前に大谷翔平投手、クリス・マーティン投手、増井浩俊投手といった投手陣の核となっていた選手たちがチームを離れたこともあり、今季の日本ハムは開幕前には決して前評判が高いとはいえない存在だった。そんな中で上沢は開幕ローテーション入りを果たすと、周囲の期待をさらに上回る圧巻のピッチングを見せていく。

 5月23日の段階では防御率1.18という数字を記録するなど、序盤戦の投球はまさに支配的だった。その後はやや数字を落としたものの、6月26日の福岡ソフトバンク戦では完封を記録するなど、7回以上を投げて自責点が0の試合は14試合で実に6度。この数字からも、ハイレベルな投球をコンスタントに披露していることがうかがえるだろう。

 優勝争いを続けるチームを牽引し、大谷に代わる新たなエースとしての期待も高まりつつあり、高卒の長身右腕という点でも、ダルビッシュ有投手や大谷といった日本ハムの歴代のエースたちと重なる部分もある。実際に「松戸のダルビッシュ」の異名を取った時期もあったという上沢がエースの系譜を継ぐ存在となれるかどうかは、今後の投球にかかってくるだろう。

 故障を乗り越えて一段上のステージへと進みつつある若き右腕は、「松戸のダルビッシュ」から「ダルビッシュの後継者」となれるか。まだ24歳。大きな伸びしろを秘めた背番号「15」が、ファイターズが誇る新たなスターへと成長していく可能性は大いにあるはずだ。(「パ・リーグ インサイト」望月遼太)

(記事提供:パ・リーグ インサイト)