ホテルやデパートのようなサービスを、いついかなるときも求めることが正しいことなのだろうか?(写真:ByeByeTokyo/iStock)

現代の日本人は人付き合いに疲れ果てているのだろうか。世界では今、「孤独」が健康に甚大なる悪影響を与えるとして取りざたされ、「現代の伝染病」として大問題になっている。

筆者は『世界一孤独な日本のオジサン』でその脅威に警鐘を鳴らしたが、世界一孤独な国民なのにもかかわらず、問題視する日本人はまだそれほど多くはない。このコラムの過去の記事へのコメントでも「孤独の何が悪い」「孤独上等」「放っておいてくれ」という意見が目立った。日頃の人間関係に辟易しているのか、「一人になりたい」という声も聞こえてくる。


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「孤独」と「一人」はまったくの別物だ。独立した自己を確立し、一人の時間を持つことはもちろん重要だが、社会から隔絶される「孤独」は礼賛されるべきものではないだろう。

しかし、「孤独」がなぜか、同調圧力に屈することの反義語のようにとらえられ、希求される現状を見ると、日本人はよほど、人間関係に疲れているのか、と感じずにはいられない。

世界の職場のストレス要因となっている「感情労働」

過度な気遣い、忖度、パワハラ、上意下達……。確かに、日本の職場の煩わしい人間関係に長時間もまれ続ければ、疲弊することは間違いないし、過密な通勤・通学電車の人いきれにうんざりして、一人になって、「人間関係デトックス」をしたくなる気持ちもよくわかる。さらに、最近の日本、そして世界の職場のストレス要因として、最近、注目される言葉に「感情労働」というものがある。

「感情労働」とは、たとえば、笑いたくないのに、笑顔を見せなければならない、など、自分が本来抱く感情とは別の感情を表出させなければならない労働を意味する。「感情労働」に従事する職種としては、客室乗務員やホテルの従業員などのサービス業が典型だが、いわゆる「おもてなし業」以外でも、看護師、介護士、コールセンターのオペレーター、苦情処理係、銀行員、医師など、どんどんとその職種は広がっている。

感情労働に従事する人は、客のどんな非常識なクレームや嫌がらせに対しても、自分の感情を押し殺し、礼儀正しく振る舞うことが要求される。こうした感情の抑圧や忍耐が知らず知らずのうちに、ストレスの原因となっていることがあるということだ。

こうしたリスクにさらされる人は、産業構造の変化とともに激増している。というのも、農業や製造業といった高度な対人関係をそこまで求められない雇用が激減し、代わって、サービス業の雇用が増えているからだ。

1950年には農業・林業・水産業等の第一次産業と、鉱工業・製造業・建設業等の第二次産業の従事者が合わせて約7割を占めていたが、2012年には、金融・情報通信、卸売り、小売りなどの第三次産業従事者が約7割に上っている。

総サービス産業化が進む中、昨今はソーシャルメディアなどで、客がサービスへの不満をネットで告発するなどといったことも容易になっていることもあり、クレームやトラブルを恐れる企業側が、客への接遇を強化している背景もある。

銀行に行っても、やたら丁寧に頭を下げられたり、カウンターの中にいる行員たちが一斉に、「ありがとうございました」などと声をそろえる姿に、海外のそっけないサービスに慣れている筆者は「そこまでしてくれなくてもいいのに」と恐縮してしまう。病院に行けば、わがままな患者の不平不満を上手に受け止め、献身的に尽くす看護師さんたちの姿には本当に頭が下がる。

最近は、医師などにも、感じよく、患者とコミュニケーションをするようにとマニュアルを作成する病院などもある。もちろん、不愛想で説明が堅苦しい医師が多いのも事実だが、過酷な勤務の医療スタッフに、てきぱきと実務をこなす力以外に、接客業並みの「おもてなし」を要求するのは荷が重すぎるのではないかと感じなくもない。

クレーマー化する一部の客

一方で最近、一部の客が、必要以上のレベルのサービスを求めてクレーマー化し、サービス提供者に対し、「隷属的」「主従的」な関係性を押し付けているのは事実だ。最近、そうした現場で、疲弊する人が増えているのが、バス業界だ。

今年6月、千葉のバス運転手が、「客に暴言を吐いた」として処分される事案があった。バスのドアを閉め、出発しようとした際に、ドアをたたき、乗せるように要求した客を乗せたところ、客が「なんでドアを閉めたんだ」と詰め寄り、それに激高した運転手が「この野郎」「お前なんか降りろ」と吐き捨てた、という。

運転手はバスが遅れていたため、乗ろうとした客にマイクで「後続のバスに乗ってください」と説明し、ドアを閉めたということだった。もちろん、暴言はあってはならないが、ネット上では、そうした状況に置かれた運転手に対して、同情の声も集まった。

また、今年5月には、京都の運転手が客に対し、「何してるねん、後ろ下がれ」「あほか、気色悪い」と暴言を吐いたといった報道もあった。こちらも言語道断の行動ではあるが、最近の京都のバスの、立錐の余地もない異様な混みようを頭に浮かべると、運転手のイライラした心情が少しだけ理解できたりもする。

安全運転というミッションに加え、言葉のわからぬ外国人観光客の対応と、道路の渋滞、あふれかえる社内の乗客の安全の確保などなど、あの空間をさばかなければならない運転手に課せられる負荷は小さくないだろう。

全国のバス事業者の組織である日本バス協会の関係者は「バスの運転手に対して、客が要求するものが高くなっているのは事実。ホテルやデパートのようなサービスを求めてきているところがあり、バス事業者への不満や苦情は肌感覚としても増えている」と話す。

本来は安全に客を目的地まで運ぶことが運転手の主業務であるわけだが、「愛想が悪い」「説明が悪い」「失礼だ」などといった苦情が寄せられる。そして、多くの場合、バス会社は運転手に責任を負わせることで、解決を図ろうとする。

企業は「スマイルゼロ円」を強制できるのか

こうしたバス運転手の精神的なストレスは少なくない。アメリカのバス運転手78人を対象に行った調査によると、愛想笑いを自らの意思に反して行った運転手は不眠症や、抑うつ的な症状や家族との諍いなどが増えたという結果だった。アメリカ・ペンシルバニア州立大学の心理学者アリシア・グランデー氏は、「本来の感情を長時間にわたって抑える『感情労働』の強制は労働者の精神や肉体に甚大な悪影響を及ぼす。企業はそうした人々をもっとサポートをすべきであり、『感情労働』そのものが不当で、禁止されるべきもの」と結論づけている。企業が「スマイルゼロ円」などとうたい、従業員に笑顔を強制すること自体、筋違いだという主張だ。

そもそも、ホテルやデパートなど接遇を本業とする職種であれば、「おもてなしに喜びを感じる人が多く、客の不満や苦情に対しても、対処の仕方をある程度は心得ている」(ホテル関係者)のだろうが、そもそも、接客という意識が薄い「運転手」が「お客様は神様」的なマルチタスクのサービスを求められるのはハードルが高すぎるところもある気がする。

国交省の調査では、全国の事業者の97%が運転手の不足に悩まされているが、「トラックと違い、お客様を対象にしているので、その扱いに苦労している乗務員が少なからずいる。それに合わなければバス乗務員に向いていないと判断し、離職につながっている」現状がある。そもそも運転が好きだ、自信があるというだけでは、通用しないわけで、人手不足はますます、深刻化していくことだろう。

AIやロボットの普及により、今後、さらに製造業などの就業人口は減り、対人関係を要求される「サービス業」の就業人口が増えていくことが予想される。対人力である「コミュ力万能信仰」がエスカレートする一方で、内向的で、そもそも、口数が多くはない、コミュニケーションは得意な方ではない、という人にとっては、窮屈な世の中になっている。

「対人力」「コミュ力」至上主義が、息苦しさを生み、その呪縛から逃れようと、現代人は「孤独」に対する憧憬を抱く、という矛盾も生まれている。コミュニケーションが苦手という人たちにとっても居心地のいい空間や職場づくりを進め、雇用のミスマッチや人手不足を解消する取り組みがあってもいいのではないだろうか。