「まるで旅客機」インドネシアの新型夜行列車

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「アルゴ・ブロモ・アングレック」号のラグジュアリークラスはまるで飛行機のファーストクラスだ(筆者撮影)

約1カ月弱に及ぶイスラム教における断食月「ラマダーン」が去る6月15日に明けた。断食明け後の習慣は各国で異なるが、ここインドネシアでは断食明け後の2日間を「イドゥル・フィトリ」と呼ばれる祭日とし、人々はこれに合わせ故郷に帰省し、家族・親戚一同で断食明けを祝う。そのため、各交通機関は混雑を極めるが、その緩和のため、政府はイドゥル・フィトリ前後の約1週間を休暇取得奨励日として設定し、事実上の連休となる。俗に言うレバラン休暇である。


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そのレバラン輸送に合わせ、インドネシア鉄道(KAI)は、今年6月12日からジャカルタ―スラバヤ間を結ぶ特急列車「アルゴ・ブロモ・アングレック」号に、これまでの「エグゼクティブ」クラスよりもさらに上級の「ラグジュアリー」クラスを投入した。既存の編成に1両増結する形で、1日2往復が当面の間設定されている。


アルゴ・ブロモ・アングレック号、2両目の銀色の客車がラグジュアリークラス(筆者撮影)

さっそく、筆者も6月下旬、スラバヤ行きアルゴ・ブロモ・アングレック号のラグジュアリークラスに乗ってみた。ちなみに金曜夜発であることもあり、予約開始後、当該列車のラグジュアリーはすぐに満席となった。

乗車口は片側1カ所のみで、専属アテンダントが出迎えてくれる。車内に入ると、最大約170度までリクライニングするシートが片側9席ずつ、計18席配置されている。座席前には車内エンターテインメント用液晶画面が付く。ヘッドホンはアテンダントに依頼すると貸し出してくれる。

至れり尽くせりのサービス

列車は21時30分、定刻にジャカルタ・ガンビル駅を発車。その後すぐに、スナック菓子が配られた。夜行便であるため、弁当はないのかと思いきや、その後、インドネシアの伝統料理「ナシバカル」と、揚げ物のセットが提供された。弁当は正直時間帯的に重かったが、さらにその後、食後のジュースとデザートまで出てきて、至れり尽くせりだ。


深夜になると照明は消える(筆者撮影)

食事タイムが終わると、車内は減光。これも、今までのジャカルタの列車にはなかったサービスだ。座席に設置されている電源コンセントは複数のタイプに対応しており、せっかくなのでデジカメのバッテリーを充電し、就寝。ちなみに、携帯電話充電用にUSBプラグも2口付いており、そのうち1口はセキュリティボックスの中にあるというこだわりだ。しいて言えば、通常のエグゼクティブクラスで配られる枕もあれば、なおよかった。


(左)ラグジュアリークラスのシート(右)リクライニング時のラグジュアリークラスのシート(筆者撮影)

翌朝はスラバヤ・パサールトゥリ駅6時30分到着の30分前にアテンダントに声をかけられ起床。紅茶と、洗顔用のウェットティッシュのパックをいただく。なかなか気が利いている。


視界も良好(筆者撮影)

そういえば、昨日から何か違和感を感じていたのだが、朝になり窓のカーテンを上げるとその答えがわかった。ラグジュアリークラスの座席はリクライニング時のスペースを確保するために、航空機のファーストクラスのように斜め約30度窓側に向いている。斜めに座席が配置されているため、深々とリクライニングさせたままで、自然と流れゆく車窓風景が目に入ってくるのだ。さながら、インドネシア版「グランクラス」といったところである。

マイナスイメージからの脱却に力を入れるKAI

ジャカルタ―スラバヤ間を約9時間で結ぶこの列車だが、プロモーション期間中のラグジュアリークラスの料金は運賃も含め90万ルピア(約7000円)。それでもエグゼクティブの倍かそれ以上の料金設定であり、同区間のLCCよりも高い。

プロモーション価格が奏功したのか、レバラン連休中は全便完売という好調な出だしとなった。さすがに連休明けの平日はやや空席のある便もあったが、7月13日からは通常運賃となり、平日(月〜木)125万ルピア(約9800円)、週末(金・土・日)は135万ルピア(約11000円)という、強気とも言える価格設定となった。プロモーション期間中の乗車率や乗客の反応などを考慮した結果で、この価格でも勝負できるとの判断だろう。

インドネシアにはかつて寝台車が存在しており、その復活はかねてからうわさされていたが、今回は「座席タイプ」での復活となった。2往復中1往復は昼行便であるという事情もはらんでいるのだろうが、ノスタルジアよりも、先進さ、格好良さを求めるインドネシアらしい事象である。開放2段寝台では、今の時代はやらないのだ。

エグゼクティブの上をゆくクラスとしては、今年3月から需要が旺盛なジャカルタ―バンドン間の定期列車に増結する形で「プライオリティ」クラスが導入されている。やはり、こちらも通常エグゼクティブの約2倍の25万ルピア(約2000円)という料金設定だ。それでも、週末ともなれば入手も難しいプラチナチケットとなり、当初増結する列車は1日2往復の設定だったが、すぐに4往復に増強されている。

この車両はKAIの傘下にあるツアー会社が借り上げて運行されているが、通常の列車と同じ手順で予約ができる。今年のレバラン輸送ではジャカルタ―ジョグジャカルタ―ソロ、また、スラバヤ便への連結も実施された。「列車がこんなに快適になっているとは知らなかった」と、これまで鉄道を利用しなかった層からの評判も上々だ。このように、近年のKAIは高所得者層の取り込みに力を入れ、ジャカルタの通勤鉄道同様に、旧来の鉄道に対するマイナスイメージからの脱却に力を入れている。

レバラン期間でも安心して鉄道を利用できる

ほんの数年前まで、列車の大混雑は断食明けを象徴する風景でもあった。窓から車内に乗り込み、そして屋根にまで人がよじ登る。駅もチケットを買い求める乗客であふれる。もちろん、そのような混雑はスリなどの温床でもあった。そのため、KAIは急行列車に相当する低所得者向けのエコノミーとエグゼクティブの停車駅を分離するほどであった。そして、多数の臨時列車が走るこの期間の列車遅延は常態化しており、その遅れは数時間にも及んでいた。だが現在、そのような阿鼻叫喚の地獄絵図はもう見られない。今やレバラン期間であっても安心して鉄道を利用できる。実際、欧米系の旅行者を中心として多くの外国人観光客の姿を目にすることができる。

では、どのようにその混雑を解消したのだろうか。単なる増発だけではない。それは、イノベーションによる既得権益の打破である。まず1つ目は全列車の冷房化だ。もともと全車指定席のエグゼクティブ列車は冷房付きであったが、当時非冷房だったエコノミー列車も冷房化し、同時に種別を全車指定席のエコノミーAC列車に変更、2012年8月からたった1年で冷房化と同時に全車指定化を達成した。自由席のエコノミー列車を全廃することで、輸送力は圧倒的に下がることになるが、エコノミーACはエグゼクティブ並みに停車駅を絞り込み、主要駅以外には列車を止めない方針とした。

さらに、政府プログラムによる低所得者救済用の一部列車を除き、冷房化と合わせ運賃値上げも実施している。なおKAIの運賃は航空運賃のごとく、乗車時期、購入時期により、変動の幅を持たせている。つまり、このように物理的に利用者の絞り込みを行ったのだ。チケットを入手できない客に対しては、どうぞ他の輸送機関をご利用くださいと言わんばかりである。

2つ目は、インターネット予約サービスの導入である。これも同じく2012年8月から開始し、当初予定では1年後の駅窓口全廃を掲げていた。ただしこれは主に地方の利用者からの反発で実現しなかった。ただ、この新しい予約システムでは購入時に身分証明書情報も入力するため、改札時に顔写真入りの住民カードなどの番号(外国人はパスポートで可)と、チケットに印字されているデータを照合し、住民登録されていない者はもちろんのこと、本人との確認が取れない場合、改札を通過できなくなった。これは、車内での犯罪抑止力のほか、かつて駅周辺で横行したダフ屋対策でもあるが、無賃乗車を図る不届き者たちの駅ホームへの侵入をシャットアウトすることに成功した。

現在では改札時に読み取ったチケットのQRコードが、車掌端末に転送され、指定座席へ着席している乗客への検札の省略も実現している。この端末には身分証明書の情報も併せて転送されており、軍人による車内巡視と併せて、乗客は管理されることになる。指定以外の場所に着席した乗客には身分確認が実施され、証明できない場合、また車内を頻繁に移動しているなどの不審行動があった場合、最寄り駅で強制下車となる。

LCCに乗るような感覚で列車に乗れてしまう

これら施策の下、駅と車内の秩序は保たれることになった。当時、これらの改革は強硬的手法として批判されることも多々あったが、結果的に乗客は良好なサービスにすっかり手なづけられている。特に後者の面においては、インターネットを活用したチケット販売チャネルを広げることで、駅窓口に並ぶストレスから利用者を解放した。


チェックインカウンター(筆者撮影)

KAI公式ページのほかにも、民間の旅行予約サイトからも同様の手順でチケット購入ができ、さらにコンビニのマルチ端末や、スマートフォン向けアプリケーションからも可能である。日系コンビニエンスストアのローソンでもチケットの購入は可能だ。代金支払い後、受信メールに記載された予約番号を乗車前に駅の「チェックイン」端末に入力し、「ボーディングパス」を発券、あとは改札で身分確認を済ませれば準備完了である。

煩雑な手荷物確認などは実施していない。前述のネーミングが示すとおり、チケットの購入から、乗車まで国内線LCCに乗るような感覚で、列車に乗れてしまうわけだ。この画期的なシステムもまた、これまで列車に乗らなかった新たな客層の取り込みに成功している。


かつての駅券売窓口は「ビアードパパ」に(筆者撮影)

駅の窓口は残っているものの、今や乗客の8割以上が窓口以外でチケットを購入している。削減された駅窓口の用地は、駅ナカの店舗用地に転換されている駅も多い。たとえばジャカルタ・ガンビル駅の旧窓口は、日本でもおなじみのシュークリーム店、「ビアードパパ」になっている。

もちろんこれら施策が成功したのは、一部利用者の切り捨てを行ってもなお豊富な輸送需要があるからこそだ。走らせれば走らせるほど利用者がいるというのは、日本人からするとかなりうらやましい話である。ただ、列車の高級化という点においてはどちらも共通している。しかし、戦後の買い出し列車のごとくであったインドネシアの鉄道が、わずか数年でここまで進歩するというのは、驚くべきことだ。日本の国鉄改革を見習ったとも言われるインドネシアの鉄道改革であるが、今後はサービス面を中心として、逆にわれわれが学ぶべき事象がインドネシアから生まれてくるかもしれない。