原田隆之(筑波大教授)

 横浜市の旧大口病院(現横浜はじめ病院)で、点滴に界面活性剤を主成分とする消毒液ヂアミトールが混入され患者が死亡した事件は、2年近くが経過し、ようやく容疑者が逮捕された。逮捕された久保木愛弓(あゆみ)容疑者は、同病院の看護師だった。

 ただ、今回の事件は、当初から容疑者は病院関係者との見方が大勢を占めていた。その理由は、点滴袋が保管されていたナースステーションに容易に出入りでき、その周辺にいても怪しまれることがなく、注射器や点滴袋の扱いに慣れた人物である可能性が高いという状況があったからだ。

 さらに、被害者の1人は当初は病死と判断されていたことから、直ちに毒殺が疑われるような劇的な症状を呈することのない薬物を選び、点滴という緩慢な方法での投与を選んだという点に、医学的な専門知識がうかがわれたことも挙げられる。

 そもそも、命を預ける病院で、医療関係者によるこのような事件が起きてしまったこと、そして事件が想像もつかないほど大規模なものである可能性があることに、慄然とせざるを得ない。

 医療は、医学的専門知識の上だけに成り立っているのではない。「害をなすことなかれ」という古代ギリシャの医者、ヒポクラテスの誓詞を引くまでもなく、患者と医療提供者との信頼関係の上に成り立っている。

 いくらインフォームドコンセント(患者への十分な告知と同意)を得るなどの手続きを着実に行ったとしても、ひとたび処置を任せば、患者はある意味「まな板の上の鯉」も同然である。

 では、なぜ本来患者を守り、命を救うはずの看護師がこのような凶行に出たのだろうか。旧大口病院では事件発覚前、看護師の服が切られたり、飲み物に異物が混入されたりする事件が頻発していたという。

 同一人物の仕業かどうか現時点では分からないが、同じ病院にこのようなことをする人物が同時期に複数いるとは考えにくく、一連の事件は同一犯である可能性が大きい。

 そもそも、久保木容疑者は警察の調べに対し、「勤務中に患者が亡くなると遺族に説明しなければならず、面倒だった」と動機を供述しているようだが、これが真意かどうかはまだ分からない。

送検された久保木愛弓容疑者=2018年7月、横浜市(桐原正道撮影)

 これらを踏まえれば、当初のいわば嫌がらせ的な「小さな事件」は、直接病院のスタッフに向けられており、病院内での人間関係や処遇をめぐっての恨みが動機として考えられる。

 とはいえ、これら「小さな事件」と今回の連続殺人事件との間には、とてつもなく大きなギャップがある。一つは人の命を奪ったという点、そしてもう一つはそれが容疑者の「恨み」とは直接関係ないであろう相手を狙った無差別殺人の可能性が高いという点である。

 たとえ病院や病院関係者への恨み、そして病院の評判を貶めたいという動機が出発点であっても、そこからの無差別大量殺人という帰結には飛躍がありすぎる。

 それを埋めるものとしてまず考えられるのは、やはり久保木容疑者のゆがんだ心理である。「小さな事件」を起こしても、病院側の態度に変化が見られないと思ったのか、それとも仕返しがまだ不十分だと思ったのか、いずれにしろ恨みを募らせた挙句、犯行が大きくエスカレートした可能性がある。

 だが、普通は「ここから先はやってはいけない」というブレーキが働くものだ。そのブレーキとなるものの一つ目は、想像力や共感性である。人間は、何か大きな決断をするとき、「こんなことをすれば、このような結果を招いてしまう」と想像する能力を有している。これが想像力である。そして、その決断が他人を巻き込むものであれば、相手の立場に身を置いて想像する能力も有している。さらに、その行為が重大な結果を招くことが予想されれば、不安という心のシグナルが鳴る。

 したがって、重大な結果を招くことが想像できたり、他人に苦痛を負わせるものであることが想像でき、その痛みを共有することができたりすれば、実行を思いとどまるだけの心理的な装置が備わっており、これがブレーキの役目を果たす。

 しかし、久保木容疑者はその心理的装置が壊れてしまい、ブレーキにならなかったということである。このような心理の持ち主であれば、おそらく事件について反省もできないであろう。

 もう一つ、事件の「間接性」を指摘しておきたい。直接被害者に異物を注射したり、延命装置のスイッチを切ったりすることは、おそらく久保木容疑者もできなかったのだろう。目の前の相手は、何の恨みもない患者だからである。

 しかし、前もって点滴袋に異物を混入させておくという行為は、直接自分の手を下して殺すという行為よりは、かなり間接性が増大している。このことがまたこの事件の実行を後押しした要因であろう。

 そして、三つ目の理由として考えられるのは、人命軽視という価値観である。2016年7月に起きた相模原市の障害者施設の大量殺人事件は記憶に新しいが、あの容疑者同様の弱者に対するゆがんだ考えが久保木容疑者にも共通しているように思えてならない。

 相模原事件の容疑者は、「障害者は生きていても仕方ない」というゆがんだ考えから犯行に至ったと報じられている。旧大口病院には終末期の高齢者が多く入院しており、そのような弱者の生命を軽視し、ためらいもなく標的にした背景には、相模原事件の容疑者と同様のゆがんだ考えはなかっただろうか。

 最後に病院側の問題点についても触れておきたい。本件に至るまで、先述の通りたくさんの兆候があった。そして、いくら終末期の患者が多いとはいえ、たくさんの患者が次々に不審死するという異常事態だったにもかかわらず、病院側はほとんど何の手も打っていなかった。

点滴を受けた男性入院患者2人が中毒死した旧大口病院=横浜市神奈川区

 さらに、最初の被害者が明らかになった後ですら、院長は「職員を信じている」と呑気なコメントをしていた。われわれは何か異常な事態が身の回りに起こっていても「何かの間違いだろう。大丈夫だ」と考えてしまう思考の偏りを有している。それは心理学用語で「正常性バイアス」と呼ぶ。

 この事件がかくも拡大してしまった背景には、この正常性バイアスが大きく影響している。正常性バイアスはわれわれに起こりやすい思考のエラーであるが、そうは言っても、人の命を預かる病院にあって、この危機意識の欠如には愕然とせざるを得ない。

 このように、さまざまな観点から、久保木容疑者の心理や事件の背景を探ってみたが、現時点では容疑者の供述が転々としており、あくまで推測の域を出ない部分もある。たとえば、点滴袋に毒物を注入したのではなく、点滴の管に注射器で一気に注入したとも報じられている。また、容体の悪い患者だけでなく、比較的安定した患者も標的にされたとの報道もある。まだ事件の全容解明にはほど遠い。

 とはいえ、事件の一端が少しずつ明らかになるにつれ、私は暗澹(あんたん)とした気持ちになる。旧大口病院で「老衰」「自然死」として取り扱われていた何十人もの人々の死が、実は殺人であったかもしれないのならば、これは世紀の無差別連続殺人事件である。

 だとすれば、本来なら命を救う職業であった久保木容疑者は、何を考え、どんな顔をして、何十もの点滴袋に異物を混入していったのだろうか。そして、なぜ次々と死者が出ても平気でいることができたのだろうか。彼女の中には、われわれの理解をはるかに超えた闇が広がっているのかもしれない。