上祐史裕氏

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 オウム真理教事件で表ざたになっていなかった殺人事件が、11日発売の「週刊新潮」で報じられた。6日に死刑執行された麻原彰晃元死刑囚らが、教団創設初期に女性信者を殺害し、その場に現在、オウムと決別を宣言した「ひかりの輪」の上祐史浩代表もいた。同教団は10日、本紙に上祐氏がこれまで話せなかった理由などを明かした。

「ひかりの輪」広報担当、広末晃敏氏が本紙に回答した文書によると、1991年、女性信者Yさんがスパイ行為をはたらいたとして、麻原元死刑囚が詰問。Yさんが「思い出せない」と泣くと、麻原元死刑囚は「白状しないならポアするしかない」などと告げた。中川智正元死刑囚と新実智光元死刑囚がYさんを取り押さえ、中川元死刑囚が何らかの薬物を注射。Yさんは動かなくなった。

 上祐氏が犯行を止められなかったことについては「当時、麻原を妄信していた上祐は、麻原の言動や形相によって精神的に固まるとともに、本気かと思っている間にYさんが動かなくなったために止められませんでした。Yさんが明確な反論や抵抗をせずに、麻原に帰依する姿勢を保ったことも、止める契機をつかめない理由だったかもしれない」とした。

 2010年に刑事訴訟法が改正され、殺人の時効が撤廃。1995年4月28日以後の殺人事件の時効が撤廃され、それ以前の殺人事件は時効が成立した。91年のYさんの事件は時効が成立している。上祐氏はなぜ今、認めたのか。

 文書では「上祐は2007年に麻原から離反し、アレフを脱会する前までは、麻原への信仰などのために、事件を対外的に話せませんでした。脱会前後以降については、麻原から離反したために、上祐の身に危険が及ぶのではという不安も生じており、上祐は麻原の死刑が早く執行されることを望んでいました。上祐は事件は時効だとわかっていましたが、この件を話せば、捜査が再開されて死刑執行が遅れたり、自分の離反が麻原に知られたりするのではという心配がありました」としている。