死刑が執行されたオウム真理教の麻原彰晃(本名・松本智津夫)元死刑囚=執行当時(63)=の遺体が9日午前、東京都内の葬祭場で火葬された。麻原元死刑囚が執行直前の「遺言」で指名した四女(29)が遺骨を引き取ることに決まったが、妻(59)や三女(35)らは反発している。遺族間の骨肉の争いをきっかけにオウム残党が暴発する恐れもあるとみて、公安当局は警戒を強めている。

 麻原元死刑囚と土谷正実死刑囚=同(53)=の遺体を乗せたとみられる車両は9日朝、都内の火葬場に入った。

 8日放送の日本テレビ系「真相報道バンキシャ!」によると、麻原元死刑囚は執行7分前の6日午前7時53分ごろ、東京拘置所の職員に遺体や遺品の引き受け手について聞かれ、「ちょっと待って」と言ってしばらく黙った後、「四女」と答えた。職員が四女の名前を出して確認したところ、うなずいたという。

 四女は7、8日には代理人の滝本太郎弁護士とともに東京拘置所を訪れている。麻原死刑囚の遺体と対面したほか、今後の遺体や所持品の引き取りについて協議したとみられる。滝本弁護士は夕刊フジの取材に「全てノーコメントなんで、すいません」と述べた。

 滝本弁護士のブログには四女のコメントも掲載されている。麻原元死刑囚について《一度の死刑では足りないほどの罪を重ねましたが、彼を知る人間の一人として今はその死を悼みたいと思います》とする一方、幹部6人の死刑執行については否定的な見解を示した。

 四女は1989年に静岡県富士宮市の教団施設で生まれた。2歳ごろに旧上九一色村に移り、3歳で立位礼拝(りついらいはい、立ち上がったり体を床にはわせたりする修行)を2時間こなすなど、修行三昧の日々を送ったという。

 麻原元死刑囚の逮捕後、家族は関東の教団施設などを転々としたが、四女は16歳で家出した。2007年4月にはジャーナリストの江川紹子さんが四女の未成年後見人となったが、同年9月には後見人の辞任許可申立書をさいたま家裁に提出した。江川さんは生活費や住居を提供するなどの支援を行っていたが、四女が麻原元死刑囚を「グル」と崇める気持ちや宗教的な関心が深まっていたことを辞任の理由に挙げている。

 10年には「松本聡香」(仮名)名義で『私はなぜ麻原彰晃の娘に生まれてしまったのか 地下鉄サリン事件から15年目の告白』を出版した。産経新聞の15年のインタビューでは家出した当時の心境を「父の娘であることで生きていくのがいやになった。被害者の賠償に充てられるべきお金で生活したくない」とし、麻原元死刑囚について「自己愛が強く、詐病で自分を守っているのだろう」とも話していた。昨年10月には自分の推定相続人から両親を除外するよう横浜家裁に申し立て、認められた。

 麻原元死刑囚は妻との間に2男4女をもうけたとされるが、現在は一族から決別したはずの四女を遺体の引き取り手に指名した理由については謎が残る。

 妻と次女、三女、長男、次男の5人は連名で麻原元死刑囚の遺体引き渡しの要求書を上川陽子法相に提出。要求書は、麻原元死刑囚の遺体を「祭祀(さいし)の対象となるもので、慣習上、その承継者の第一は配偶者である」とした。妻側の代理人は「(麻原元死刑囚の)精神状態からすれば、特定の人を引き取り人として指定することはあり得ない」と疑問を呈した。

 オウムの後継団体「アレフ」にも近いとされる妻は、次男と行動を共にするが、教団内で「アーチャリー」と呼ばれていた三女は次女、長男と行動を共にしている。

 三女は1995年に麻原元死刑囚が逮捕された後には教団の後継者といわれる「法皇官房」のトップとして教団宣伝のアニメやビデオ作りを担当、「正大師」の肩書をもつ最高幹部の一人だった。2015年に『止まった時計 麻原彰晃の三女・アーチャリーの手記』を出版するなどメディアへの露出も多く、今月3日にはツイッターで《オウムに悪いところはたくさんあった。私もオウムへは入らない。でも、いいところもあった》と表明している。

 麻原元死刑囚の遺骨や遺品が後継団体の正当性を示す象徴になる可能性があるとみられるなか、公安当局が懸念するような内部抗争が激化しかねないのが実態だ。