7月8日、会談するマイク・ポンペオ米国務長官と安倍首相(写真:Kazuhiro Nogi / Pool via Reuters)

7月5日、安倍晋三首相は北朝鮮による拉致被害者の曽我ひとみさんと官邸で面会し、拉致問題解決への意欲を重ねて示した。安倍首相は「私自身が金正恩朝鮮労働党委員長と向き合い、拉致問題を解決する決意だ」と述べた。

この安倍首相の金正恩委員長との直接協議の決意は、すでにドナルド・トランプ米大統領と金正恩委員長との歴史的なシンガポールでの米朝首脳会談があった6月12日の数日前、6月7日にワシントンのホワイトハウスで行われた日米首脳会談のあとの共同記者会見の場で、繰り返し表明された。

安倍首相単独リーダーシップで解決できるのか

6月7日のホワイトハウスでの日米首脳会談では、安倍首相による日本人拉致問題関係の話に、圧倒的な時間が費やされた。そのことは、トランプ大統領自身が指摘している。それ自体、トランプ大統領が集中して耳を傾けたことの証しだが、それなのに、なぜ安倍首相は単独リーダーシップで解決を目指すと、記者団に強調して見せたのか。


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そこには、布石があったと筆者は見ている。日本時間の6月5日付報道では、6月12日のシンガポール米朝首脳会談で、金正恩氏が「拉致問題は解決済み」と回答しても、それを受け入れないように、安倍首相が事前にトランプ大統領に要請する、という日本側の方針が固められたというニュースが大きく扱われたことだ。

つまり、安倍首相が、自分自身の単独リーダーシップによる拉致問題解決を明確化したのは、6月7日のホワイトハウスでの日米首脳会談の直前だったとみることができる。

一方、米国時間の6月5日付報道では、シンガポールでの米朝首脳会談がうまくいった場合、トランプ大統領が金正恩委員長をフロリダの別荘に招待して、ゴルフを一緒にする可能性があるという観測が飛び交った。

6月7日、安倍首相による訪米で行われた日米首脳会談で、安倍首相は金正恩委員長と拉致問題に関して直接会談を行うと強調したのだが、その時、米国人記者が、シンガポールでの米朝首脳会談が上首尾に終わったという条件付きで、「トランプ大統領は、次の米朝首脳会談をフロリダの別荘で行うか、ホワイトハウスで行うか」と尋ねた。

その質問に対してトランプ大統領は、「フロリダの別荘ではなく、ホワイトハウスになるだろう」と答えながら、にこやかに、念押しするような笑顔で、隣にいる安倍首相のほうに向いて、確認を取るようなジャスチャーをして見せた。それはいったい何を意味するのか。

トランプ大統領の交渉上の選択肢を狭めた

米国のテレビ界に根付いている「常識」がある。隣の人物に向かって語るときは、その人物のほうに全身を向けるというものだ。それは礼儀であり、テレビカメラの前でも守られるマナーである。トランプ大統領が、満面の笑みで、安倍首相に念押しするように、安倍首相のほうを向いたのは、「金正恩氏とゴルフに行くようなネゴシエーションの選択肢を、シンガポールの会談では採らない」という確認だったのだ、と筆者は判断している。

拉致問題に関する金正恩委員会との交渉は、安倍首相の単独リーダーシップにおいてなされるということを、安倍首相自身がホワイトハウスで明示したことによって、トランプ大統領のネゴシエーションの選択肢を狭めたことになる。逆に言えば、仮にトランプ大統領が先頭に立って交渉するのであれば、ゴルフで金正恩氏の気持ちを徹底的にほぐす、というネゴシエーション形式の選択肢があったのではないか。

ところが、安倍首相自身の単独リーダーシップで解決を目指すということで、拉致問題の解決はトランプ大統領から、全面的に安倍首相にバトンタッチされる、という論理が明示され、「米朝首脳ゴルフ外交」という選択肢は、自然消滅したことになる。

安倍首相自身の単独リーダーシップの強調は、日本向けのメッセージだけでなく、国際メッセージとなったと言える。筆者は、ホワイトハウスでの記者会見は4月のフロリダでの日米首脳会談とセットで考えると、安倍首相の6月訪米は、日本にとっても、拉致問題にとっても、不必要だったという気がしてならない。

なぜなら、拉致問題をめぐって、その主導権がトランプ大統領から安倍首相にバトンタッチされた格好になってからしばらくすると、それまで、「拉致問題は解決済み」というメッセージを完全封印していた北朝鮮側が、そのメッセージを繰り返すようになってきたからである。

トランプ大統領は、シンガポールでの米朝首脳会談で拉致問題を持ち出している。すでに4月のフロリダでの日米首脳会談で、拉致問題を取り上げると明言していたことを実行したわけだ。金正恩氏も、「拉致問題は解決済み」とは言わなかった。つまり、その「成果」を生んだのは、安倍首相ではなくトランプ大統領だったのだ。

それなのに、ホワイトハウスの記者会見での、安倍首相の単独リーダーシップ発言によって、シンガポール米朝首脳会談後、拉致問題はトランプ大統領から安倍首相にバトンタッチされ、今に至っている。今後、拉致問題がどうなるか。それは、神のみぞ知る、である。

「外交」と「ネゴシエーション」は似て非なるもの

今の段階で筆者が疑問に感じるのは、トランプ大統領と安倍首相との関係は、本当に、深く語り合えるものなのかどうかである。安倍首相は、国際ネゴシエーションの現代的な価値を、トランプ大統領ほどには、十二分に理解していないのではないか。「外交」と「ネゴシエーション」は似て非なるところがある。

そもそも米国では、「外交」は2つの主役カテゴリーに分かれる。1つは、外交大学院卒のプロフェッショナルたちであり、もう1つは、ロースクールから政府弁護士という形で、国務省に入った外交エリートたちである。後者のほうが多いといえよう。

それに対して、「ネゴシエーション」は、伝統的にロースクールの専売特許である。なぜなら、「ネゴシエーション」は「訴訟」科目の一部として、ロースクールで伝統的に教えられてきたからだ。「ネゴシエーション」は、優れて「訴訟」の一部というのが、米国の伝統なのである。

トランプ大統領自身は、不動産王として数々の訴訟とネゴシエーションの修羅場をくぐってきた。だからこそ、ウォ―ル街では、長年、トランプ大統領をネゴシエーションの天才と高く評価してきている。

そのトランプ大統領の「ネゴシエーション」力が、今後は発揮できないことになる。7月8日の安倍首相とマイク・ポンペオ国務長官との会見は、あくまでも「外交」であり、「ネゴシエーション」ではない。

さて、安倍首相の「外交」力については、本連載「4月の安倍訪米は『中止』が得策かもしれない」で引用した、田中真紀子元外相の発言が重みをもってくる。

3月中旬の日本外国特派員協会でのスピーチで、田中氏は「トランプ大統領に余計なことを述べに行くよりも、森友問題や財政問題など、やるべきことは山ほどある」と、「真紀子節」を炸裂させた。

「安倍さんがトランプ大統領に会いに行くのは、森友問題から逃げたいだけでしょ。安倍さんの政治家としての値打ちはその程度にすぎない」という、「真紀子節」の予測は、「4月訪米」を「6月訪米」に置き直すと、その正しさが恐ろしいほどに裏付けられる。

トランプ大統領の「ネゴシエーション」力については、ウォール街が高く評価する「ディールの天才」という見識、実力が、米メディアでも認められ始めており、今や、国家の至宝との評価も出てきている。それは、日本のメディアが幅広く報じてきている「ドナルドとシンゾーの友情」とは別の価値であり、トランプ大統領の「ネゴシエーション」力に対しては、友人としての安倍首相といえども、より深い尊敬と畏敬の念をもって、接するべきではないか。

安倍首相は拉致問題解決に100%正面から取り組め

7月5日、トランプ大統領はモンタナ州で、巨大な聴衆を前にして演説し、「オバマ氏は、北朝鮮と戦争に近づいていた」と明言した。北朝鮮が、オバマ前大統領を嫌っていた状況を客観的に述べたのである。

そのオバマ前大統領と安倍首相は、3月下旬に日本で会っている。拉致問題では、何もしなかっただけでなく、北朝鮮との戦争に近づいていたオバマ氏との会談は、その時点で、拉致問題解決をめぐる、トランプ大統領の対北朝鮮「ネゴシエーション」の道を限定的にせよ、混迷させたことになる。

さらに、4月中旬のフロリダ州での日米首脳会談では、「拉致問題を米朝会談で取り上げる」というトランプ大統領の言を得ながら、さらに日本のメディアを巻き込んで、その後、何度も念押しただけでなく、6月7日のホワイトハウスでの日米記者会見で、安倍首相本人による金正恩委員長との日朝首脳会談で解決する決意を、日米を含む世界のメディアに対して、強調して見せたのだ。

実は、安倍首相のメディア向け発言のさまざまな言動のリップルエフェクト(波及効果)で、トランプ大統領は、何度となく「ネゴシエーション」のパターンを調整している。その事実に安倍首相は気がついていない。

トランプ大統領の対北朝鮮「ネゴシエーション」は、米国内向けではなく、100%金正恩氏に向けられてきている。これに対して、安倍首相の「ネゴシエーション」は、北朝鮮をつねに向いているのではなく、より大きく日本社会に向けられている。つまり、安倍首相の「外交」は、必ずしも「ネゴシエーション」ではなく、「トランプ大統領の具体的な問題解決型のネゴシエーション」とは、次元を大きく異にしている。

安倍首相は、森友問題や財政問題などの国内問題を、国際問題にすり替える「外交」手法を国民に仕向けるのをやめて、多くの日本人が関心を寄せている拉致問題解決に、安倍首相が100%正面から真剣に取り組めば、日本の国内状況も対国際関係も、よりよい展望が開けてくるのではあるまいか。