カットされて販売されている「こと九条ねぎ」(筆者撮影)

筆者は年間約500人の中小企業経営者を取材していますが、その取材先は世の中の流れ、経済の動きを反映します。少し前までは人材派遣会社、その後、介護関連、障害者関連の取材が数多くありました。整骨院、アートフラワー、ネイルサロンなどの取材にもよく行きました。今は、農業関連の取材が目立ちます。それも、ずっと前から農業をやっている方ではなく、若い農業従事者です。


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大学を出て、外資系ファンド会社など農業にまったく縁のない会社に勤めていた人が、脱サラして農業に取り組んでいます。

皆さん、新しい農業に挑戦し、活き活きと仕事をされています。今や農業は旧態依然とした仕事ではなくニュービジネスとして、若者から注目されているのです。昔はやる気のある地方の若者が、立身出世を夢見て都会へ出て行きました。今は逆に、都会の若者やベンチャーの起業家たちが、農業で一旗揚げようと故郷に回帰する時代になりました。

年商1億円目指して「九条ねぎ」に特化

そうした動きにいち早く対応して事業を拡大しているのが、先日取材した京都の農業生産法人「こと京都」です。

社名はストレートに「古都」を意味しますが、同時に「農の事(こと)、伝える言(こと)」の2つの“こと”も表現しています。日本の農と人と地域を結び付けたい、との思いです。本社工場は、京都市伏見区にあります。京都のブランド野菜「九条ねぎ」を中心に、新しい形の農業を目指し、今や、従業員149名の大規模農業法人になりました。しかし、その道のりは平坦ではありませんでした。山田敏之社長が、家業を継いだ1995年当時を振り返ります。

「アパレル業界に勤めていましたが、32歳の時に脱サラしました。農業をやると言ったら、周囲はみな反対しましたが、母が交通事故で瀕死の重体になり、その看病もあって就農しました。どうせやるなら、年商1億円の農家になる、という意気込みで始めました。でも現実は、サラリーマン時代の年収600万円に対し、農業は朝から晩まで働いて年間売上400万円でした」

当時父親は1ヘクタールの田畑で、米のほか、キャベツ、大根、水菜、九条ねぎなど多種多様な野菜を栽培していました。年中無休で働いて、父親からもらう給料は毎月10万円ほど。奥さんからも「あんた、これで大丈夫なん?」と言われました。


山田敏之社長(筆者撮影)

年に1回しか収穫できない作物では天候リスクも大きく、売り上げも限定的です。悩んだ末、九条ねぎ1本に絞り込むことを決断しました。父親は今までの少量多品種がいちばん安全、と大反対。それを、周年栽培が可能な九条ねぎで年商1億円を目指す、と説得しました。

灼熱の夏の日も凍てつく冬の日も、畑に出て必死に農作業をし、3年目でようやく1600万円の売り上げになりました、父親は「これでウチも安泰じゃ」と満足してくれましたが、山田社長の夢は1億円の農家になること。そのためには今の6倍売らないと目標に届きません。しかし単純に人手を増やして増産しても、供給過多になり価格が下落するのが農産物のつらいところです。出荷しているだけでは、価格は市場次第。高値と中値(平均の値段)では倍ほど違うのです。

そこで頭に浮かんだのが、九条ねぎのカット加工です。京都には「ねぎ屋」という京都特有の産地仲買業者がいます。農家からねぎを畑丸ごと買い上げ、加工して店に卸す商売です。市内に約100軒のねぎ屋があり、そのうちの5軒は年商1億円以上の売り上げがある、と聞きました。それを農家自身がやれば、もっと効率的でより鮮度のいいものを提供できるのではないか、と思いました。

カット加工するだけで、自分で単価も決められます。早速自宅の納屋を改造。壁をビニールで覆い、中古のカット機と洗浄用洗濯機を購入しました。経費は全部で30万円ほど。すべて手作りでカットねぎの加工を始めました。これも父親からは「農家が加工に手を出すなんて」と猛反対を受けましたが、押し切ります。取り敢えず、九条ねぎの生産、加工体制ができ上がりました。

1冊の本との出合いで販路が拡大

ねぎ屋としては後発なので、販売先に困りました。京都では入り込む余地がありません。しかし、ある日偶然本屋で手に取った一冊で、視界が開けます。『最新!最強!究極のラーメン2002 マジうま500軒 Tokyo版』(ぴあ、2002年発行)です。ちょうどラーメンブームのはしりの時期でした。そうだ、ここに載っている東京のラーメン屋さんにうちのねぎを買ってもらおう、と思い立ちます。早速上京して、掲載店を片っ端から訪問しました。


『最新!最強!究極のラーメン2002マジうま500軒』と訪ねる順路を書いたメモ(写真:こと京都)

九条ねぎは青い葉が特徴で、東京の白ねぎになじんでいる店からはゴミ呼ばわりをされたこともありました。ただ繁盛店ほど勉強熱心で、10軒訪ねて3軒が契約。平日に2泊3日で回り、2年余りで約300軒の成約がありました。

その後、博多とんこつラーメン「一風堂」や群馬県の博多ラーメン八番山「ばりきや」といった有名チェーン店でも採用が決定。大手のラーメン屋さんがチェーン店を増やすたびに売り上げがアップし、7年目で年商1億円を達成できたのです。

念願の新社屋兼加工場も完成、売り上げも右肩上がりでしたが、好事魔多し、2011年3月11日に東日本大震災が発生します。新規契約の大型スーパーへの納入は無期延期、関東地区の既取引先も停電の影響で注文が来なくなり、単年度赤字は4300万円に上りました。

悪いことは重なるもので、その年は26年ぶりの厳冬になります。得意先に出荷できない事態になり、翌年1月〜4月の第1四半期だけで4600万の赤字を出しました。露地栽培は天候次第。夏場のねぎは病虫害に遭いやすく、猛暑も厳冬も大敵です。まさに自然災害と生鮮の怖さを実感させられた出来事でした。

こうした影響を極力避けるため、京都府内の亀岡市と南丹市美山町でも栽培を始めました。冬から春は京都市内、夏から秋は亀岡と美山で生産する、という産地リレーの考え方です。九条ねぎのカットも、あらゆる分野の要望に応えられる体制を構築しました。ざるそばの薬味や焼き肉などには1ミリ、薄味のラーメンには2ミリ、とんこつラーメンには3ミリ、お好み焼き用には5ミリを提供します。

【7月9日8時35分追記】記事初出時、上記箇所に「南丹波市美山町」との誤記がありましたが、「南丹市美山町」の誤りでしたので訂正します。

また、ねぎ油、ドレッシングなどの加工品も強化し、お天道様次第の生鮮業からの脱皮を図りました。加工品の成否は、信頼のおける一流のお店と組むことに尽きます。「京の九条の葱の油」は京の人気イタリアンリストランテ「イル ギオットーネ」の監修で食用油専門店「山中油店」との共同開発、また「京都九条のねぎ塩ドレッシング」は老舗の丸和油脂との共同開発です。

ブランドが強みを発揮する時代

一方で、九条ねぎブランドが強みを発揮する時代にもなってきました。

以前から取り沙汰されてきた食の安全性が、2007年中国冷凍餃子中毒事件で大きくクローズアップされたのです。2013年には有名ホテルでメニュー表記と異なる食材を使っていた問題も発覚します。こうした混乱の中、「こと京都」は取引先に「産地証明が必要であればお申し出ください」とメール、ファックスを送信。これを契機に全国チェーンの居酒屋やファミリーレストラン、スーパーマーケット、百貨店からの注文が一気に増大しました。

丹精込めて安心安全なモノづくりに励んだ努力、そして京都の伝統野菜九条ねぎのブランド価値。この2つがが大きく花開いたのです。「年商3億円が天井と思っていましたが、ひょっとしたら10億円に手が届くかもしれない」山田社長はそんな予感がした、と言います。その予感は2016年、単体売上高11億6900万円を達成して現実のものとなります。

山田社長がもう一つ力を入れて取り組んでいるのが、九条ねぎ生産者のグループ化です。2009年、九条ねぎを守る「ことねぎ会」を発足させました。気象状況次第で生産量が変化する九条ねぎを安定的に供給するための組織です。最初の会合は十数人。席上、「これからは、生産計画から一緒に考えませんか」と呼びかけました。

ねぎの農作業は、畑が4割、調整が6割と言われます。「調整」というのは、形を揃え、汚れた葉をむしり、きれいに洗って、袋詰めにする工程のことで、実はねぎ農家にとって大きな負担です。そして食の安全が問われ、この工程の重要さはさらに増しています。

この面倒な作業を「こと京都」が全て引き受ける、と言いました。

翌年、HACCAP(食品の製造工程における衛生、品質を管理するシステム)対応の加工場が完成予定で、その点を強調しました。そして販売ルートはすでに構築済みです。「売るのは私たちに任せてください」とも断言しました。

メンバーは40人に増加

力強い言葉に促され、今や、メンバーも40人にまで増加しました。山田社長はこれからも、九条ねぎの安定供給を目指し、さらに会員を増やしていくつもりです。


農林水産大臣賞を受賞した(写真:こと京都)

こうした一連の経営努力に対し、2013年12月、「第1回6次産業化推進シンポジウム」の席上で、同社は農林水産大臣賞を受賞します。「6次産業化」は、東大名誉教授の今村奈良臣(ならおみ)氏が提唱し、第1次産業(農林水産業)の「1」に、第2次産業(製品の加工)の「2」と第3次産業(流通・販売)の「3」までを足して「6」となることから名づけられました。

農林水産業者が、従来、第2次、第3次産業事業者に回っていた加工費や流通マージンを獲得することで、自らの付加価値を向上させ、所得のアップや雇用創出につなげることを目指しています。まさに「こと京都」の活動は、その代表例とされたのです。

受賞のポイントは、次のように記されています(一部略)。

ゝ都特産の九条ねぎを食材として利用しやすいようにカットし、青ねぎの食習慣が少ない関東でラーメンの食材としての需要を新たに創出したこと

▲ットねぎに新鮮というバリューを付加するとともに、他の九条ねぎ生産者との連携による商品の周年安定供給を実現し、販路を開拓したこと

まさに山田社長の20年来の努力を簡潔に顕彰した言葉だと思います。

ただ、山田社長の挑戦はここにとどまりません。伝統の京野菜の風味を損なうことなく食卓に届けようと、先進の冷凍技術を有する「岩谷産業」と合弁会社「こと京野菜」を立ち上げました。


九条ねぎの畑(筆者撮影)

岩谷産業の冷凍技術により、「こと京都」や京都府内の農業者が生産する京野菜を冷凍加工し、旬のものを旬の時期に提供できます。今までは少量で市場に出荷されず、高級料亭でしかお目にかかれなかったものも供給可能です。冷凍することで賞味期限も伸びるので、余剰生産による価格下落も避けられます。

「あまり知られておらず絶対量の少ない京野菜があります。すばらしい食材であるにもかかわらず、いわゆる“絶滅危惧種”になりかねません。こうした京都の稀少食材も、冷凍で旬の時期に提供できるようになれば安定的需要が見込まれます」と山田社長。九条ねぎにとどまらず、京都全体の伝統的食文化を支えていこうと考えているのです。

「6次産業化」という言葉の重み

最後に、山田社長が執筆した「6次産業化の意義と役割」(『食品と開発』Vol.52掲載)に、自らの思いを端的に述べている箇所があるので、紹介します。

「6次産業化という言葉は、農業をビジネスと捉えて、考え、行動した生産者たちが悪戦苦闘の末、発展したことによって生まれた言葉である(後略)」

朝から晩まで九条ねぎの栽培に従事し、その価格の安定化、周年供給に熱意を傾けている山田社長の、偽らざる心の叫びだと思いました。