ゲーム機器メーカーの京都本社に勤める一ツ橋紀夫(ひとつばし・のりお)は正真正銘の庶民。

“普通”で平凡な日々を送る紀夫だったが、食事会でどこか謎に包まれた美女・萬田樹里(まんだ・じゅり)と出会う

ドライブに出かけたふたりは急速に距離を縮めるが「家まで送る」という紀夫を、樹里は頑なに拒否。

脈ナシだと落ち込む紀夫だったが、樹里から再びデートの誘いが。しかも樹里から大胆なアプローチを受け、紀夫の部屋で一夜を過ごす。

しかし翌朝、ふたり一緒に出かけたカフェで、紀夫が3年前に別れた元カノ・一二三薫とばったり再会。こんがらがっていく、三者の関係…。




3年ぶりの再会


「まさかこんな所で会うなんて。そういえばここ、昔よく一緒に来たなぁ」

紀夫の腕をナチュラルに掴みながら、薫は無邪気に笑う。

ふたりには3年の空白があるというのに、紀夫を置いて上京したのは薫なのに、彼女の振る舞いは付き合っていた頃とまるで変わらない。

しかし細身のデニムに合わせたヒールや、無造作にまとめた髪、外したサングラスを引っ掛けた胸元から匂い立つオーラが昔と違う。

彼女は明らかに、洗練されていた。

「紀夫さん…?」

背後から樹里の声がして、紀夫はハッと我にかえる。

すっかり薫に気を取られていたら、買い物を終え、両手いっぱいにパンを抱えた樹里が不安そうにこちらを見つめていた。

その視線の先には、紀夫の腕を掴んだままの薫がいる。

「あ…私、ここでもう大丈夫やから。行くね」

遠慮がちに小さくそう言うと、樹里は「じゃあ、また」と紀夫に背を向けてしまった。

きっと、勘違いをしている。しかし慌てて追いかけようとしたら、薫がその腕にぐっと力を込めた。

「ねぇ、もしかして…紀夫の彼女?」

咄嗟の質問に思わず「え?いや…」と呟くと、薫は言葉の続きを遮るように続けた。

「なワケないか。だって…」

言いかけて、急に口ごもった彼女に怪訝な顔を向けると、薫はさっと表情を変えた。

そしてお得意のパーフェクトな笑顔で紀夫を見上げるのだった。

「ううん、なんでもない♡」


元カノ・薫との再会。東京にいるはずの彼女は、どうしてここに?


薫が京都にいる理由


烏丸御池のフレンチ『ラ・ポルト・ド・ヴェリテ』。

紀夫の目の前で、薫が芸術的に盛り付けられた前菜に歓声をあげている。

結局あのあと「紀夫、暇でしょ?」と完全に押し切られる形で、ランチに連行されたのだ。

「確かこのあたりにフレンチがあったはず」と言いながら検索し、すぐに予約を取り付けた(これまた運よく席が空いていた)手際の良さに感心していると、薫にぷっと吹き出された。

「また、ぼーっとして。変わらへんね、紀夫は」

完全に振り回されているが、居心地が良いから不思議だ。昔から、薫の前ではどうにも調子が狂う。

「そういや、薫はなんで京都にいるん?仕事?」

紀夫が気になっていたことを尋ねると、一瞬、薫の表情がこわばった。

-大変だよな、あることないこと騒がれて。-

先日、親友の龍之介が教えてくれたネットニュースが頭をよぎる。

「薫が人気アイドルと二股交際している」というゴシップは、ここ数日、信ぴょう性の怪しいぼやけた証拠写真とともに週刊誌やワイドショーでも取り上げられている。

薫の微妙な反応から察するに、やはり良からぬことが起きているのだろか。

紀夫が自身の不用意な発言を悔いていると、薫は何かを吹っ切るように顔をあげた。

「仕事…しばらく休むことになって」

「え…?」

割り切った声だったが、空元気は明らかだ。

「それって、もしかして例の記事のせい…?あんな根も葉もないゴシップで?」

無意識に、苛立つ声になった。

薫が必死で努力してきたことを知っているから、彼女への理不尽な仕打ちは許せない。

「なんで薫が」と紀夫が憤慨しているのを見て、彼女は逆に落ち着きを取り戻したようだ。とても冷静に、事情を説明してくれた。

「まあでも、誘われてふたりで食事に行ったのは事実。でも、ホンマにそれだけ。…それでも、写真とられてしまったらアウトなんよね。あとから何を言っても。

相手が人気アイドルっていうのも反感を買ったみたいで、私を出すなって番組宛に投書やクレーム電話が殺到しちゃって。

私もさすがに参って、体調も崩したしミスも目立って。そしたらほとぼりが冷めるまでしばらく休めって話に。…私の代役なんて、すぐに用意できちゃうのよ。

ひとりで東京にいるとどんどんマイナス思考になりそうで、戻ってきちゃった」

そう言って力なく笑う薫は、泣いているようにも見えた。

「そっか...でもあの彼は?支えてくれてるんだろ?」

思わず、聞いていた。

“あの彼”というのは、薫が真剣交際していると噂されている大物政治家の息子・柏原秀一のことだ。こんな時こそ、薫を助けてあげるのが力のある彼の役目だろう。

けれどこの質問もまた、彼女を傷つけるだけとなってしまった。

「彼…柏原さんとは、別れた。あのゴシップが出た後すぐにね」

言葉を失う紀夫に、薫は苦しそうに顔を歪め「あ、でも別れた理由は別にあるんやけど」と言い添えた。

「結局、何のコネも後ろ盾もない私のような女は、こんな些細なことで吹けば飛んでしまう存在なんよ。今回のことで、それがよくわかった」


落ち込む元カノを放っておけない紀夫は、気づけば薫のペースに引き込まれていく...


元カノの忠告


ランチのあと、ふたりは京都の街を鴨川方面へとあてどなく歩いた。

彼女は昨日と今日だけは気晴らしに奮発して『ザ・リッツ・カールトン京都』に宿泊し、明日以降は滋賀の実家に戻るつもりだという。

サングラスをかけ、高いヒールで闊歩する薫を、街ゆく人が揃って振り返る。

時折「あれって…」と囁く声も聞こえるが、薫はまったく気にしていない様子。もう慣れっこなのだろう。

紀夫も薫も、昔とは違う。しかし他愛のない話をしながらのんびりと歩いていると、不思議と学生時代にタイムスリップしたような錯覚に陥る。

遠い昔の記憶は断片的だが、当時の面影がすり抜ける風や空気となって頬を撫でるのだ。




「紀夫、今日はありがと」

左右に水路が配された『ザ・リッツカールトン・京都』の入り口が見えたところで、薫は紀夫の顔を覗き込み、愛らしく微笑んだ。

パールのピアスが揺れ、西日となった太陽に反射する。その眩しさに瞬きをしていると、薫がふと、思い出したように紀夫に尋ねた。

「あのさ…さっきの子。プチメックで会った彼女って、萬田樹里さんでしょ?」

ふいに飛び出した樹里の名前に、紀夫は驚いて目を見開く。

すると「なんで知ってる」という紀夫の言葉を先回りして、薫は続けた。

「紀夫は興味もないから知らないのかもやけど、彼女は有名人よ。全国に名が知れた老舗和菓子屋の一人娘やもん。昔、何度か番組の取材に行ったこともある」

なるほど、そういうことか。

京都という町は狭い。ほんの少しでもメディア露出をすればすぐに有名人となり、顔と名が広まってしまう(特に、噂好きの女性たちの間で)。

何も知らなかったとはいえ、紀夫は安易に家まで送るなどと申し出た自分の配慮のなさを後悔した。

初めて彼女と出会ったときの、新鮮さ。謎めいた雰囲気。少女のようにはしゃいだかと思えば急に大胆になって、潤んだ瞳で見つめてきたりする。

会うたびに感情をかき乱される樹里のことを思い出していたら、薫は紀夫の頭の中を見透かすように尋ねた。

「…好きなん?彼女のこと」

「え?」

誤魔化そうとしたが、薫のまっすぐな瞳に射抜かれ、紀夫は白状する。

「そうやな、好き…なんやと思う」

しかし薫はそう言って照れる紀夫を悲しそうに見つめ、静かに目を逸らした。

そしてどこか遠くを見つめたまま、諭すようにこんな忠告をするのだった。

「だけど紀夫、深みにハマる前にやめたほうがいい。彼女は、いつか必ずあなたを傷つけるよ」

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薫の忠告は正しかった?些細なことから、樹里との関係に亀裂が…