イラスト:fancomi(大原扁理『なるべく働きたくない人のためのお金の話』より)

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自分に適した生活スタイルを見つけるには、どうしたらいいか。大原扁理さんは、20代の頃から東京郊外で、年収100万円以下、週2日労働の「隠居」生活を送っていた。その暮らし方を選んだきっかけは、「月7万円」の家賃を払うために働き続けることがつらかったからだという――。

※本稿は、大原扁理『なるべく働きたくない人のためのお金の話』(百万年書房)の第1章「まずはつらい場所から抜け出す」を再編集したものです。

■上京して最初の家の家賃は月7万円

私は25歳から約6年間、東京郊外の小さなアパートで隠居生活をしていました。

隠居生活といっても、落語や講談に出てくるような江戸時代のご隠居さんとは違います。私の場合は、社会との関わりを最小限にして、基本的に週2日働き、年収は100万円以下で暮らす、という感じです。ITや株などの特殊能力もありませんが、親や国に頼ることもなく、普通にハッピーに暮らしていました。なお、現在は東京のアパートを引き払い、台湾で隠居をしています。

隠居生活を始める前は、東京都杉並区に住んでいました。ほとんど毎日なにかしらのアルバイトをしていて、月収は平均すると11万円(手取り)くらいはありました。しかし、この収入から生活費や税金を引くと、お金はほとんど残りません。当時は経済的にも精神的にも余裕がなくて、しんどくて仕方なかった。

私が上京したのは2009年6月のこと。当時23歳でした。

東京で初めて住んだのは、杉並区の閑静な住宅街にあるシェアハウス。北部屋の四畳半で、家賃7万円、さらに水道光熱費ネット代などを住人全員で折半、という条件でした。ですから毎月の支払いは8万円近くになります。

とはいえ、純和風の庭付き一戸建てで、平日は会社員のシェアメイトが出払ってしまうため、広いリビングとキッチンと庭が使い放題という、人にはけっこううらやましがられる物件でした。

家賃のために毎日アルバイトがつらい

しかしこの時から、高い家賃を払い続けるために、ほとんど毎日アルバイトをしなければならないという、つらい日々が始まります。

でもシェアメイトの会社員たちは、平然と私よりも長時間労働し、最安値の私の部屋よりもはるかに高い家賃を普通に毎月払い続けているのです。ですから、「余裕がなくてしんどい」なんておいそれとは口にできず、こんな家賃も払えない自分のほうがおかしくて、7万円の家賃なんて普通、いや安いほうなのだと思っていました。

それでも心のどこかでは納得がいかなくて、「なぜ生活するためだけにこんなに働かなければいけないんだろう」という疑問も、同時にくすぶり続けていました。

もしかして、本当は、私がおかしいんじゃなくて、高い家賃を払うために働き続けるというのを当たり前だと思ってる社会のほうがおかしいんじゃないのか?

普通と思いながらおかしいと思っている、そんな相反する気持ちの状態がしばらく続きました。

上京してから1年3カ月が経ったころ、本当に何かの偶然で不動産屋のウェブサイトを見ていた時、私は衝撃を受けました。なんと、東京には郊外というエリアがあり、そこでは同じくらいの広さの部屋でも、家賃3、4万円台の物件がゴロゴロしている、というのを発見したのです。

やっぱり、7万円という家賃は異常に高かったんだ、これ以上、異常なものに自分を合わせなくていいんだ――。

私の直感的な疑問を肯定してもらったような気になって、それだけでもずいぶんラクになりました。

いま振り返ると、四畳半の北部屋に7万円も払うなんてアホかと思いますが、それは知識が身についた今だから言えること。上京したばかりの田舎者の私にとって、「東京でも郊外に行けばアパートは安く借りられる」ことに気がつくのは、とても難しいことだったのです。もっと早く気づいてさっさと引っ越していればよかった、と思うこともありますが、こればかりは本当に、タイミングというものがあるのかもしれません。

東京で家賃7万円なんて普通だよ、と言われたら、「あなたにとってはそうなんですね」と思っておけばいいのです。

他の誰でもなく、自分にとっては高い、というのがわかっただけでも、「自分だけの幸せのサイズ感」に一歩近づいたということなので、喜ぶべきことです。

■自分にちょうどいい「幸せのサイズ」

自分にちょうどいい幸せのサイズ感がどれくらいなのかは、当然ですが人それぞれ。初めからわかっている人は稀ですよね。やはり親元を離れ、すべて自腹で生きるという経験をしないと、自分には何が必要で何が不要なのか、真剣に問いかけることをしないまま済ませてしまいがちです。ひとり暮らしをすることの最大のメリットは、「どうすれば自分が幸せなのかに強制的に向き合わされる」ということかもしれません。

それから新しい環境では、何が普通で何がおかしいのか、初めはわからないこともあります。最初は何度か失敗もするでしょう。

でも、その社会で当たり前とされていることは、必ずしも正しいとは限りません。みんなが当たり前のようにこなしていても、自分は苦しいと思うなら、それでいいんです。自分だけの実感に、他人がとやかく言う筋合いはありません。他人と比較して、どちらのほうがより苦しいというのも無意味です。

ただ、苦しいと思ったその気持ちは、そこから抜け出すためにいつか必ず役に立ちます。それまでどうか失くさないようにしてください。自分だけの実感を、「社会の当たり前」に明け渡してしまわないことが大切です。

都心の暮らしを捨てて家賃の安い郊外に逃げるとき、私は東京で初めて、主体的に何かを選び取ることを学んだという気がしています。はた目には「つらいことから逃げただけ」と映ったかもしれませんが、本当は、そのままズルズルと都心で暮らしたほうが、ラクだったかもしれない、とも思うのです。

「東京は家賃が高いから、ひとりで生きていくのは大変なことだ」というぼんやりしたイメージが、日本中に空気のように存在していますよね。いま振り返ると、私がもしこのまま杉並区に暮らし続けて無一文になっても、東京のせいにしてさっさと田舎に帰ればいいや、という逃げの一手を、心のどこかでキープしておきたかったんですね。

しかし、東京だけど家賃が安い郊外で、ひとり暮らししたのにうまくいかなかったとしたら、失敗の原因は東京ではなく自分にある、と突き付けられることになります。それと向き合わされるのが怖かった。

■自分の行動の結果を「東京のせい」にしない

それで、安いアパートを見つけてからも1カ月ほど足踏みしていたのですが、ちょうどシェアハウスのメンバーが少しずつ移り変わり、以前ほど楽しくなくなってきていたことが私の背中を押してくれました。

この家、私にとっては、もう7万円も払うほどの価値はなくなってるかも。やっぱりお金がもったいないな。

そう感じた私は、不動産屋のウェブサイトで本格的に部屋探しを始め、2010年12月にめでたく国分寺市のアパートに引っ越すことができました。上京してから初めて、自分の行動の結果を「東京のせい」にせず、自分で引き受けると決めた、小さいながらも記念すべき瞬間です。

もしも上京して、普通に7万円の家賃を払えていたり、東京で実家住まいだったりしたら、何の疑問も持つことなく楽しく暮らして、隠居することなんてなかったかもしれません。だから、これでよかったのだと思います。

失敗したときに、誰かのせいにできるという誘惑は、人生を主体的に生きるということから、自分を遠ざけてしまいます。何が正しくて、何が間違っているのかを、私が背負ってあげまっせ、という人や社会が出てきたら要注意。本当にそれでいいのか、手遅れになる前に、よく考えてみる必要があります。

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大原扁理(おおはら・へんり)
1985年、愛知県生まれ。高校卒業後、3年間の引きこもりと海外一人旅を経て上京。東京で隠居生活を送った後、現在は台湾で生活。著書に『20代で隠居 週休5日の快適生活』(K&Bパブリッシャーズ)、『年収90万円で東京ハッピーライフ』(太田出版)がある。ツイッター:@oharahenri

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(大原 扁理 写真=iStock.com)