-なぜ今、思い出すのだろう?

若く、それゆえ傲慢だった同級生・相沢里奈の、目を声を、ぬくもりを。

持ち前の器用さと明るい性格で比較的イージーに人生の駒を進めてきた一条廉(いちじょう・れん)。

しかし東京は、平穏な幸せを簡単に許してくれない。

運命の悪戯が、二人の男女の人生を交差させる。これは、“男サイド”を描いたストーリー。

まるで青春ドラマのような学生生活を過ごした廉は卒業後、難なく第一志望の総合商社に就職を決める。

“商社マン”となった廉を待っていたのは、人生最大のモテだった。




「一条!お前、金曜のCA飲み来るよな?」

会議室を出たところで、後ろから肩を勢いよく掴まれた。

振り返ると、ニッと白い歯を見せて笑う浅黒い男の顔。同じ金属部門の先輩、藤井さんだ。

彼は僕のことを随分と気に入り、可愛がってくれている。

と言っても、それは何も藤井さんだけに限った話ではない。

僕は昔から人付き合いに苦労したことがなくて、先輩後輩問わずどこに行ってもすぐに友達ができるし、気づけば輪の中心にいる。

同期の集まりでも早々にリーダー役を務めるようになり、入社して1年が経とうという頃には、同じ部門はもちろんのこと、他部門でも広く“一条廉”の名は知られるようになっていた。

しかしそれにはちゃんと理由がある。僕は公私ともに、めちゃくちゃ付き合いがいいのだ。

「もちろんっす。っていうか聞いてください。俺、この前すっげー可愛いグラドルの子と知り合ったんすよ。友達紹介してって頼んであるんで、決まったら必ず藤井さんのこと誘いますから」

「まじ!?お前、ホント仕事できるよな」

ご満悦の先輩に自信たっぷりに頷いて見せた、その瞬間。視界の端に見覚えのある女の姿が映って、僕はハッとする。

呆れ顔で僕に冷たい視線を送る女…相沢里奈だ。


“商社マン”らしく食事会に精を出す廉。一方で里奈とはどんどん疎遠になっていく


「おっ、里奈じゃん。最近どうよ?」

軽いノリで声をかけたのは、どことなく漂う気まずさを隠すためだ。

就職活動中は随分と密だったはずなのに、ふたりで協力しあって内定を勝ち取ったはずなのに、入社後、僕が同期や先輩たちと距離を縮めるにつれてなぜか里奈とは疎遠になっていた。

「…別に、普通」

そっけない返事。何にイラついているのか、最近の里奈はいつもこうだ。

ツンと上を向いた彼女の首筋に目が留まる。もともと華奢だったが、さらに痩せた気がする。

そういえば里奈は、随分前から同期の集まりにも顔を出さなくなっていた。

単に群れるのが嫌なのだろうと大して気にしていなかったが、もしかすると何かあったのかもしれない。

-大丈夫か?

そう聞いてあげればよかったのに、代わりに口から出たのは子どもっぽい憎まれ口だった。

「相変わらず、可愛くねーなぁ」

しまった、と思った時にはもう遅かった。

里奈は瞳を潤ませ、僕を睨みつける。そして狼狽える僕をその場に残し、足早に立ち去ってしまった。

…もしこの時、僕がもう少し大人だったら。里奈の苦しみに気づいてあげられていたら。

未来は、変わっていたのだろうか。


女の顔


この頃も、里奈に男がいることは知っていた。

そもそも学生時代からずっと、里奈に男の影がなかった時などない。

しかし僕はそれまで、彼女が男と一緒にいる場面を実際に目にしたことはなかった。

彼女は同年代の男になど用はないといった態度で、学内の男や同期には目もくれない。付き合う相手はいつも、多くを与え甘やかしてくれる随分と年上の男だったからだ。




「あれ、相沢じゃね?」

里奈に要らぬことを言ってしまった数日後のこと。

オフィスを出てすぐ、一緒にいた同期のひとりが僕に目配せをした。

その日は20時から自称モデルの女たちと恵比寿で食事会があり、時間もギリギリだったので、タクシーを拾おうとして道に出たところだった。

通りの向こう側に、真っ赤なオープンカーが停まっている。

その車に、慣れた様子で乗り込む女は…間違いなく里奈だった。

オフィスではいつも束ねている髪を下ろしジャケットを脱いだ彼女は、身体にぴたりと密着するワンピース姿。

彼女の仕草には洗練された艶があり、宵の丸の内、ポルシェの車内で寄り添うふたりは、まるでドラマのワンシーンさながらだ。

…別に、相手の男は誰だろう、なんて詮索したわけじゃない。

ただ目を離せずにいた僕は、運転席の男が正面を向いた瞬間に気がついてしまったのだ。

-二階堂直哉!?

男の顔に、見覚えがあった。就活中、OB訪問で僕は二階堂に会っていたのだ。

立場上、表には一切出さなかったが、初対面からいけ好かない男だった。

一応、仕事内容や社内の様子などを教えてくれはするものの、彼の話はどれもこれも表面的で“熱”を感じない。

終始人を見下したような態度で、自分だけは高みの見物をしているような語り口だった。

それもそのはずだ。二階堂は僕が入社するのと入れ違いで会社を辞めていた。彼は実家の家業を継ぐことが決まっており、二階堂にとっては会社での出世など、そもそもまるで関係のない話だったのだ。

「会社の目の前で、よくやるよな」

同期が、嘲笑うように言ったセリフで我に返るまで、僕の心は終始モヤモヤとした感情に支配され続けた。

それは二階堂の恵まれた境遇に対する、男としての嫉妬心だっただろうか。

…それとも、里奈が二階堂に向ける女の顔を見てしまったせいだろうか。


里奈と二階堂のツーショットが気になる廉。しかし忘れる方法なら、いくらでもあった


その夜、『ラビスボッチャ』に集まった3人の女のうち、僕は1番好みだった(つまり、小柄で童顔で胸が大きい)マリエを口説き落とすことに成功した。

“有名私立大学出身”の“商社マン”という肩書きは、思っていた以上に武器となるらしい。

…というのは冗談で、実際のところ、タフで繊細な交渉を要する商談や四方八方に気を遣って臨む接待を通じて身につけた立ち居振る舞い、そして自信が、女性関係にも大いに役立ったのだ。

難なく自由が丘の家に連れ帰ると、マリエはこちらが拍子抜けするほど簡単に僕を受け入れた。…ついさっきまで、付き合っている彼氏について話していたはずだが。

「好きだよ。マリエ、すごい可愛い」

ベッドの上で囁く言葉は、嘘ではない。言ったそばから、感情が変化していくだけで。




こんな風にすぐ思い通りになる女が大好きな癖に、いざコトが済むとその軽薄さに呆れる。自分だって、同類の癖に。

-何やってんだ、俺は…。

しかしこの頃の僕といえば、毎度こうして後悔することをわかっていながら、同じことを延々と繰り返しては日々を過ごしていた。

たとえ深夜であろうと、呼べば誰かしらが来てくれる。予定の空いた週末、デートする相手にだって困らない。

女なら、欲しさえすれば手に入る。それで十分に満たされている…はずだった。


手に入らない女


「ねぇ、そういえば聞いた?相沢さんが結婚間近って話」

ある夜、同期会でゴシップ好きの女が言った言葉に僕は耳を疑った。

結婚するのか?里奈があの、二階堂と?

数ヶ月前、会社の前まで里奈を迎えに来ていた派手な車と、二階堂のスカした横顔を思い出す。

付き合っていることは承知していたが、まさか里奈が結婚を考えるほどの相手だとは思いもしなかった。

僕がモテ期を存分に満喫しているのと同じで、てっきり若さと美貌を持て余した里奈の、数いる遊び相手のうちの一人だとタカをくくっていた。

「…もっとちゃんと恋愛しろよ、あのバカ」

気づけば誰にも聞こえない声で、僕はそう独りごちていた。

その言葉は里奈に向けたものだったが、僕自身の心にもグサリと刺さった。

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里奈は本当に、二階堂直哉と結婚してしまうのか?