富と名誉を手にし、ほしいままに動かす「成功者」たち。
きっと皆、その座を掴むために血のにじむような努力をしているのだろう。

でも、頑張るだけじゃ成功できない。

―運も実力のうち。

成功者たちのほとんどが、努力と同じぐらい「運」を重視して、自分だけの特別なパワースポットやラッキーアイテムを持っているという。

これまで、不幸に沈む32歳女をセレブ婚へと導いた縁結び神社やパワハラで夢破れた商社ウーマンを人気料理家へと転身させた金運アップの泉を紹介した。

さて、今回は?




大企業の社長夫人、絢子(39歳)の場合


リッツカールトン東京の『ザ・ロビーラウンジ』で、目の前に座る絢子は、スコーンやフィンガーサンドイッチを楽しそうにつまんでは次々と口の中に入れていく。

一口ごとに「美味しい〜」と、たれ目の目尻をさらに下げながら至福の表情を浮かべる絢子。

そこに媚びや計算高さは一切感じられず、明るく素直な絢子といると、こちらまで幸せな気分になる。

ひと目で上質と分かるシンプルな黒いワンピースに身を包み、トープカラーのケリーバッグを携えている。栗色に染めたロングヘアをゆるく巻き、ネイルも上品な桜色のフレンチ。

決して華美すぎない、真の上流オーラを体現する絢子は、とある音楽関係会社の創業者一族の社長夫人だ。

音楽だけでなく、芸術全般に造詣の深い絢子の夫は、ファッションにも興味が強く、かなり前からあらゆるハイブランドのVIP顧客なのだそう。

様々なハイブランドのシークレットイベントやVIPディナーに頻繁に招待されるのだが、彼はどんなイベントにも必ず絢子を帯同し、絢子が少しでも興味を示した商品があれば、なんでも購入しようとするのだという。

2人の仲睦まじさは、業界では有名だ。

富豪の夫に溺愛され、一般人が想像もできないような世界に住む絢子。

しかし、意外なことに、彼女には別の男性と結婚していた過去があるらしい。



実は私、バツ1なんです。

最初の夫とは、24歳で結婚して27歳の時に離婚しました。いまの主人に出逢うまでは、自分の殻に籠った、随分暗い女だったんですよ(笑)

主人のことをお話しすると、その経済力を羨ましがられることばかりなんですけど…

私にとっては、ありのままの自分を引き出し、愛してくれる、彼の神様みたいな優しさに巡り合えたことが、人生で一番の幸運だと感じています。

彼に出逢ったきっかけですか?

… きっと、この右薬指にはめている指輪のお導きですね。


感情に蓋をすることで自分を守る。傷つくことを過剰に恐れた女の悲劇


私、4人兄弟の一番上なんです。

兄弟が多かったからでしょうか…自分の感情に素直になると叱られ、年長者の宿命である「お姉ちゃんなんだから我慢しなさい」を普通の人以上に言われ続けたせいで、物心ついたときには、私は自己主張がものすごく苦手な人間になっていました。

そして、自分の感情を抑えなくてはならなかったのは、家の中だけではなかったのです。

私は長野で生まれ育ったのですが、父は地元の市議会議員で。狭い地元で父の名前を知らない人はいませんでした。

父は幼い頃から厳しく、子供達は常に模範的であるようにと躾けられ、学校でもいつも優等生でいなくてはなりませんでした。

常に緊張感を持って過ごしていた私には、子供らしい楽しい思い出や記憶は、ありません。

いつも周りに合わせてばかりで、優等生の仮面を被っていた私の人生で最初の大冒険―。

それが、ロンドン留学です。




私は大学で英文学を専攻し、3年生のとき交換留学制度を利用して、ロンドン大学で1年を過ごしました。

でも私がイギリスに興味を持った本当の理由は、中高時代からロンドンの音楽カルチャーをこっそり愛していたから。

子どもの時から娯楽らしい娯楽を禁じられて育った私が、親に内緒で見つけた唯一の趣味だったといっても過言ではありません。

そのロンドンで過ごした1年が夢のように楽しくて…

語学力が不十分な状態では、相手の言わんとすることもよくわかりませんし、日本人ならではの微妙なニュアンスでなんとなくごまかすこともできない。

仕方なく、拙い英語を駆使して必死にコミュニケーションをとるわけですが、拙いからこそ自分の真意だけをシンプルに、ズバっと直球で伝えることができたりして。

私は思いがけず、ロンドンという異国の地で、母国語ではない英語を使うことではじめて、ありのままの自分を表現できるようになっていたのでした。

1年の留学期間を終えてからも、ロンドンでの開放的な気分を忘れることができませんでした。そして猛勉強の末、大学卒業後、ロンドン大学大学院への進学を果たしたのです。



前夫と出会ったのは、大学院に在学中のときです。彼も私と同じく、日本からロンドンに来ていた留学生でした。

留学中に交際をスタートし、帰国後、互いに就職して間もないタイミングで入籍。私は大手レコード会社でセールスプロモーションの仕事に就き、前夫は外資コンサルに就職しました。

ところが、結婚して半年も経たないうちに、彼の私に対する態度が明らかに変わっていったのです。

“なにかと心細い海外での留学生活”という特別な環境に身を置いていたときは、お互いに助け合うことができた2人でしたが、母国に戻りすっかり緊張感が取れた環境下で、前夫は本性を現しました。

仕事に忙殺されて家事との両立が出来なかった私に、彼は「お前は駄目な妻だ」と何度も怒鳴りつけました。

それに向かって「でも」と反論しましたが、何を言っても冷たい言葉で否定されます。

そのうち四六時中「駄目な人間だ」と言われるようになりました。

何か言葉を発すればまた否定されるのが恐ろしくて、私は自分の心に蓋をし、次第に傷ついているのを認めることすら怖くなって、感情を無くすように努めることで自分自身を守っていたのです。

そして自らを騙しながら、地獄のような結婚生活を続けてちょうど3年が経ったとき、「他に好きな人がいるから」と彼の方からあっさり離婚を切り出されました。

こうしてようやく苦痛から解放されたのですが、そのときも涙すら出ませんでした。私は心を閉ざすあまり、まるで感情を持たないロボットのようになっていたのです。


完全に閉ざしてしまった心。自分と向き合う勇気をくれた、ひとりの男性との出逢い


それからは、ひたすら仕事に没頭するようになりました。

いつかもう一度結婚したいとは思いましたが、また傷つきたくないという思いがいつも先行して、いつまで経っても自分の気持ちを素直に表現することができないままでした。

風のうわさで、前夫が再婚し子供まで産まれたと聞いたときは、さすがに凹みました。私ひとりだけが一歩も前進できずにいるのだと気が付き、愕然としましたね…



離婚からあっという間に10年が経ち、37歳の誕生日を目前に控えたある日のことです。

会社帰りに同僚と飲みに行ったときに、ほろ酔いの私は思わず「そろそろ幸せになりたい」と本音を漏らしてしまったのです。

その同僚はパワースポットに精通している人物で、ぼやく私に向かって唐突にこんなことを尋ねてきました。

「願いが叶う指輪の話、知ってる?」

こうして同僚が教えてくれたのが、願いを叶えてくれるという不思議な指輪の話でした。そしてその指輪が買えるのは、【西新井大師】の敷地内にある、小さな露店だというのです…。




早速その週末に、多くの参拝客で賑わう【西新井大師】を訪れることにしました。

【西新井大師】は、関東三大厄除け大師の1つ。広大な敷地の中に身を置くだけで力が湧いてくるような、パワースポットです。

参拝を済ませたのち、広い境内に静かにたたずむ、簡素な作りの小さな露店が目に留まりました。

たくさんの人が行列を成しているその店を覗くと、男性が指輪を売っていて、どの人も愛おしそうに買った指輪をはめてにこやかに帰っていきます。

私はハッとして、これが同僚の言っていた指輪屋さんだと確信し、列の最後尾に並んでみることにしたのです。

待つこと40分、ようやく自分の順番が回ってきました。

店主の方と短く挨拶を交わすと、まず干支を聞かれます。

続けて両手を差し出すよう指示があり、私の手の平をさっと見ると「ゴールドとシルバー、どちらがいいですか?」と希望の指輪の色を聞かれました。

シルバーでお願いします、と答えると、今度は右手の人差し指と薬指、左手の薬指と中指の4本の中から、指輪をはめたい指を選ぶよう言われました。

右手の薬指を選ぶと、男性は私にサイズを聞くこともなく、あっという間の早業で、私の右薬指にぴったりとなじむ指輪をすーっとはめてくれたのでした。

指輪をはめた手を水晶玉の上に置くよう指示され、最後にもう一度じっくり両手の手相を見てもらいます。

そして男性は最後に、優しい目でまっすぐに私を見据えながらこう語りかけたのです。

「 あなたは...自分の感情を認めてあげられたら、もっと楽になりますよ。

感情に蓋をしても、見えなくなるだけで消えはしない。消えないから、どんどん溜まって苦しくなる。

見えないフリをやめて、正面から見てみる。あなたなら、大丈夫だから。

それができたら、きっと今よりずっと楽に生きられるようになりますよ」

その言葉は、私が自ら凍らせてしまっていた心を溶かすだけの熱をもっていたようでした。

そして気が付けば、私は男性に両手を託したまま、温かい涙を流して立ち尽くしていたのです。


参拝から1週間後。

私は、母の誕生日を家族でお祝いするため、リッツカールトン東京の『ひのきざか』に向かっていました。

右薬指にはもちろん、あの指輪。あの日以来、自分が何を感じているのか、丁寧に意識するようになりました。

母への贈り物が入った紙袋を手に下げ、45階のロビー階に到着し、エレベーターを降りようとしたときのこと。

「お先にどうぞ」と先を譲ってくれた男性のカバンについていた金具が、私の紙袋についていた大きなリボンの飾りにひっかかり、大きく裂けてしまったのです。

その男性がものすごく恐縮した様子で「お詫びをしたい」と、私に名刺を手渡すと、そこには、誰もが知る音楽関係の大企業の名前と共に、代表取締役社長とありました。

同じ音楽に携わる者として血が騒ぎ、私も思わず自分の名刺を差し出すと、途端に2人の間の空気が打ち解けました。

そして私たちは、数日後に一緒にランチをする約束をしたのでした。



そのときの男性こそが、現在の夫である廉太郎です。

出逢いから4日後、彼が私の勤務先に近い白金の『ラ クレリエール』を予約してくれました。

シェフの斬新なアイディアから生み出される芸術的な料理に舌鼓を打ちながら、私と廉太郎はまるで古くからの友人のように、はじめからすっかり意気投合し、会話が途切れることはありませんでした。

彼の仕事の失敗談に、心から笑いました。

そして、彼が愛する奥様を数年前に病で亡くした話を聞いたときには、こらえきれず涙を流しました。

私は彼の前でははじめから、まったく飾らない自分でいられたのです。それ以来、定期的にデートを重ねるようになり、自然に交際へと発展しました。

そして運命の出逢いから1年で結婚することになったのです。




お互い2回目なので婚約指輪は固辞しましたが、彼は「それなら結婚指輪に」と、眩しいほどに輝くハリーウィンストンのエタニティリングをサプライズでプレゼントしてくれました。

もちろん感激しましたし、すごく嬉しかったですよ。でも―

私の指にはハリーウィンストンより、【西新井大師】で巡り合ったこのシンプルなシルバーのリングが一番しっくりくるんです。

だって、愛する夫との運命の出逢いは、この指輪が導いてくれたと信じていますから。

初回の指輪は、3,000円。効力は1年で、1年毎にお焚きあげしていただくためにお店に持参します。そして2回目以降は、2,000円で新しい指輪を購入するんです。

ちなみに、いまはめている指輪は3代目。

主人におねだりすれば、どんなラグジュアリーブランドのハイジュエリーでも買ってもらえるとは思いますけど(笑)

でも、私にとってはこの2,000円のリングこそが、最愛にして最高のパワーアイテムなんです。

そういえば、主人の大学の後輩で、いまをときめく注目ベンチャー企業を率いる慶介さんも、先日おもしろいパワースポットの話を聞かせてくれましたよ…

▶Next:7月9日月曜更新予定
リーマンショックで仕事も誇りも失った男が、大注目のベンチャー企業を立ち上げたきっかけとは?