アメリカでは有名人が依存症を告白し、治療に入ることを社会がポジティブに応援する印象があるが、それはなぜなのか? その歴史的背景に触れながら、パックンが解説!

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ここ数年、アルコール、薬物、ギャンブルなど様々な依存症が社会問題化している。中でもアルコール依存症は、酒の消費量が減少しているのに患者は増えているという。

厚生労働省のHPには、アルコール依存症は〈大切にしていた家族、仕事、趣味などよりも飲酒をはるかに優先させる状態〉と記されている。同省の研究班によると、日本におけるアルコール依存症者数は約109万人(平成25年推計値)だが、治療を受けている人は約4万3千人(平成23年調査)。多くの患者が治療を受けていないことがわかる。

この数字のギャップが意味するものは、アルコール依存症=「意志が弱い」「恥ずかしい」といった社会的イメージだろう。アルコール依存症は治療を施すべき病気だが、こうしたイメージによって患者が治療に踏み出せず、問題が悪化してしまうケースも多いという。

アルコールに限らず、様々な依存症が社会問題化しているアメリカの場合はどうなのか? 「お酒は大好き!」というパックンマックンのパックンこと、パトリック・ハーランさんに聞いた──。

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─時々、アメリカの芸能ニュースが「俳優の〇〇さんがアルコール依存症の治療施設に入った」とか「歌手の〇〇さんが数ヵ月にわたる薬物依存症の治療を終えて復帰した」という話題を大っぴらに報じているのを目にしますが、日本ではあまりそういう報道は見ないですね。

パックン ほとんど見ないですよね。日本にも覚醒剤などの薬物保持や使用で逮捕された後、依存症が発覚したケースや、更正して芸能界に復帰したタレントさんもたくさんいますが、一旦は墓場に葬られ、そこからなんとか這(は)い出してきた…みたいなイメージがある。アメリカのように有名人が「私は〇〇依存症なので、しばらく治療します!」って公然とカミングアウトできるような空気はありませんね。

―アメリカ社会には依存症の治療をポジティブに応援するという印象がありますが、それはなぜでしょう?

パックン かつてはアメリカでも依存症は「恥ずかしいこと」と見なされていましたし、いまだにそんなイメージは少なからず残っています。しかし、約40年前、第38代大統領ジェラルド・R・フォード夫人のベティ・フォードが社会の認識を変える大きな転換点を作りました。

彼女自身、アルコールと鎮痛剤の依存症に苦しんでいて、フォード大統領の退任後に専門的な治療を受けた。退院後の1982年、自分と同じように依存症に苦しんでいる人たちを救おうと「ベティ・フォード・センター」という治療施設を設立したんです。依存症は恥ずかしいことではなくて、治療できる病気ですと啓蒙し、社会の見方を大きく変えていったんですね。

─大統領夫人がカミングアウトするだけでも驚きなのに、自身の名前を冠した治療施設を立ち上げるってすごいですね!

パックン しかも、フォード大統領は共和党員で保守層が支持基盤なのに、その夫人のベティは依存症治療の支援だけでなく妊娠中絶の権利も支持した人だったんです。これは驚きです。

アメリカでは“Go to Betty Ford”といえば、依存症の治療施設に入ることを意味します。それほどベティ・フォード・センターは依存症治療の代名詞になっていて、アルコール依存や薬物乱用などに苦しむ多くのセレブ達がここで治療を受けていることでも超有名です。

こうした流れのおかげで、今やアルコール依存症を告白し、治療に入ることに対する偏見は少なくなりました。27歳にしてアルコール中毒で亡くなってしまいましたが、イギリス人歌手のエイミー・ワインハウスが自身のリハビリ経験を元に書いた曲『Rehab』でグラミー賞を獲ったことも社会の変化を象徴する出来事でした。

ただし、先ほど言ったように、ベティ・フォードが運動を起こす以前はアメリカでも「アルコール依存症は恥ずかしいこと」「依存症になるのは意志の弱い人」と捉えている人のほうが多かった。アルコール依存症への視線は日本よりも厳しかったかもしれません。

そこには宗教的な背景もあって、キリスト教の教えでは神様と本当の関係を持つことだけが最高の喜び、恍惚につながる。それ以外のことから喜びを得てはいけないと信じている人が少なくない。お酒、薬物、セックスなどから喜びを得ることは禁じられているんです。セックスは快楽のためではなく、「子孫を残す」という神様に与えられた使命を目的にしなきゃいけないから避妊も中絶もダメだと考えるわけです。

アメリカ社会の基盤を作ったイギリスからの最初の移民には、ピューリタンという、キリスト教の中でも特に厳しい戒律を持つ宗派の人が数多くいたし、クエーカーといって禁酒を理想とする宗派もあった。その流れを汲(く)んで20世紀初頭には、かの有名な「禁酒法」が作られちゃったりするわけです。禁酒法は数年で廃止されたんですけど、今でも州によっては禁酒郡があるんですよ。

─ええっ? 今でも禁酒法が生きている場所があるんですか?

パックン 南部の多くの州にはお酒を売っちゃいけない郡があります。そのひとつであるジョージア州に行ったことがありますけど、確かに売ってなかったです。ただし、その郡の住民たちが本当に飲んでいないかといったらそうでもない。隣の郡に行って買うんです。群境を越えた瞬間に酒屋だらけ! すごい数の酒屋が並んでいるんです。

─禁酒法なんていう法律を作ってしまうほど「お酒に厳しい」アメリカ社会が、今やアルコール依存症をきちんと病気だと受け止めるようになったのはすごいことですね。

パックン でも、アメリカだって現在のような認識が広まるまでにはすごく時間がかかったし、今でもアルコールや薬物の依存症になる人を「自制できない人」と見なす人たちはいます。英語で「discipline」といって、なかなか適当な日本語が見つからないんですが、「自己抑制力」とでも言いましょうか。

例えば「彼にはdisciplineがない」というと、「あの人は自己管理ができない」という意味で、最高のけなし文句になるんですよ。だから、昔に比べれば随分変わりましたけど、未だにアルコール依存症に苦しむ人たちを「discipline」がない人だと見なして、「恥」だと思っている人も少なくないのは事実です。

─とはいえ、アルコール依存症への理解は、アメリカのほうが進んでいるように思います。

パックン 日本ではまだ「アルコール依存症は病気なんだ」という認識が低いですよね。だから、有名人も大っぴらに告白しにくいし、一般の方々もそうでしょう。アメリカには「AA(アルコホーリクス・アノニマス)」、直訳すれば「匿名のアルコール依存症者たち」という自助グループがあって、映画の題材になったりTV番組で紹介されたりするので、広く知られています。

ここでは患者の皆さんが必ず週1回、ミーティングをする。最初に「皆さん、こんにちは、パトリックです」と挨拶から始まって「今週はこういうことがあって辛かった」とか「我慢できなくてちょっと飲んでしまった」とか告白して、お互いの体験や悩みを分かち合う。そして、お互いを責めることはしない。

そういった組織が全国各地に普及しているので、依存症の当事者もオープンに打ち明けやすい。例えば、アルコールを勧められても、「僕はアルコール依存症なので飲みません」とハッキリ断ることができたり、親戚とか身近な人から「実はアルコール依存症で断酒会に通っている」と明かされたら、それを聞いた側も自分には無関係な問題ではないと認識できたり。そうやって、少しずつ偏見が取れてきているんだと思います。

日本にも様々な断酒会がありますが、それ以前に僕が強く感じているのは、日本社会は薬物には厳しいけど、アルコールに対してはとにかく優しいということ。タバコの吸い過ぎとかパチンコ依存にも共通しているかもしれませんが、とにかく飲酒に寛大な社会。僕はいっぱい飲むから、日本のお酒の文化は大好きです。ただ時々、みんなでお酒を飲んでいて「この人、飲みすぎだよなぁ」という人がいても誰ひとり注意しないのを見ると、「うーん、これは違うな」と思う時もあります。

これはお酒の問題だけじゃなくて、社会全体に言えることでもあると思うんですが、日本は「人に口出ししない社会」なんです。ネガティブなことや言いづらいことは徹底的に避ける。「あんた、そんな飲み方したら早死にするぞ」とは言えずに、すごく婉曲的にやんわりと伝えるに留めますよね。

―確かに、日本人はあまり他人に干渉しませんね。

パックン ただ、僕も偉そうなこと言えない。例えば、酒癖が悪くて、飲み会ですぐスタッフを説教するTV局のお偉いさんに対して、僕も口出せないから。アメリカにいたら出せるかもしれないけど、日本で「ちょっと待って!」と言いにくい。

日本人がハッキリ物申さないのは、ある意味、優しさでもあると思うけど、そのせいで本当に治療が必要な人に「もうここまできたら病気だから、あんた治療したほうがいいよ」って言ってあげるチャンスを逃していることも多いんじゃないかと思います。

パックン 表面的にはみんな仲良くやっているように見えるけど、その背景には日本社会の「恥の文化」がある。例えば、精神科に通院しているところが目撃されたら、近所で噂になると恐れてしまう。だから、誰かに相談するとしたら、占いに行ったりする。でも、占い師には医療の資格はありませんよ。アルコール依存症の人たちのほとんどが治療を受けていないのは、そういった文化による弊害もあるんだと思います。

─オープンに語り合って問題の解決に向かおうというアメリカの発想とは反対ですね。

パックン それと、日本はとにかくお酒を飲む機会が多いですよね。意外に感じるかもしれないけど、日本ではご飯を食べに行くと、大体ビールかなんか注文するじゃないですか。でも、アメリカの場合は飲み仲間と行く場合は別として、家族とか同僚と食事に行く時は「お水で」というのが一般的です。お酒を置いていないレストランも多い。

日本はレストランの他、スーパーやコンビニ、お酒を売っているお店がそこら中にある。酒飲みの僕にとってはものすごくありがたいんですけど、アルコール依存症の人にとっては誘惑だらけですよね。お酒に対する寛大さが患者の増加に繋がっている部分もあるのではないでしょうか。

でも、日本は本当に社会を変えようと思えば変わるんです。それは、この20年で喫煙に対する社会意識がどれだけ変わったかを見れば証明済みです。歩きタバコもほとんど見なくなりました。飲酒運転だって激減しています。

今はセクハラ、パワハラに対する啓発が急ペースで進んでいる。だから、飲酒をめぐる環境やアルコール依存症への受け止め方についても、日本社会が大きく変わることは十分にあり得るんじゃないかと思いますね。

(取材・文/川喜田 研 撮影/保高幸子)

●パトリック・ハーラン

1970年生まれ、米国コロラド州出身。ハーバード大学卒業後、1993年に来日。吉田眞とのお笑いコンビ「パックンマックン」で頭角を現す。『世界と渡り合うためのひとり外交術』(毎日新聞出版)、『大統領の演説』(角川新書)など著書多数。フジテレビ『報道プライムサンデー』(毎週日曜日午前7:30〜)、BS−TBS『外国人記者は見た+日本inザ・ワールド』(毎週日曜午後10:00〜)のMCを務める。





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