純丘曜彰 教授博士 / 大阪芸術大学

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昨今、たいていのことがスマホでできる。スーパーやコンビニ、ネット通販での買い物はもちろん、飛行機から電車、バス、さらには自販機まで。いまは個別のアプリを入れて、自分でチャージだのなんだのして、銀行口座から決済。でも、それなら、勤務先から給与を丸ごと全額、直接に、スマホにチャージしてもらってしまった方がかんたんじゃない?

銀行は、本来、金融仲介、信用創造、貸借決済の三つの機能を持つ。しかし、これはおもに業者間の話であって、一般庶民とは関係がない。いや、一般庶民は、ただ、もっぱら信用創造の具として利用されてきた。会社が給与を振り込むことで、銀行は、その振り込まれたカネを、そのまま会社に貸し出し、社会の経済規模拡大を支援してきた。

ところが、巨大資本を必要とする重厚長大産業の時代が終わり、定期的に確実に資金回収できる貸出先が激減。リスクのある先端産業は、フィンテックと呼ばれるような直接金融が主軸。このため、潰れそうな中小企業へのドブ板貸出しどころか、一般庶民の短期の生活つなぎ融資、つまり、サラ金業くらいしか運用先が無くなった。これでは、庶民のカネを庶民に平準化しているだけで、信用創造もへったくれも無い。

貸借決済も、経常的な業者間の掛売り掛買いはともかく、銀行が関わる、建設などのプロジェクトの運転上の手形割引は減って、いまや庶民のクレジットカード決済が中心。実情からすれば、その大半は口座残高からの即時引落としでいいのに、わざわざ月末締めにして、金利相当の手数料を店舗の側から刎ねている。

それでももう首が回らなくなり、金利が付かないどころか、こんどは庶民から直接に利用手数料を取ると言う。それは、銀行が庶民から給与をピンハネするということ。これは、社会的にも信用創造の自殺行為。経済はいよいよ収縮してしまう。それ以前に、庶民が給与を銀行振込みにするのは損とばかりに、銀行以外の直接受取を希望するようになるだろう。

金融仲介、信用創造、貸借決済、この三つの機能の根本は、じつは通信だ。十字軍の昔から、銀行間でのみ確実な通信が可能であり、だからこそ「為替」(数字上の資金移動)が実現してきた。逆に言うと、ブロックチェーン技術などによって確実な通信が可能であるなら、そこに「為替」が成り立ちえ、銀行の金融の独占性そのものが技術的には根本から崩れる。あとは、法律的に、不当に独占性が守られている、というだけ。

昨今の仮想通貨も、つまるところ、近年の通信の安定性の上に成り立っているものであって、トラブルはむしろ通貨管理会社内部で起きる。それなら、既存通貨で通信会社が直接管理した方が、より確実。

もともと銀行というものが、中間搾取の最たるもので、その相手仲介や組換え組上げの便宜が専業の「卸」として自家手配のコストよりも安いのでなければ、個別にも、社会的にも存在意義が無い。だが、実情からすれば、住宅ローンを除けば、庶民の小口のカネのやり取りごときでは、「卸」の流通機能を挟んで条件に合う相手を探したり、資金をまとめたり、ばらしたりする必要が、もともと無い。はっきり言ってしまえば、ずっと昔から庶民は騙され、銀行と重厚長大産業の資金調達に良いように利用されてきただけ。そのインチキが庶民にまで手数料を課すということで表沙汰になってきただけ。

個別のややこしい条件が付いている中古家屋の売買に不動産業者が必要であるように、銀行もまた大口の面倒な金融案件の仲介役として全滅はしないだろう。だが、一般庶民への給与振込みで集めたカネをまた企業に貸し戻す、という前世紀的な銀行のイージーなビジネスモデルは、二度と元には戻らないだろう。それどころか、地方の人口減と過疎化で、不動産担保の時価が実際は激減しており、その評価相当にまで急いで規模を縮小しなければ、社会的な信用不安と経済混乱のひきがね。あとはもう時間の問題。


by Univ.-Prof.Dr. Teruaki Georges Sumioka. 大阪芸術大学芸術学部哲学教授、東京大学卒、文学修士(東京大学)、美術博士(東京藝術大学)、元テレビ朝日報道局『朝まで生テレビ!』ブレイン。専門は哲学、メディア文化論。最近の活動に 純丘先生の1分哲学vol.1 などがある。)