あなたは、「夫から愛されている」と断言できますか?

結婚3年目。少しずつ、少しずつ「マンネリ」に陥ってしまったとある夫婦。

熱烈に愛されて結婚した筈なのに、幸せになるために選んだ夫なのに…。

狂い始めた2人の歯車は、果たして元通りになるのだろうか。

これは、東京の至る所に転がっている、

「いつまでもいつまでも、幸せに暮らしました。」の後のストーリーです。

夫の愛情を取り戻そうと奔走する専業主婦の真希。夫に本音をぶつけるが、話し合いがこじれ夫が出て行ってしまう。自立を決意するも、無残な自分の市場価値に気がつき、起死回生を図ろうと試みる。




「こんにちは!宜しかったらどうぞ」

真希は、子供向けの幼児教室の名前が入った風船を配っている。

自立を試みた真希の就職先は、唯一手を差し伸べてくれた幼馴染・恵梨香の父親が手がける事業の一つである未就学児用の幼児教室。ここは、日本全国にチェーン展開している大手ショッピングモールと契約を結んでいる。

そして休日ともなれば、その幼児教室への勧誘のためにこうして風船を配ったり、ブースを用意して母親たちに幼児教育の重要性をアピールするのだ。

「おたくのお子さんは、理解力がズバ抜けていますね」「この位の年齢でここまでしっかり喋れるのは珍しいですよ…」

そんな風に、言葉巧みに母親たちに向けて教室の勧誘をするのが、横にいる酒井さんの仕事。

そして真希は、その間風船を配ったり子供たちの面倒を見たりするのだ。

ブースには色々な親子がやってきた。

見るからに真面目そうな母親に、キッチリした服装の大人しそうな子供。肝っ玉という言葉がぴったりの、賑やかな3人の子供を連れた大柄のお母さん。自宅周辺では見かけたこともないような、奇抜なファッションに身を包んだ子供たち…。

そんな親子たちを相手にするこの仕事は、全く飽きがこない。真希は自分でも意外なほどに、仕事を楽しんでいる。

そして何より、どんなに個性の違う親子の心でも、あっという間に掴んでしまう酒井さんの手腕に目を奪われていたのだ。

見た感じはただの、人の良さそうな中年の女性に見える酒井さんを1日中横で眺めていて、真希はあることに気がついた。


子供から大人まで、人の心を鷲づかみにする酒井さんの秘密とは?


人間関係のプロ


「酒井さん、本当にすごいです」

その日の仕事を終え、本社に帰る車の中で真希は興奮気味に喋りだす。

「どうしたの。何をそんなに急に」

器用に運転をしながら、酒井さんは少し照れたような表情を浮かべる。その横顔には化粧っ気はないし、美人だとかそういう訳ではないのに、彼女は物凄く魅力的なのだ。

酒井さんと喋った人のほぼ9割が幼児教室への入会か、見学の予約を決めてゆく。真希は営業という仕事を経験したことが無いからわからないのだが、それは、かなり凄いことなのではないだろうか。

酒井さんは、何というか人に何も押し付けない。

ブースに来る母親にも強力に入会を勧める訳ではなく、ただ彼女たちの話を聞いて、相槌を打ったりしている。

自分の時間がないとか、子供の愚痴だとか、そんなものをしっかりと聞くのだ。そしてその母親がどんなに的外れなことを言っていても、一切の批判をしない。




もちろん愚痴を聞くだけではなく、教室の魅力を説明して、その母親が教室に入ればどんなにかメリットがあるかをきちんと説明してゆくのである。

真希に対してもそうだ。

30歳になるまでろくな職歴がないことに関しても眉をひそめたりせず、「あぁそうなのね」とあくまで一つの情報として扱ってくれた。

常識がないだとか一刀両断にせず、真希が絶対に遅刻をしないこと、言われた仕事を真面目にこなすこと、子供に対する笑顔が良いなど、ふんだんに褒めてくれる。

「仕事って、楽しい」

少し前までは健介とのことであんなにウジウジと悩んでいた自分が、幸運にも素晴らしい上司に巡り合えて、仕事を楽しめるまでになった。

もちろん自分が社長の娘の友人だから、という事実が全く無関係という訳ではないだろう。

だが、それでも良かった。

スッキリとした気持ちで窓の外を眺めていると、ふとスマホが鳴る。

それは、健介からLINEの返信だった。


健介からの久々の返信の内容は、一体どんなものだったのだろうか?


意外な申し出


ー健介、この間はごめんね。私、働きに出ることにしたの。恵梨香のお父さんの会社なんだ。

そう健介にLINEを送ったのが、数日前。

既読にはなったが返信はなかったので諦めていたのだが、今になってようやくLINEの返信が来たのだ。

ーこちらも、ごめん。悪かった。今夜話せる?良ければ、『オーク ドア/グランド ハイアット 東京』のテラス予約するよ。




一応「行く」という返信はしたものの、真希の心はまだくすぶっていた。

もちろん、健介の有り難みは分かった。

世間的に見て、どれほど恵まれた生活をさせてくれていたかも、自分が仕事で得られる給料についても理解したつもりだ。謝ってくれたのも嬉しい。

だが、せっかくこちらが意を決して送ったLINEを数日無視することに対しては、腹立たしさや悔しさが残る。

それに、健介は外での食事を指定した。家に帰る気は、まだないのだろうか。

だが、今回の話し合いでは絶対にこの間のような失敗はしない、と真希は強く心に決める。

いくら腑に落ちないことがあっても、酒井さんのように、自分の価値観を押し付けることなく健介と話をするのだ。

「真希!」

健介は先に席についていた。目の前に座り、とりあえずドリンクをオーダーする。

今どこにいるのか、なんで返事が遅かったのか、聞きたいことは山ほどある。だが、口を開けば以前のように感情的になってしまいそうで、真希は何も言い出せない。

すでにビールのグラスを空にしている健介も、何かを言いたそうだが同じように言い淀んでいた。

もう随分と会っていない夫の顎には、うっすらとヒゲの剃り残しが見える。が、スーツが上質なせいか、それほど惨めには見えなかった。

周囲には、幸せそうなカップルや家族連れも多い。自分と健介も、何も知らない他人から見たら順風満帆な夫婦に見えるのかもしれない…。

健介に、今日の仕事のことを報告したい。

素敵な上司に会ったこと、面白い親子のこと、そんなことを笑いながら話したい。

真希には、もう分かっていた。

自分は確かに怒っている。だがそれ以上に、この関係を修復したい。それには、つまらない意地を張っている場合ではない…。

いろいろな思いを胸に、真希はやっとの思いで健介に伝える。

「健介、家に帰ってきて…」

もし少しでも自分に対する愛情が残っていれば、家に帰ってきてくれるだろう。そんな望みに、賭けてみたかったのだ。

だが、健介は驚くべき言葉を口にする。

「真希、俺たちもう、一緒に暮らさない方がいいと思うんだ」

たった今夫が放った言葉が、一瞬では理解できなかった。彼はじっとこちらを見ているが、その本心を推し量ることはできない。

自分たちは、もうダメなのかもしれないと思う。

だが、どうしても諦めきれない自分がいた。

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同居を拒む、夫の本音。真希に新たな出会いがー?