ここはとある証券会社の本店。

憧れ続けた場所についに異動となった、セールスウーマン・朝子。

そこでは8年前から目標としていた同期の美女・亜沙子が別人のように変わり、女王の座に君臨していた。

数字と恋をかけた2人のアサコの闘いの火蓋が、今切られるー。

念願の本店に異動になった中川朝子だが、同期・今井亜沙子は、数字の出来ない先輩に土下座をさせた上に、後輩を追い込んで逃亡させるという傍若無人な女だった。

パワハラで飛ばされた寺島に変わり、新たに着任した課長・島村は、その仕事への情熱で朝子達課員を引っ張って行くが、亜沙子は一人そのやり方に反発する。

その頃、朝子は、亜沙子に屈することなくコツコツと地道な努力を続けていた。




―ついにこの瞬間が訪れた…!

朝子は、興奮しすぎて上手く息が出来ない。だが確かに今日と言う日は、朝子にとって特別だ。それは、営業社員人生始まって以来の快挙を成し遂げた日、と言ってもいいくらいである。

「中川さん、よくやりましたね。」

そう言って島村は、朝子に手を差し出した。朝子は何も言えずに、ただその手を握り返す。

「震えてるじゃないですか?!」

いつもは厳しい表情の島村が、嬉しそうに笑っている。

―新規顧客から25億円の債券約定…!

朝子はこれまでの大変だった日々を思い出し、ぐっと込み上げてくるものを堪えるのに必死だった。



あの仕組債の一件によって、本店内での島村の立場が悪くなったという事は、誰の目から見ても明らかだった。

ある日の夜、隣の二課の課長である佐々木が、島村の席に来て偉そうな態度で話し始めた。

「島村さん、今月の予算は本当に大丈夫ですよね?」

それは、島村課長に言うというよりも、一課の課員達に敢えて聞かせるために言っているようである。

「ええ。大丈夫です。」

島村は淡々と答えた。

佐々木は、”簡単に大丈夫なんて言うな”とでも言いたげに、大袈裟にため息をついて見せる。

「わかってると思いますけど、またこのあいだみたいな大風呂敷広げて、直前にみんなに頭下げてお願いするとかやめて下さいよ。あれ、本当に迷惑ですから。」

佐々木は、自分達のやり取りをじっと見ている朝子の視線に気付いたようで、最後の言葉は朝子の方を見ながら言い放った。

―他の課の課長からあんな嫌味を言われなきゃならないなんて…本当に悔しい。

事実、佐々木が見ている営業二課には紀之がいる。自ら誰よりも数字をやり、後輩も的確に指導する紀之のおかげであの課は回っているのだと、本店内では噂されていた。

課長としての能力は明らかに島村の方が上だと朝子は思うのだが、結局は一番数字が出来ている人間が偉い。

「数字は人格」ここはそういう職場なのだ。

島村が着任してからというもの、“営業一課の本当の実力を証明したい!”と、朝子は強く思うようになっていた。


営業一課の実力を証明しようと必死になる朝子。そんな彼女に島村は?




その日、朝子は嬉しい報せと共に外出先から本店に戻った。そして、真っ先に島村のもとへ行き、興奮気味に話す。

「島村課長。私が開拓の為に通っていた会社の社長から、来週初めて時間を貰えることになりました!」

島村はキーボードを打つ手を止めて朝子の方を向き、驚きの表情を見せた。

「凄いじゃないですか!」

島村は、これが朝子にとって非常に大きな事であるのだと、十分に理解してくれている様だった。

朝子がこの会社を訪問し始めたのは、半年以上も前である。新興企業ではあるものの知名度は既に高く、これまでにも複数の本店社員が開拓を試みては、落とすことが出来ずに諦めてきていたのだ。

朝子は受付の人に顔を覚えてもらったことから、財務の担当者に繋いでもらえる事になり、さらにそこから社長に会えるようになるまでにかなりの時間を要した。

「チャンスは一度きりですからね。社長をビックリさせる様な提案をしましょう。」

島村はいつも通りの厳しい表情を見せつつも、どこか興奮で生き生きしている。朝子も大きく頷いた。

―つまらない提案をしたら、二度と会ってはくれないだろう…。一発で”他とは違う”と思わせる提案をしなければ。

島村は顧客の財務情報を取り寄せ、色んな角度から財務分析をした。そして、この会社の状況からどんな提案が相応しいのか、ロジカルに話を組み立てていく。

それは恐らく、彼女の多様なバックグラウンドがあってこそ成せる業なのだろう。

本社の債券部門や法人営業などの経験を経てきた島村は、朝子がこれまで仕えてきたリテール一筋の上司とは、考え方もやり方も全く違っていた。

ここ数日の朝子と島村は、日々の数字をやり終えた後に会社に残って、二人でどんな提案をしようかと相談している。

残念ながらその殆どは島村が考えているのだが、朝子にとっては、”頭を捻って提案内容を考える”というプロセスにこうして関われるだけでも、十分に得られるものがあるのだった。



二人で大筋の提案を決め終えた日、他の社員は全員帰ったオフィスで、朝子はふと先日の佐々木との一件について口にした。

「島村課長。この間、佐々木課長にあんな風に言われて、私、すごく悔しくなりました。二課には絶対に負けたくないです。」

朝子がそう言うと、島村はいつもの通りの淡々とした口調で答える。

「ああいう人には言わせておけばいいんですよ。」

朝子は少し拍子抜けしてしまった。

―てっきり課長も悔しい思いをしてるのかと思ってたのに…

そんな朝子の表情を見て、島村はふっと笑顔を浮かべる。

「中川さんも、佐々木課長の言葉なんて気にする必要ないですよ。私達は今に全国で一番になりますから。それも、本当に中身のある営業をして一番になります。」

まるでそれは揺らぐことのない事実であるかのように、そう言った。

島村にそう言われると、不思議と近い将来、営業一課が全国でナンバーワンの課になれる気がしてくる。


島村からのアドバイスでやる気を得る朝子。一方の亜沙子は本店長と…?


島村は朝子の目を見ながら、穏やかな表情で続ける。

「中川さんの良いところは素直なところですね。それは営業ではとても大事な事ですよ。それに加えてもっと金融知識があれば、仕事に深みが出るでしょう。」

―今以上の金融知識ってどうやって…?

きっと朝子は、救いを求める様な目で島村を見ていたのだろう。その想いを引き取るように島村は言った。

「本店で働いた後は、どこか専門性が磨ける部署に異動してもいいですね。いい異動が出来るように応援しますよ。」

これまで、ただただ必死にこなしていた仕事。それは、自分が知らなかっただけでもっとずっと奥の深いものなのだ。朝子はドキドキと高鳴る胸の鼓動を感じるのだった。

「この仕事は本当にやりがいのある仕事ですから。」

島村は最後にそう言った。

朝子が足しげく通った会社を開拓し、大口の債券を約定したのはその翌週の事だ。

朝子の大口顧客開拓のニュースは、瞬く間に本店中の知るところとなった。


亜沙子の想い、そして本店長の異動


このところ村上本店長は社内や社外の会食で忙しいらしく、なかなか会える時間がない。

今日は二週間ぶりに二人で会えるので、亜沙子は朝から楽しみにしていた。

村上はいつもスマートに亜沙子をエスコートする。

亜沙子は元来、証券マンにはいいイメージを持っていない。自分の父親も証券マンだったが、長年不倫で母親を苦しめていたのだ。

周りの同僚も、実力以上に自分を大きく見せようとする男性が多い気がする。金遣いもやけに荒いように思えてならない。

富裕層顧客との付き合いが、彼らの感覚を狂わせるのだろうか?

一方で村上は、大口も叩くがそれに見合う成果を出してここまで来ている。この点が亜沙子にとっては、他の男性社員と大きく違うように思えてしまうのだ。

食事をする時、村上は必ず亜沙子に見惚れるような表情をする。そして、”今日も本当に綺麗だね”とか、”亜沙子ほどの美人はこの世にいない”などと言って喜ばせる。

尊敬する男に溺愛されて悪い気がする女などいない。いつしか、亜沙子はそんな誉め言葉を心待ちにするようになっていた。

しかしその日は、席に着いて亜沙子の顔を見ても、村上は何も言わない。

それで亜沙子はふと嫌な予感がしたのだった。

村上は、中身のない世間話をした後、おもむろに切り出した。

「実は次の人事異動で役員になることになったんだ。」

亜沙子は思わず” おめでとう!”と言いかけたが、村上の表情からいい報告ではないような気がした。黙って続きが語られるのを待つ。

「役員になったら、これまで以上に脇をしめてかないといけなくなるよ。陥れようとする奴等が沢山いるからさ…」

―ああ私は、別れを切り出されるのね…

悟ってと言わんばかりの歯切れの悪さから、村上の言いたい事をすぐに察した。

「プライベートについても、何かあったらお互いにただじゃ済まなくなるよ。」

村上は、亜沙子の仕事への執念を最も良く知っている。亜沙子が恋愛のためにキャリアを危険に晒すなどありえないと踏んだのか、この関係のリスクをやたらと強調したがった。

「俺たち、ここら辺が潮時だと思うんだ。」

銃弾が心臓にめり込んだ様な衝撃で、息をするのも辛く感じる。

―数時間前には今日という日をあんなに楽しみにしていたのに…

高くなり過ぎたプライドのお陰で、素直な気持ちなんて言えるはずがない。

奈落の底に落とされた様な絶望感に包まれながらも、どうやって潔い女を演じるかを、必死で考えているのだ。亜沙子は、そんな自分がひどく滑稽に思えた。

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心の支えを失った亜沙子に救いの手を差し伸べる者とは?