近鉄「フリーゲージ列車」開発宣言の舞台裏
近鉄・大阪阿部野橋ー吉野間に導入された観光列車「青の交響曲」。近鉄がフリーゲージトレインの実用化に向けて検討を始めた狙いには、観光客の利用拡大もありそうだ(記者撮影)
5月15日に近畿日本鉄道が発表した1枚のプレスリリースが鉄道業界の話題をさらった。その内容は、近鉄が「フリーゲージトレイン(FGT=軌間可変電車)」の実用化に向けて検討を開始するというものだ。
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線路に敷かれている2本のレールの幅(ゲージ=軌間)は統一されているわけではない。たとえばJR在来線は狭軌と呼ばれる1067ミリメートルを採用しているのに対し、新幹線は標準軌と呼ばれる1435ミリを採用している。京浜急行電鉄、京成電鉄や阪急電鉄のように在来線でも標準軌を採用している鉄道会社は少なくない。
そうした異なるレールの幅の路線を直通できるよう、車輪の左右間隔を軌間に合わせて自動的に変換できる列車がFGTである。海外では実用化されているが、国内ではまだ一部区間の試験走行レベルにとどまる。
近鉄はかつてFGTに消極的だった
近鉄は他社の買収によって路線網を拡大してきたため、路線によって標準軌と狭軌が混在している。今回、検討対象とするのは、京都駅から橿原神宮前駅経由で吉野駅に至るルート。京都線・橿原線(京都―橿原神宮前間)は標準軌、吉野線(橿原神宮前―吉野間)が狭軌。これをFGTで直通運行するという構想だ。実現すれば、世界遺産の吉野山や飛鳥などの観光地に京都から乗り換えなしで行くことができる。
「吉野線についてはFGTだけでなく、狭軌から標準軌への変更、三線軌条方式(狭軌の外側にもう1本レールを敷いて標準軌、狭軌の両方に対応)に改めるなどの方策を長年検討してきた」と、近鉄の広報担当者は説明する。その結果、FGT方式を検討することに至ったという。
【6月11日10時00分追記】記事初出時、「第三軌条」としていたのは「三線軌条」の誤りでしたので訂正いたします。
だが、鉄道業界で古くからFGT開発にかかわってきたある技術者は、「かつて在来線同士をFGTで結ぶ可能性を模索し各社に打診していたときに、近鉄からは『当社はFGT導入第1号にはなりたくない』とはっきり断られた」と明かし、近鉄の心変わりをいぶかった。FGTに消極的だった近鉄が、なぜFGTの検討に傾いたのか。
その理由は国土交通省主導で行われてきたFGT開発の動きに見て取れる。FGTの最適な使い道として注目されてきたのが、2022年度に開業が予定されている九州新幹線・長崎ルート(通称・長崎新幹線)だった。全線フル規格ではなく、新鳥栖―武雄温泉間は在来線へ乗り入れることになっている。
在来線の三線軌条区間を走行する秋田新幹線E6系(写真:lvdi/PIXTA)
山形新幹線と秋田新幹線も、それぞれ福島駅、盛岡駅から在来線に乗り入れる。新幹線と在来線を直通させるため、在来線のゲージを標準軌に広げたり、三線軌条を敷いたりといった大工事を行い、新幹線と在来線の直通を可能にした。これはミニ新幹線方式と呼ばれる。
長崎新幹線は当初ミニ新幹線方式やスーパー特急方式(高規格の在来線)が想定されていたが、その後FGT方式で建設が進められることになった。在来線区間の大掛かりな改軌工事に比べれば、車両開発コストを含めてもFGTのほうが安上がりであることに加え、東北の路線と異なり在来線区間の鉄道利用者が多いため、そもそも日中に鉄道を運休させて改軌工事を行うのは難しいという事情があった。FGTでも線形の悪い箇所の改良工事をする必要はあるが、その範囲は最低限で済む。
四国の在来線で走行試験を行ったフリーゲージトレイン第2次車両(記者撮影)
FGTの開発は1990年代からスタートし、これまでに3タイプの試験車両が製造された。第2次試験車両は在来線の耐久走行試験をクリアし、実用化を前提とした第3次車両が2014年に完成した。FGTは従来の車両とは構造が異なるため車両重量が線路に与える負担の大きいことがネックとなっていたが、第3次車ではその点も通常の車両と遜色ないレベルまで改善された。
JR九州はFGTに見切り
しかし、第3次車は新幹線・軌間変換・在来線の3モード耐久走行試験の過程で軸受けと車軸の接触部に摩耗痕が見つかり、試験は中断。対策を講じたうえであらためて走行試験を行ったが、改善に時間を要し、2022年度の開業時にFGTが間に合わないことが明らかになった。長崎新幹線は武雄温泉駅で在来線と新幹線を乗り換える形でスタートすることになった。
2014年に登場したフリーゲージトレイン第3次車両(記者撮影)
しかも車両維持に多額の費用がかかることが新たに判明し、運行を担うことになるJR九州(九州旅客鉄道)の青柳俊彦社長は、「FGTによる運営は困難だ」と発言、長崎ルートへのFGT導入を事実上断念した。現在の長崎新幹線はフル規格も視野に入れながら検討が進められている。
北陸新幹線でもFGTの導入が検討されていた。フル規格による全線開業までのつなぎ措置として、2022年度の北陸新幹線・金沢―敦賀間開業時に、敦賀―新大阪間について、FGTが在来線の湖西線を走るという構想である。長崎新幹線向けのFGTをベースに寒冷地仕様の改造を施す予定だった。
長崎ルートがFGTの導入断念を明確化した以上、北陸新幹線への導入も非現実的だが、運行を担うJR西日本(西日本旅客鉄道)の来島達夫社長は「引き続き動向を見守りたい」と明言を避けてきた。しかし、5月24日の会見で、「開業まで5年を切っている段階での導入は難しい」と発言、こちらも事実上のFGT不採用宣言となった。
こうした情勢下にあっても国交省は車軸摩耗対策の研究を継続しており、将来の実用化への望みを捨てていないが、長崎新幹線や北陸新幹線が望み薄となり、FGTはどの路線を走るのか。そこに飛び出したのが、近鉄のFGT検討宣言である。
軌間変更が可能なフリーゲージトレインの台車は非常に複雑な構造をしている(記者撮影)
これまでの消極的態度から一変して、FGTに前向きになった理由について近鉄側は「さまざまな検討を重ねた結果、この日の判断に至った」としか語らない。一方で今後については、「国交省と相談しながら検討を進めていく」としている。
そこで、国交省でFGT開発を所管する技術開発室に問い合わせたところ「近鉄のリリースに記されている情報しか承知していない」との回答があった。「今後の進め方についても何も決まっていない」という。
来年度以降の予算獲得がカギ
つまり、詳細は何も決まっておらず、性急に事が進んだようだ。「近鉄が独自に開発を進める」という報道もあったが、近鉄は新型名阪特急の導入などで投資がかさんでおり、「FGT開発に大きな資金は投入できない」と見る関係者は多い。
逆に国交省には近鉄にFGT開発を進めてほしい理由がある。それは予算の問題だ。路線の改良よりは安上がりとはいえ、FGT開発にもこれまで400億〜500億円の国費が投入されている。
今後もFGTの開発を続けるためには、来年度以降の予算獲得は不可欠。新在直通のFGTが暗礁に乗り上げた今、在在直通のFGTを同時に検討することで実現可能性を高める意図が働いてもおかしくない。財務省との予算折衝は夏ごろから始まるので、逆算すればこのタイミングしかないわけだ。
なお、近鉄はFGTの開発を「ほかの鉄道事業者とともに進めていきたい」としている。JR西日本は「近鉄との共同研究は考えていない」(来島社長)とする。また、かつて四国の政財界もFGTによる四国新幹線の実現をもくろんでいたが、現在はフル規格による新幹線導入を待望しているので、JR四国(四国旅客鉄道)が手を挙げることも考えにくい。では、ほかにどのような鉄道事業者が考えられるだろうか。
出所:東洋経済作成
その1つが東京急行電鉄だ。東急多摩川線矢口渡付近から京浜急行電鉄空港線経由で羽田空港に乗り入れる「蒲蒲線」構想の実現に意欲を燃やすが、東急は狭軌、京急は標準軌と、軌間が異なるためその乗り入れ方法が課題の1つとなっている。東急は「現時点でFGTの検討は考えていない」(IR担当者)と言い切るが、もしFGTが実用化されれば、蒲蒲線構想が一気に進む可能性は高い。高速走行をしない分、在在直通のFGTは、新在直通のFGTよりも技術的なハードルは低そうだ。
遮断機が下りないトラブルも
しかし、かつて日豊本線でFGTの走行試験が行われた際、信号設備が車両の走行を感知できず踏切の遮断機が下りないという危険なトラブルがあった。JR九州の青柳社長は「対策が講じられた今の試験車両ではそうしたトラブルは起きない」としたうえで、「走行試験は徹底的にやったほうがいい」とアドバイスをする。
もしFGTの検討が本格的に進めば、橿原神宮前駅にFGTの軌間変換装置を設置したうえで、試験車両を用いた走行実験が行われることになるだろう。これまで同様、開発費用は国が負担することになるかもしれない。その費用は決して安いものではないはずだ。今回の近鉄のFGT検討が、風前の灯火となっている新在直通のFGTの延命策でないことを祈りたい。