今や引く手あまたの若手エンジニアやデザイナー。彼らにとって魅力的な職場づくりに、積極的に取り組んでいる。

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ゲームアプリ「モンスターストライク」で絶好調のミクシィ。かつてのSNS中心から業態転換して再成長した会社には、社員の働き方を支える仕組みがあった--。

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メイン事業の変遷で社内にも変化が
1999:前身のイー・マーキュリー創業。IT系求人情報サイト「Find Job!」の運営がメイン。
2004:SNS「mixi」の正式提供を開始。
2006:社名を「ミクシィ」に変更。
2013:スマホ向けアプリ「モンスターストライク」の提供開始。
2014:執行役員の森田さんが社長に就任。赤字から一転、過去最高益に。
2015:ゲーム・映像コンテンツの「XFLAGスタジオ」を立ち上げ。

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■「共走」して向き合うが、「要望」は聞きすぎない

若手のウェブエンジニアやデザイナーは、今や引く手あまた。そんななか、社員の働きやすい環境をつくるために専門部署をつくった会社がある。それがミクシィだ。

同社には「はたらく環境室」という部署が存在する。1969年の発足以来、多くの組織が参考にした「すぐやる課」(千葉県松戸市)にちなんだ部署だ。どんな業務を行うのだろうか。

「社員の入社から退社までの人事・労務をすべて担います。働きやすいよう執務環境を整え、就業規則もつくります。つまり法務・経理以外の業務サポートを行う部署で、ミッションは『会社の業績』と『組織のパフォーマンス』を上げることです」

室長の橋本貴史さんはこう説明する。スタートしたのは2014年で、ゲームアプリ「モンスターストライク(以下モンスト)」がブレイクし始めた時期。まずはルールも含めた社内システムの見直しから取り組んだ。

「当時パソコンはウインドウズのデスクトップが主流で、マッキントッシュは全体の1割程度。ノートパソコンもあまり配布していませんでした。管理しやすいという理由でしたが、ルールや管理体制を一新し、現在はマックブックが主体になっています。管理側の視点で行うことが、働きやすさを阻害するのなら変えよう、と」

取り組みが加速したのは、森田仁基さんの社長就任の影響が大きかった。一般社員として入社後に実績を積み、部長→執行役員→社長となった森田さんは、人事部長も兼ねていた。社長直轄となった「はたらく環境課」(当時)は、労務、総務部門を吸収し、従業員が勤務するために必要な制度や契約といったソフトから、設備などのハード面まですべてをワンストップで運営する部門として改革が進めやすかったのだ。

■随所にソファや交流スペースを設けた狙い

課が発足して以降も、業績は拡大して従業員も増えた。オフィスは手狭となり、現在は東京都渋谷区内の徒歩数分の距離にある、3棟の大型ビルに入居している。後述するが、19年冬の本社移転を控えた状態である。16年に3つ目のビルに入居する際も、「はたらく環境課」が中心となり執務環境を整えた。ただし事前に社内アンケートは取らなかったという。

「アンケートには、たとえば『シャワールームや仮眠室をつくってほしい』『最寄り駅に近づけて』など、予算や現実性の面で不可能な声も多いのです。業務改善で急いで対応してほしいことは直接言いに来るので、そうした声に向き合いました」

今回の取材で、3つのビルすべてを回った。興味深いのは、随所にソファや交流スペースが目立つこと。会議室もガラス張りで外から見えるものもある。

「ソファを多く置くことで、社内コミュニケーションの活性化をめざしました。現在のように3つのビルに分かれていると、どうしても社員同士が交流する機会が減ってしまう。少しでもそれを解消したいと考えたのです」と橋本さんは振り返る。

働く社員はどう感じているのか。複数のIT企業でエンジニア経験を積んだ中山里紀さん(対戦型ゲーム「ファイトリーグ」の開発マネージャー)は、現場経験を踏まえて話す。

「エンジニアにとって開発環境は大切ですが、不都合があったときの会社の対応は早い。たとえばマシンの手配や必要なソフトウェアの購入も、上長が承認したウェブ上の“依頼チケット”を出せば手配してくれます。仕事用のイスも以前に比べて座り心地がよくなりました。追い込み時期は十数時間も座るので、細かい配慮はいいですね」

「はたらく環境室」では、設備や会社の備品を「全体最適」と「部分最適」で使い分ける。ソファで社員の交流を促しつつ、作業に没頭できる机とイス中心の部屋も用意した。

パソコンなどは全社共通で提供し、業務の特性に応じて導入・管理するものは各部署に委ねる。予算とルールがあるが、裁量の自由度は大きいようだ。

福岡県出身の中山さんは、新卒で地元企業に就職。地方自治体向けの選挙用ソフトの開発に携わり、その後、ソーシャルゲームを開発する会社に転職してエンジニアとして働いた。そして15年のミクシィ入社を機に、それまで暮らした福岡県を離れて上京した。

「経験者として採用され、入社半年でマネージャーに昇格しました。現在は管理業務が中心で、『ファイトリーグ』事業のタスク管理やメンバーのスケジュール管理をする一方で、事業の将来性を見越した取り組みも行います」

■退社したら電話やメール連絡からも解放

部下との対話で重視するのが「ワン・オン・ワン」(1対1の面談)だ。「スタッフの年齢は幅広く、新卒1年目から5年目までの20代もいれば、10年を超える30代もおり、経験や性格に応じて話す内容を変えます。人前で自分を主張しない人もいるので、本音を聞き出し、会社のめざす道と、部の方向性を共有して、進行状況を把握しています」

部署はフレックスタイム制で、基本の勤務時間は10時〜19時(コアタイムは10時〜15時)だ。「当番制をとっているので、当番以外のエンジニアは、退社したら電話やメール連絡からも解放されます」

中山さん自身も、徐々に「働き方改革」をしてきた。「20代の頃はがむしゃらに働き、休日出勤も当たり前でしたが、30代に入り、『同じ働き方では自分が伸びないし、得られるものもない』と意識を改めました。マネージャーとして、自分のハンドリング次第でスタッフの働き方も変えられる。最近は、マネジメントの本も読むようになりました」

現在は部下8人、協力会社を含めて25人のスタッフを束ねる。

「社外の比率が高いのでメンバーの融合を考えながら、私自身は一歩引いて見守っています。会社や事業における将来のビジョンを共有し、チームワークを大切に運営したいと思います」

■直属上司が社長で、言いやすかった

2016年に中途入社した小林千絵さんは、現在、IT・ウェブ業界向けの求人情報サイト「Find Job!」のデザイナーをしている。

「ミクシィは6社目ですが、これまでの仕事に比べると、業務の幅が広くて刺激になります」

今はほぼ定時(10時〜19時)勤務で退社できている。「仕事のこなし方は早いほう」と自負する小林さんだが、もう1つの理由もあった。

「入社したときのプロジェクトリーダーが社長(ミクシィ・リクルートメント社長の鈴木貴史さん)で、『通常業務で対応できない仕事量を負担させる気はない』という方針でした。業務量が大幅に増加すると『こなしきれません』と言うこともできたのです」

入社した当時は会社の変革期で、「エンジニアを大量採用して職場環境を整える時期でした。『Find Job!』はミクシィ創業期からの事業ですが、同世代も多く、スムーズに新しい職場になじむことができました」と話す。

学生時代は自他ともに認める“ゲーマー”だった小林さんは、特技を生かして、卒業後は3D系のコンシューマーゲーム会社などで働いてきた。大手ゲーム会社の勤務経験もあるが、ミクシィグループはまた違うという。

「社内の“コラボレーションルーム”に、横になれる畳スペースがあったのは新鮮でした。以前の会社では激務に追われたとき、昼休みに“お昼寝カフェ”を利用していたので(笑)」

業務サポートにも満足している。「デザインに使うフォントなど必要なものが足りない場合、上長の承認があれば、『はたらく環境室』がすぐに用意してくれます」

恵まれた環境に甘んじず、デザイナーとしての勉強は欠かさない。

「退社後も本を読んだり、手を動かすコーディング(プログラムを書くこと)もする。自分の好き嫌いではなく『ユーザーが利用しやすい』デザインの作成がモットーです。だから、スマホは娯楽ではなく情報収集。一見、ゲームをしているように見えても、デザインの流行りや操作におけるストレスはどうかをチェックしています。視野を広げるため、美術展にも行けば、IT・ウェブ会社のインスタレーション(現代美術の手法の1つ)にも行きます」

■ITで「つなげる会社」は、社員同士も「つなげる」

現在のミクシィは、事業が多角化している。SNS時代のさきがけだった「mixi」(04年サービス開始)主体から変わり、「モンスト」(13年開始)の拡大でゲーム事業が大黒柱に育った。家族向けの写真、動画の共有アプリ、女性向けのビューティアプリなど新規事業も立ち上がった。業態の中身はスタートアップ当時からガラリと変わったが、根底にあるコンセプト「人と人をつなげる」は変わらない。中山さんが関わる対戦型ゲームも、小林さんが携わる求人情報サービスもそうだ。

起死回生となった「モンスト」スタジオのエグゼクティブプロデューサーも務めた森田さんは、こう振り返る。

「SNS事業が厳しくなり、13年に上場以来初の赤字を計上した時期に、一緒にやってきた仲間が次々と去っていきました。そこから未経験だったスマートフォン用ゲーム事業に乗り出し、会社は巻き返したのですが、当時と今で社員総数はあまり変わっていません。社長になるときに『誰バスの理論』(誰をバスに乗せるか)を考えましたが、新しい人を次々に入れるよりも、現在いる社員中心で頑張ろうと――。それがミクシィの企業風土でもあったのです」

他社から移った中山さんや小林さんと、以前からいる社員との間に違和感がないのはIT企業らしさでもある。99年設立の会社で、一番年上の女性社員でも40代という若さだ。

「世の中に多くの人がいる中で、同僚として知り合うのは奇跡的ですから、本来、チームメイトであるべきです。限られた時間や人材を外に向けないで、内向きにするのは許しません。もし、社内で派閥をつくれば、役職者なら役職を返上してもらいます」

■ミクシィは「新しい文化」をつくるのがミッション

森田さんはこう話し、熱っぽく続ける。

「ミクシィは『新しい文化』をつくるのがミッションです。価値を提供すべきは、外のお客さんで社内の上司ではない。せっかく社長になったので、この方針を徹底しています」

社員全体では男性が多いが、女性登用も進んできた。たとえば「モンスト」急拡大中に産休に入った女性社員は、復帰後に実績を積んでマーケティング部長に昇格した。

「女性比率を増やし、サービスにも多様性を出したい」と語る森田さん。新卒でも女性採用は意識している。17年に入社した総合職10人のうち、男性は1人。残り9人は女性だったという。

「社員の働きやすさをサポートする立場でいえば、子育て時期の女性社員への支援はとても大切です。昔の日本と違って、今は夫婦2人で子育てを行うのが基本ですし、悩んだら、スタッフの7割が女性であるウチの部署が相談に乗っています。安心して働き、女性ならではの感性などを仕事に生かしてほしい」(橋本さん)

ミクシィと「はたらく環境室」にとって、一大プロジェクトが19年に控えている。19年の冬に向けて、渋谷駅近くに建設される大型ビルに本社機能を移転させるのだ。3つのビルに分散入居の不都合も解消され、部門間を隔てている“カベ”も消える。より働きやすい会社を追求する先にあるのは、「人と人をつなげる」ことの未来形だ。

(経済ジャーナリスト 高井 尚之 撮影=市来朋久、伊藤菜々子)