仕事と家事の両立にみんな悩んでいる(イラスト:熊野 友紀子、デザイン:新藤 真実)

「体力の限界だった」――。

坂上由香さん(仮名・35歳)は、ため息をつく。坂上さんは昨秋、大学卒業後10年以上勤めた大手金融機関を退職した。

学生時代からキャリア志向が強かった坂上さんは、就職活動で人気ランキング上位の大手金融を志望、見事に内定を勝ち取った。100人以上いた総合職の同期社員のうち、女性は1割だけだった。

総合職の社員は20代で地方に飛ばされるのが慣例。同期が次々と地方に赴任するちょうどその頃、坂上さんは結婚して妊娠が発覚。会社側が便宜を図ってくれ、東京勤務を継続することになった。

東京から名古屋、さらに埼玉へ転勤

修羅場は3年後に訪れた。

「これ以上、特例で東京勤務を続けてもらうことはできない」

名古屋への転勤を言い渡された。外資系金融機関に勤める夫は東京を離れられない。3歳の長男を連れて三重・津市の実家に住み込み、往復約4時間かけて名古屋まで通勤する生活を続けた。


関東圏への転勤を上司に何度も掛け合い、ようやく認められたのは4年後。第2子の長女の出産・育休を終えたタイミングだった。赴任先は埼玉・大宮支社。ただしフルタイム勤務だった前任の業務をそのまま引き継ぐため、上司からは「時短勤務を利用するのはやめてほしい」と言われた。

大宮支社への通勤時間は片道1時間強。毎朝5時起床、7時に長女を保育園に送って出勤。フルタイムで18時まで働き、保育園の迎えにダッシュ。夕食後には息子の宿題を見て、子どもの就寝後の22時から24時までに洗濯などの家事と持ち帰った仕事をこなした。

夫も激務で深夜帰りが続き、とても頼れない。その生活を2年間続け、感じたのが体力の限界だ。「環境改善の希望が見えたら会社に残ったが、兆しが見えなかった」(坂上さん)。息子に頼られるのも、せいぜいあと数年。その間寄り添ってあげたい気持ちもあった。

結局、会社を退職。今は週3日、定時で帰れるNPO法人で働いている。

安倍政権が掲げる「女性活躍」推進は、夫婦にとっては共働きが続けやすい社会といえる。同政権下で2016年4月、女性活躍推進法が全面施行。公共団体や民間企業に、女性活躍に向けた目標と行動計画の策定が義務づけられた。女性採用や育成に取り組む企業の裾野は確かに広がっている。

ただし、夫婦ともに企業勤めである場合、冒頭のような育児のほか、介護のような負担が加わると、生活のバランスが一気に崩れてしまう現実もある。しわ寄せが来やすいのは、主に育児と家事を負担している女性だ。


子育てをしながら長時間労働や転勤に耐えるのは至難です(写真:プラナ / PIXTA)

女性がつまずくポイントはいくつかある。保活はいまだに激戦。無事入園できても、子どもの体温が「37.5℃」を超えると、仕事中に容赦なく呼び出しがかかる。いわゆる「37.5℃の壁」だ。

子どもの小学校では平日行事にかり出され、学童保育に「行きたくない」という子どもに悩まされる人も。夏休みなど長期休暇に入った子どもの過ごし方にも気を配らねばならない。

『週刊東洋経済』は6月4日発売号で「共働きサバイバル」を特集。1億総活躍が叫ばれる中、共働きがつまずく実態やその背景について詳報している。

第1子出産前後に約5割の女性が退職

総務省の調査では、専業主婦世帯数は減少傾向である一方、共働き世帯数は上昇傾向が続いている。ただし女性の出産後の就業形態を見ると、パート・派遣の割合が増えているものの、正社員の割合はほぼ横ばい止まり。直近で上昇基調とはいえ、第1子出産前後の就業状況では、約5割の女性が退職している。

もちろん仕事のスタイルは多様。パート・派遣に加え、最近ではフリーランスといった働き方も増えている。ただ企業で継続的に働きにくい環境が残れば、家計はぐらつきやすい。

なぜ、夫婦の共働きがつまずくのか。妻の労働意欲や夫の家事・育児参加の不足、職場の上司の無理解、保育園不足――。メディアでは頻繁に個別の事情が“犯人”扱いされ、やり玉に上げられる。ただし、そうした個々の状況の背後に、より大きな社会構造の課題が横たわる。それは日本企業特有の雇用システムである。

日本企業では、正社員になれば年功序列で昇進し、定年まで不安なく働ける状況が続いてきた。代わりに会社への忠誠や帰属意識を求められ、業務が過剰になっても何とか頑張ってこなし、転勤を言い渡されても断りにくい。長時間労働もはびこり、職場は主に男性中心。この日本型雇用システムこそ、共働きと子育ての両立を妨げていると多くの専門家が指摘する。

「日本の雇用システムは職務や勤務地、労働時間が明確に定められていない『無限定正社員』が特徴。その結果、夫は長時間労働や辞令による転勤を余儀なくされ、妻は専業主婦で家庭を守るというモデルが今も強く残っている」。慶應義塾大学の鶴光太郎教授はそう指摘する。そうした多くの職場では、育児など家庭の事情でついていけない女性が今も職場から去っていく。

この問題の根因を改善すべく、国も動いている。長時間労働是正に向け、残業時間に上限を設けるなどの働き方改革を推進。5月31日には、働き方改革関連法案も衆議院を通過した。「1億総活躍社会」を旗印に、共働きを続けやすい職場への転換を企業に促している。

しかし、国がいくら残業時間の上限を設定しても、「あくまで過労死ラインの設定であり、生活を守るための規制ではない」との声もある。

“イクメン”もてはやされても、育児や家事は妻任せ

肝心の経営者や管理職社員の意識が追いついていない職場も少なくない。その結果、夫の長時間労働は続き、“イクメン”がもてはやされる一方、育児や家事は妻任せという状況も残る。


さらに会社の都合による転勤や平日昼間に会合がある学校のPTA活動など、社会の隅々に根付く“専業主婦前提”の慣習も、共働き社会への足かせとなっている。

働く母たちの退職は、企業にとっては今後死活問題になりかねない。特に中小企業では人手不足が深刻化。人材流出は競争力低下に直結する。まず必要なのは、女性がどんな状況に置かれているか、その現実を職場の上司も同僚もきちんと見据えることだろう。

『週刊東洋経済』6月4日発売号(6月9日号)の特集は「共働きサバイバル」です。