ー女は、家庭に入って夫を影で支えるべきだ。

経営コンサルタントとして活躍していた美月のもとに、ある日突然義母から突きつけられた退職勧告。彼女は専業主婦となることを余儀なくされた。

内助の功。それは、古くから手本とされている、妻のあるべき姿。

しかし、美月は立ち上がる。

いまや、女性は表に立って夫を支える時代だと信じる彼女は、経営難に直面した嫁ぎ先をピンチから救うことができるのか?

先週「専業主婦なんてもったいない」と言われても揺るがない、自分の気持ちを再確認した美月。

歯科医院の立て直しについても、いよいよ本格的に動き始めたのだった。




「美月、やったよ!」

豊は、玄関の扉を威勢良く閉め、廊下をドタバタと走りながらリビングに入って来た。

その手には、ケーキが携えられている。

豊は、ケーキの箱をブンッと美月に差し出し、とびきりの笑顔を見せた。箱の中のケーキは無事だろうか。美月は心配になったが、後で豊と一緒に開けようと思い直してひとまず冷蔵庫にしまった。

「美月にゆっくり話したいことがあるから、ご飯の前にシャワー浴びてくる」

そう言うと、豊はまたまたドタバタと浴室に去って行く。豊がシャワーを浴びている間、美月のスマホはブルブルと振動が鳴り止まなかった。

さっきから義父母からのLINEが飛び交っているのだ。

義母からは、うさぎが踊っているスタンプが連投され、また、いつの間にかLINEを始めたらしい義父からも、クマが喜んでいるスタンプがひっきりなしに送られてくる。

理由はさっぱり分からないが、良いことがあったに違いない。浴室からは豊の鼻歌まで聞こえてきた。

-ほんと、単純で愉快な人たち…。

美月はクスリと笑い、豊の「話したいこと」とは一体どんな良い知らせだろうかと、心躍らせながらご飯を食卓に並べる。


豊がハイテンションな、その訳とは…?


I love you


シャワーから上がった豊は、フワフワした髪の毛をバスタオルで拭きながら、「今日はちょっと飲みたい気分かも」と、冷蔵庫から冷えた缶ビールを取り出す。

あまりお酒に強くない豊が自分から飲みたがるのは、ずいぶん久しぶりのことである。

「珍しいじゃない。そんなに良いことがあったの?」

豊はお待たせしましたとばかりに、缶ビールをプシュッと開けて、ゴクリと飲み、嬉々として話し始めた。

「新規患者数がメキメキと増えて来たんだ」

かつては月の新規患者数が10名を切り、瀕死状態に陥っていた山内歯科。

義父がその事実を告白してから、美月はこの現状を打開するため、あらゆる策に取り組んで来た。ホームページの開設や診療時間の変更に加え、企業の健康組合との提携。

豊の英語力を活かして英語対応可能にしたし、簡単な英会話ならと、美月もスタッフ用に英会話マニュアルを準備したりした。

そうしているうちに外資系企業や各国大使館の間で広まった好意的な口コミのお陰か、外国人患者も増え、豊の活躍の場はぐっと広がったのだ。

といってもまだまだ軌道に乗ったとは言い難いし、そう簡単にうまく行くわけじゃない。

しかし少しずつではあるが、その成果が出てきたらしい。

「美月、本当にありがとう」

豊は目を真っ赤に充血させながら、美月の方を向く。

「お酒のせいだよ…。久しぶりに飲んだから」

そんな下手なはぐらし方をする豊を見つめながら、美月は幸せを噛み締めるのだった。




「あっ…!」

ディナーを終え、豊が買って来たケーキの箱を開けた美月は、思わず感嘆の声をあげた。

プレートには“I love you”の文字が書かれているのだ。

豊に振り回されたケーキは何とか持ちこたえたようだ。大きなイチゴとともに、美月を喜ばせてくれた。

『マリアージュフレール』のフレンチブルーとともにケーキを頬張りながら、少し酔いの回った豊が美月の肩を抱き寄せた。

「俺、幸せ者だなぁ」

2人の間に甘いとろんとした空気が流れ、久しぶりのロマンチックな空気に酔いしれる。

そのとき、それを遮るようにけたたましくスマホが鳴った。それは義母からだ。そして、なぜかテレビ電話なのだ。

「も、もしもし…?」

画面には、義父と義母の顔がドアップで映し出される。美月がギョッとして言葉を失っていると、義母はテンション高く話し始めた。

「美月さん、聞いた?新規患者数が増えているんですって。私たちのおかげね」

義父もずいぶん嬉しそうである。

「今度の土曜日、我が家でお祝いしよう」

その後も2人は画面越しでキャッキャと騒いでおり、電話をしてきた意味もなく何を話しかけても反応がない。

画面越しの2人を笑いながら見つめていた美月と豊は、静かに電話を切った。

きっと、2人は電話を切られたことにも気づかず、踊っていることだろう。


今まで明かされることのなかった義母の本音とは…?


“理想の嫁”


迎えた土曜日。美月は、お祝いの準備をするために早めに実家に来ていた。

支度に取り掛かる前は、義母との恒例のお茶タイムだ。

今日のおともは、『榮太棲總本舗 本店』の黒豆大福。榮太棲といえば、ピーセンや飴が有名だが、この黒豆大福はじめ、生菓子も絶品だ。

「茶柱が立ったわ!縁起が良いわね」

有田焼の美しい湯呑みにお茶を注ぎながら、義母が嬉しそうに美月に話しかける。

「美月さん、私、あなたから色々と学ばせてもらったわ。今の時代、妻は夫と対等に話せないといけないわね」

予想外の言葉に戸惑っている美月に向かって、義母は「さあさあ、召し上がって」と、大福を勧めながら続ける。

「私ね、一さんから仕事の話をされたことがないの。 私がポンコツなのもあるけど、一さんも“女に仕事の話なんてしても無駄”って思っていたのだと思うわ」

美月は、初めて明かされる義母の思いに、ただただ驚いた。

そして義母は、美月がやってきて初めて、義父が仕事の話をするようになったのだと話した。あいにくそれは経営不振の話で、決して良い話ではなかったのだけれどー。

「言うべきところはしっかり言うけれど、相手の立場も尊重する。そして、理路整然と話す美月さんの姿が、一さんを次第に変えていったのよ」

そこまで話すと、義母は思い出し笑いをするように、楽しそうにほほ笑む。

「豊にとって…いえ、山内家にとって、美月さんは“理想の嫁”だって。一さんがこの間言っていたの。私も強くそう思うわ」

-お義母さん…。

義母の話を聞きながら、目頭が熱くなっていく。

「これからも、豊のこと、家庭でも仕事でも支えていってほしいわ」

そう言って、義母は大福をパクリと頬張った。



その後、義母と美月が夕食の支度をしていると、鬼の真紀子から、謎の電話があった。

山内歯科を応援すると言い出したのだ。何か手伝えることがあればとまで言っていた。あれだけビルを乗っ取るだの騒いでいたのに、どういう風の吹きまわしだろうか。

後から分かったことだが、真紀子の息子・啓太は、医学部時代を過ごした宮城県で僻地医療に携わりたいと、宮城に行く覚悟を決めたというのだ。

あの時、真紀子が言っていたとおり「啓太が開業したがっている」ことに間違いはなかったのだが、啓太が言いたかったのは「病院のない地域で開業する」という意味だったらしい。

そんな息子の志も知らず、自分の権益のために赤坂のビルに開業を持ちかけた真紀子に呆れた啓太は、予定より早く宮城に行くことを決めてしまったという。



「美月さん、今日はしこたま飲もうじゃないか」

そう言って、シャンパンのコルクをポンッと抜いた義父。

「ちょっと今日は…」

美月が答えに窮していると、豊が「今日は僕が代わりに」と、遮った。

シャンパンを一口飲んだ豊は、声高らかに話し始める。

「実は、僕からご報告があります。この度、美月が妊娠しました」

そう。つい最近分かったばかりだが、美月は妊娠2ヶ月。今日はこのことを報告しなければと思っていたのだ。

一瞬の間を置いて、義父と義母が騒ぎ始めた。

「なんて、ハッピーハッピーなニュースなんでしょう!美月さん、無理しないで。私が何でも手伝うから」

「賢い美月さんに似ますように…」

そんな山内家の人々の様子を見つめながら、美月はそっとお腹に手をあてた。

Fin.