あなたが大阪に抱くイメージは、どんなものだろうか?

お笑い・B級グルメ・関西弁。東京とはかけ離れたものを想像する人も少なくないだろう。

これは、そんな地に突然住むことになった、東京量産型女子代表、早坂ひかりの大阪奮闘記である。

東京から大阪に転勤することになったひかりは、結婚を視野に入れていた隆二と離れ離れに。

大阪で孤軍奮闘することを決意したが、先輩の淳子から大阪鉄の掟を叩き込まれて意気消沈。

そんなとき隆二に浮気疑惑が発覚し、ショックを受けたひかりはミスを犯し、休みをとって東京に帰ることにした。




金曜日の昼下がり。大賑わいの新大阪駅で、ひかりは551の行列に並んでいた。

大阪に来て1か月と少し、この週末に帰ることは引っ越し前から決めていたこと。午後休をとり、2.5日のプチ帰省だ。

浮気疑惑が発覚してから隆二との間に流れる空気は重たかったが、結局今回もひかりが歩み寄る形で消火した。決して100%心が晴れたわけではないが、「早く会いたい」と電話口で言われると、素直にうれしい。

―それにしても、この1か月はいろいろあったな。

大阪の勝手がわからず注意を受けたり、不注意で最悪の手配ミスをしてしまったり、情けないことも多いが、最近では確かな手ごたえのようなものも感じ始めている。

「いいこと教えたる。大阪は、加点方式やで!」

ドン底にいる時に淳子がかけてくれた激励は、今の心の支えだ。

加点を得るには、まずは現場を知ることだと、通常業務に加えて土日返上で店舗に顔を出すように努めた。すると、スタッフも次第に心を開いてくれるようになり、会話も増え良好な状態になりつつある。

一方、絵美子のことについては、未だ頭を抱えていた。

二股疑惑の勘違いから「あんたのこと認めへん」、と宣言されて以降、避けに避けられ、まだきちんと話せていないのだ。

勘違いの原因となった太郎からは、「茶化すつもりじゃなかった、ごめん。」とメッセージが来たが、こちらも急に変な態度をとったことを謝ったきり、連絡は取っていない。

きっと絵美子は太郎のことが好きなのだろう。ひかりが池上まりやの悪い噂をネット検索してしまうのと同じように、絵美子もひかりを攻撃したいのだ。

―だけど、私と太郎くんの場合は本当に勘違いなのに。

思わず、ため息が漏れる。

「新幹線乗ったよ、18時ちょっと前にそっちに着きます。早く会いたいよー!」

大阪でのもやもやを断ち切るように送ったメッセージは、すぐに既読になった。


久しぶりのデートを楽しむひかりが知ってしまった、彼の秘密とは?


「豚まん8個って、いくらなんでも買いすぎだろ!」
「えー!店員さんは二人用セットって言ってたもん!」

お土産を冷凍庫に入れながら、そんなわけないじゃん、と隆二が笑う。

外食好きな隆二から、家飲みしようと提案があったときは少し不思議に思ったし、更に品川まで迎えに来るという申し出には驚いた。少しでも早く会いたい気持ちは同じなんだと思うと、喜びで表情が緩んでしまう。

久しぶりに会う隆二はとても優しく、大阪の話に笑顔で相槌を打つ。淳子の話に至っては「すごい人なんだな。俺も会ってみたい」と珍しく高評価だ。

―会えない時間が愛を育てるって、本当だったのね…!

「ひかりといると、本当に安心するよ」

甘い言葉とワインに程よく酔い、隆二の横に座っている自分は世界一幸せだと思った。




仕事の電話だ、と言って隆二が立ち上がると同時に、ひかりも懐かしい部屋を見て回る。

華やかに香るルームフレグランスは、ひかりがお揃いで選んだものだ。スティックをひっくり返そうと目をやると、周囲に小銭入れやキーケースなどが乱雑に置かれているのに気が付いた。

―隆二ったら、ポケットのもの全部ここに置くのよね。

浮かれモードのまま片づけるひかりの足元に、ハラリと何かが落ちる。

―!!!

それを見て、心臓がドクンと鳴った。

拾い上げたポストイットは小さく折りたたまれていたが、隙間からみえる「まりや」の三文字は、そのメモを開かせるための十分なインパクトがあった。

「前向きに考えるように!シンガポールで待ってます♡ まりや」

これが何を意味するのかはわからないが、ひかりにとって前向きな話ではないことは確かだ。

先ほどまで感じていた幸福感が、そのハートマークに叩き壊され、驚きと共に怒りがこみ上げる。

―違う、違う、違うはず…。

よっぽどひどい顔をしていたのであろう。電話を終え、ぎょっとした顔でこちらを見る隆二に、静かに問いかける。

「…このメモ、何?シンガポールって、どういうこと?!」

思い込みだけで発言してはいけない。

頭では分かっているが、言葉を発するたびに疑心暗鬼になっていく。今にも涙が溢れそうだった。

「…。今日は、そのことについて話したかったから、うちに呼んだ。」

勝手に見ただろと怒られることも覚悟していたが、意外なほど静かな答えだ。

「俺、転職するんだ。ひかり、帰ってきて俺を支えてくれないか。」


突然の隆二からの申し出に驚くひかり。その真意とはいかに?


「まりやの会社から引き抜きがあったんだ。今の会社より年棒も大幅に上がるし、なにより求めるキャリアパスにぴったりだから、すぐに面接して今週正式なオファーがでた。」

ひかりをソファーに座らせると、隆二はすぐ横に腰を下ろした。

「転職って…そんな大事なこと、なんで、私に相談してくれなかったの?」
「余計な心配かけたくなかったし、きちんと決まってから言おうと思ってただけだよ。」

大阪転勤が決まったとき、どれだけ反対したか。あれはひかりを想って反対しているんだと思っていたのに。
好きな人の心配をすることが余計だという男に、そんなことができるはずはない。

「おそらく、この1年以内にシンガポールに行くことになると思う。ひかり、俺についてきてほしい。俺と、結婚してください。」

夢見ていたはずの言葉なのに、全く心が動かず、耳を通り抜けていくようだった。

「ほら、いつか駐在妻に憧れてるって言ってたじゃん。次の会社に行けばチャンスももっと広がるし、いい暮らしをさせてやれると思うよ。」

駐妻になりたいと、どんなタイミングで言ったのかはぼんやりとしか記憶にないが、それを聞いた隆二の冷めた顔は鮮明に覚えている。

私もいま、同じ顔をしているはずだ。でもそれはきっと、隆二には分からないだろう。




明日銀座にリングを見に行こう!と張り切る隆二がワインに酔いつぶれた後、ひかりは一人考えていた。

―そばにいてほしい。

大阪に行く前、一番ほしかったはずの言葉。なのにどうしてこんなに、心は空っぽなのだろう。

きっと私にとって、このプロポーズは上々のハッピーエンドのはずだ。

小学生の時、初めてレンタルショップで借りたビデオは美女と野獣。町一番の男を振ってまでまだ見ぬ何かを探す主人公のベルを、「おかしな子」と批判する三人娘のことが理解できなかった。

だって、自分はベル側の人間だと信じていたのだから。

しかしいつのまにか、自分が主人公になることなど考えなくなり、誰かが手を差し伸べてくれるのを静かに待つ賢さを手に入れてから、もう十数年。

やっとハート形のピノになれる日がきたのに、心がそれを拒否をする。

やけになって、テーブルの上の冷めかけた豚まんをほおばると、想い出が詰まった甘いフレグランスの香りが一気に消える。

冷めているのに憎らしいくらいに美味しく、ひかりはそれを決意と共に飲み込んだ。

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次週、夢見ていたプロポーズ、ひかりの決断は?!