中国・上海の夜景。超高層ビルが所狭しと建ち並んでいる。(2017年11月撮影)(写真=SPUTNIK/時事通信フォト)

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「日本に移住するべきじゃなかったかも」。アラフィフの中国人が、そんな後悔を口にするようになっている。彼らは1989年の天安門事件で中国を見限り、政治的にも経済的にも先進国だった日本に移り住んだ。だがその後、日本経済は沈滞。一方、中国は世界2位の経済大国となった。彼らの「後悔」に対して、日本人はどんな言葉をかけられるのだろうか――。

■「中国はダメな独裁国家」と考えていたけれど……

「来日(1991年)から10年くらい、日本はすばらしい民主主義国家で、中国はダメな独裁国家だと考えていたんですよ」

2015年の春、関東地方の地方都市のショッピングモール内にある喫茶店で、私にそう話したのは元中国人の呂秀妍(当時53歳)だ。黒龍江省出身だが、日本での生活はもう20年以上。すでに日本国籍を取得している。

このとき、私は『八九六四』(KADOKAWA)という書籍の取材のため、「六〇後(リョウリンホウ)」と呼ばれる1960年代生まれの中国人たちに片っ端から話を聞いていた。彼ら彼女らは中国国内での世代別人口が最も多いグループのひとつで、現在の年齢は50歳前後だ。

彼らの青年時代である1980年代の中国は学生運動が盛んな時代で、民主化運動にシンパシーを持った人も多い。また、彼らが若い頃はちょうど日本のバブル期に相当し、エリート層には日本留学経験者も多いことから、中国における「親日」第一世代と呼べる人たちでもある。

■天安門世代の中国人があこがれた往年の日本

呂秀妍も例外ではない。中国国内で大学を卒業して大学講師になった(当時の中国で大卒はすぐに講師になれた)彼女は、故郷の黒龍江省で後の天安門事件(1989年6月4日、学生運動のデモ隊を人民解放軍が武力鎮圧した事件)につながるデモを目の当たりにしている。

このとき、当時27歳だった彼女は、学生を取り締まる立場だったが、「心情的には学生の主張に反対していなかった」「むしろ、彼らは正しい」と考えていたと話す。

やがて、せんだって日本に留学していた夫を追いかけて1991年に来日、そのまま日本で暮らした。言論の自由が保証された日本で、呂秀妍は中国の民主化問題に関係するパンフレットをむさぼるように読み、冒頭のように「日本はすばらしい民主主義国家で、中国はダメな独裁国家」と信じるようになった。

当時の彼女が日本を称賛したのもムリはない。1991年当時、中国の名目GDPが4156億ドルだったのに対して、日本の名目GDPは3兆5844億ドル。日本は中国の8.6倍の経済大国だった。国際社会における存在感も圧倒的で、世界から「ジャパン・アズ・ナンバーワン」として日本の台頭がやや恐れを込めて見られていた時代である。

同じアジア人の国家なのに、なぜ日本はこんなに強くて豊かでクールで、中国は貧しくてダサいままなのか? 当時の中国人の若者はそう考えた。彼らの多くが出した答えは、「日本の政治が民主主義体制だから」というものだった。

■考えが変わりはじめたのは2000年代になってから

国民が自由に政府を批判できて、政策を監督できる社会。言論の自由が保証され、おかしいことを自由に指摘できる社会。それゆえに、中国は「ダメな独裁国家」であり、日本は立派なのだというわけだ。

「考えが変わりはじめたのは、2000年代になってからです。中国は独裁的だけれど、ちゃんと発展するようになった。国民の生活がそこそこ自由で、(政治面以外では)権利も保証されるなら、別に体制が独裁的でもいいのかもしれない。いっぽうで、日本の社会の問題も見えてくるようになりました」

これは彼女のみならず、日本と接点を持った天安門世代の中国人に共通する考えである。やがて、そんな考えはゼロ年代後半から決定的になっていく。

まず、中国は2008年の北京五輪と2010年の上海万博に成功した。そして世界金融危機を生き残り、一時は「チャイナ・モデル」として欧州からも称賛を受けた(実情は相当ムリしていたようだが)。極めつけに、中国のGDPはいまや日本を数倍も上回って堂々たる世界2位となり、都市部の中産階層は海外で「爆買い」をおこなえるほど豊かになった――。

中国人であることを誇れる時代が来てしまった

海外の情勢を知るようなエリート層の中国人にとって、天安門事件が起きた1989年からの十数年間、遅れた貧しい祖国は「恥ずかしい存在」だった。だが、そんな時代は過ぎ去り、中国はちっとも恥ずかしい国ではなくなった。政治を民主化しなくても、全世界に向けて自分が中国人であることを誇れる時代が来てしまったのだ。

いっぽう、かつて自由の新天地に見えた日本は、中国とのGDPが逆転した2010年ごろから、ゆるやかだが不可逆的な衰退が確実視されるようになった。しかも「民主的」に選ばれたはずの政府は、少子高齢化や労働問題のような誰の目にも明らかな問題点の解決にすら手をこまねき、むしろ自国の停滞を座視しているかにすら見える。呂秀妍は言う。

「いまは日本の民主と中国の独裁、半分半分くらいの社会が理想だと思えるんですよね」
「もちろん、習近平の政策はやりすぎだと思うし、私は好きじゃない。でも、前の胡錦濤の時代は、社会がそこそこ自由で、かつ国民が豊かになれるなら、私は中国共産党の独裁体制を支持してもいいとすら思っていました」

私は『八九六四』の取材中に、かつては中国民主化運動のシンパだったはずの中国人たちから、似たような意見をたびたび聞いた。

■上海人スナックママの嘆き

「正直なところ、人生の選択肢を間違えたかもしれない。あのまま中国に残っていたほうがよかったのかな。自分の親戚には、地方の県のトップくらいになっている人もいるんですよ」

私にそう話したのは、やはり50代の在日中国人女性・李美(仮名)だ。彼女は上海の軍高官の家庭出身。1989年、大学在学中に天安門の学生デモが起きたが、実家が体制側だったので民主化運動には一切参加せず、関心もゼロだった(なので、彼女は拙著『八九六四』には登場しない)。

卒業後に軍人と結婚したが、性格の不一致で間もなく離婚。当時の上海はまだ貧しかったので、思い切って日本に留学した。やがて日本で働くうち、稼ぎのいい水商売の仕事をはじめ、持ち前の頭の良さでのし上がってしまい、現在は東西線沿線の某繁華街でチャイナパブのママにおさまっている。

だが、21世紀に入り故郷の上海は未曾有の発展を遂げた。生活実態に即した購買力平価ベースでは、上海の一人あたりGDPはすでに日本を追い抜いた可能性が高い。李美のように上海戸籍を持つ軍人の子女なら、ずっと中国に残っていれば、現在はおそらく日本で暮らすよりも豊かな生活を実現できていたはずだ。

「水商売を選んだことは後悔していない。なにより、私は日本になじんでしまった。日本は空気もきれいだし医療や福祉もいいから、年をとるほど住みやすい国なのも確か。私はこの国でこのまま年をとって、死ぬと思う」

彼女はそう話すが、息子はさっさと英語圏に留学させ、現地の大学で学ばせている。将来的にはそのまま留学先に定住して、移民してもらってもいいと話す。日本という国は、自分の世代が住んでいるぶんにはまだいいが、次の世代が拠点とするには役不足の場所だからだ。

■デモに熱狂した学生たちは日本人よりカネ持ちに?

拙著『八九六四』に登場する22人の天安門世代のうち、取材時点での中国国内在住者や、中国と仕事上で一定の接点を保っていた人は以下の7人である。以下に1989年の天安門事件当時の身分と現在(取材当時)の職業、最終学歴を紹介しておこう。

郭定京(仮名)……北京在住 当時:浪人生(19歳) 現在:大手出版社勤務 学歴:大卒
張宝成……北京在住 当時:家具店経営者(29歳) 現在:無職 学歴:専門学校卒
魏陽樹(仮名)……北京在住 当時:大学生(19歳) 現在:投資会社幹部 学歴:大卒
余明(仮名)……北京在住 当時:大学教員(26歳) 現在:経営者 学歴:大卒
呉凱(仮名)……東京在住 当時:在日留学生(25歳) 現在:ジャーナリスト 学歴:院卒
マー運転手……深セン在住 当時:労働者(24歳) 現在:タクシー運転手 学歴:小学校卒
凌静思(仮名)……北京在住 当時:夜間大学生(27歳) 現在:司書 学歴:大卒
趙天翼(仮名)……河北省在住 当時:在日留学生(20代) 現在:大学教授 学歴:院卒
呂秀妍(仮名)……関東地方在住 当時:大学講師(27歳) 現在:出版関連業 学歴:大卒

このうち、同世代の平均的な日本人とほぼ同等か、それ以上に豊かな生活や社会的地位を得ているように見えたのは、郭定京・魏陽樹・余明・呉凱・趙天翼・呂秀妍の6人だ。すなわち、中国民主化運動を続けて政治亡命などをしなかった大卒者に限れば、私が出会った天安門世代の7人のうち6人は、中国が民主化していない未来の世界で「勝ち組」になっていたのである。

もともと、1989年の天安門事件当時の中国の大学進学率は2.5%程度(ちなみに2016年の中国は42.7%、2017年の日本は52.6%)で、大学生は限られたエリートだった。1989年の中国で起きた民主化デモの中核を担ったのは、大部分がこうした大学生や、大学教員などの知識人層だった。

私が話を聞いた相手でも、トップクラスにお金持ちだと思われる投資会社幹部の魏陽樹は、天安門事件以後の中国の社会と政治体制について下記のように話している。『八九六四』本文から引用しよう。

中国は変わったということなのさ。天安門事件のときにみんなが本当に欲しかったものは、当時の想像をずっと上回るレベルで実現されてしまった。他にどこの国のどの政権が、たった二十五年間(注.取材当時)でこれだけの発展を導けると思う?」
「だから、いまの中国では決して学生運動なんか起きない。それが僕の答えだ」

■経済の数字以外で日本が中国に勝てるものとは

いかがであろうか。日本人としては釈然としない気もするが、かといって反論も難しい意見だろう。今後、中国が大きなオウンゴールを決めない限り、経済面の数字の勝負では、日本が中国に勝てる日はまず来ない。魏陽樹のような意見は、この先に説得力を増しこそすれ、減ることはない。

だが、それでも「日本の民主と中国の独裁、半分半分」が理想という呂秀妍や、中国の発展を誇る魏陽樹の意見を抵抗なく認められる日本人は決して多くないだろう。街中が監視カメラだらけで、チャットの会話まで当局に残らず把握され、政府に反対すれば戦車で轢かれるような社会は、いくら金持ちになれたとしても、御免こうむりたいはずだからだ。

ここで、私たちが失いたくないと感じるものこそ、日本の社会や政治体制が本質的に中国に対して優越している部分のひとつだろう。それは、中国の天安門世代の勝ち組たちが、大人になってから妥協して切り捨ててしまったものだ。

日本が中国に「負けた」後で、それでも世界で認められ続けるために大事なものは何か。その答えは、天安門世代の中国人の姿から逆説的に見えてくるとも言えるのである。

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安田 峰俊(やすだ・みねとし)
ルポライター
1982年生まれ。立命館大学人文科学研究所客員研究員。立命館大学文学部(東洋史学専攻)卒業後、広島大学大学院文学研究科修士課程修了。当時の専攻は中国近現代史。一般企業勤務を経た後、運営していたブログを見出されて著述業に。現代社会に鋭く切り込む論を、中国やアジア圏を題材に展開している。著書に『和僑』『境界の民』(KADOKAWA)、『野心 郭台銘伝』(プレジデント社)、『知中論』(星海社新書)、編訳書に『「暗黒・中国」からの脱出』(文春新書)など。

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(ルポライター、多摩大学経営情報学部非常勤講師 安田 峰俊 写真=SPUTNIK/時事通信フォト)