女社長、乳首に喜ぶ

2017年11月15日

乳首形成手術から1週間が経ち、私の右乳首はどうなったかと言えば、いろいろ端折って言うと「毛が生えている」状態だ。

本当は毛ではなくて、乳首と乳輪を縫い合わせている糸が抜糸前なのでピンピンと出ているのだが、なんだか「黒々とした剛毛が乳首から生えている」ようにしか見えない。あまりにも面白いので夫と娘達に自慢&お披露目したところ、

「乳首ができてる!」「やっぱりあったほうがいいね!」

と、明後日の方向に大絶賛。黒い毛を笑ってもらいたかった私は拍子抜けしたが、実は私自身も「やっぱり作って良かったなー」とふんわり思っていたところだったのだ。

乳首形成をするかしないか問題の時はあんなに低モチベーションだったのに、作ってみたら乳輪も乳首もちゃんとできていて否応なしにテンションが上がった。

完全に左乳首と同じではないけれど、左右対称に乳首らしきものがあると目の違和感が払しょくされるのか、やけに「しっくりくる」のだった。

11月22日

今日は抜糸のために病院へ。

今日で黒い毛ともお別れである。

先生は「経過良好です」と言ってくれたものの、「今の乳首が定着するかどうかは勝算8割」などと不吉なことをおっしゃる。

自分の皮膚を移植したとはいえ、定着しないことがよくあるらしい。また、乳首の高さに関しても、潰れてなくなってしまうケースがあるんだとか。

「その場合はどうするんですか?」
と聞くと、
「今度は耳の軟骨を使い、土台を作って再チャレンジです。」
とのこと。

いやはや、人間の体は不思議だし、今の医学は凄い。

もっと左乳首に似せたい場合も、乳輪に入れ墨で対応可能だそうだ。

今の乳首をぜひともキープしたいものだが、外科手術から乳房再建、そして乳首形成手術と経験してきて一番の感想は、「何とかなるものだなぁ」ということで、定着しなかったらしなかったでまた考えれば良いのだ。

「がんになる」なんて一生の終わりだと思っていたのに私は変わらずぴんぴんしているし、「我がおっぱいに未練なし」と豪語してたのに、私のおっぱいは新しく生まれ変わった。

全て先生達のお陰だが、がんになる前よりがんを経験した今のほうが「なんとかなりそう!」と、私は楽観的である。これも「ギフト」の一つなのだろうか。

女社長がへこたれない理由

12月2日

長女と二人で軽井沢へ。

「旅するメディアびゅうたび」の「軽井沢スノボ&ショッピングツアーへ」で実現した母娘二人旅。初スノボや「思春期VS更年期の戦い」だった旅の内容はこちらにがっつり書いたのだが、ここに書かなかった長女の、きっと今だけの旅の印象も留めておきたくて今ここに書いている。

あれは、私がエステに行く前、他に人がいなくて貸し切り状態で長女と大浴場に入っていた時、私のニュー乳首をしげしげと見て彼女は言った。

「ママはさ、何があってもへこたれないよね。なんで?」

意図がわからなかった私は首をかしげたが、どうやら一連の乳がんプロジェクトのことを振り返って言っているようだった。

「私は結構、すぐへこたれちゃうんだ……」

中学生になった長女は、人生に競争があることや人間関係が難しいこと、自意識の処理の仕方など、今、「大人の悩み事」の入り口に立っている。彼女なりに日々、現実と理想のはざまで折り合いを付けたりしているのだろう。

普段は強気で生意気な長女のそんな姿を見ると、母としては大そう歯がゆい。もう、母の抱っこもチューも、子守歌も通用しないからだ。思春期の娘に、これから大人になる娘に、親ができることなんて本当にわずかであることを、大人びてきた彼女の横顔を見ながら悟る。

そして、「なんでへこたれないか?」と娘に問われればそれは、「お母さんだから」としか答えようがない。

現に、私が「乳がん日記」を発表してから、多くのお母さん達から「私も乳がんになったら川崎さんと同じ決断を同じ速さですると思います」というメッセージをたくさんもらった。「子供を置いて死ねない」という母たちの気迫に満ちたメッセージに私は何度も奮い立たせてもらったものだ。

娘が将来、子供を産むかどうかは謎だが、人生をかけて愛する人、守り抜く人ができた時、母がへこたれない本当の理由をわかってくれるのではないだろうか。

女社長「これからも胸をはって生きていきたい」

2018年1月25日

今日はアラガン・ジャパン(ブレスト事業部)で講演させていただいた。当日知ったのだが、私の右乳房に入っているシリコンもアラガン製品だそうで、乳房再建シリコンのトップシェアを誇る同社のキックオフミーティングに呼んでいただいたのだ。

そして、乳がんの手術後に乳房再建する人はいまだ2割だと伺って私はとても驚いた。がんを取り除くことは必要でも、乳房再建は贅沢な行為と捉えられたり、保険が適用されることを知らなかったり、手術を繰り返すのが嫌になったり理由は様々だそうだ。

私は外科手術後に胸のふくらみがあったこと(貧乳サイズだが)が、入院中一度も気持ちが落ちなかった勝因だったと思っている。その後、温泉やプールに堂々と行けて、活動範囲をを狭めないで済んだのも乳房再建手術やシリコンのおかげである。

会場に貼ってあったアラガン・ジャパンのポスターを思い出す。

「一生、胸をはって生きようと思う。」
「乳房再建、それはあなたの日常を取り戻す。」

と、あって、私は共感しかなく、立ち止まって見入ってしまった。

私の手術痕のギザギザも、両おっぱいの張りの年齢差も健在だ。

また、乳首形成手術から2か月半が経って、皮膚は定着したものの、乳首はだいぶ高さを失った。ただ、それは上から見たからであって、正面から見れば対して変わりはない。おおざっぱな私からするとオッケーラインだ。

これからも体が変化したり、再発の可能性がないわけではない。数値によっては治療方法が変わるかもしれないし、乳がんプロジェクトは10年を超えるまで続くことだろう。

それでも、何があっても私はこの後も、一生胸をはって生きていきたい。

そして、自分自身で納得のいく「生き様」を、これからも晒し続けたいと思っている。

乳首形成物語は今回で最終回です。ご愛読、ありがとうございました!(ウートピ編集部)

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