「勤続10年」、今のご時世で10年も同じ会社で働いているのは幸せなことである。が、しかし、同時に新しい挑戦や可能性に踏み出せていないケースもある。

2017年の春に大学を卒業した女性の就職率は98.4%を記録した。しかし、新卒で就職したものの、3年以内の離職率は30%近いという調査結果もある。

今、アラサーと呼ばれる世代は大卒で入社した場合、職場ではちょうど10年選手。正規雇用にこだわらず、派遣やパートを選んで働く女性も増えてきた中、同じ職場で10年間働き続けてきた「10年女子」の彼女たちは、いったい何を考えているのだろうか?

「キャリアアップは?」「結婚は?」「貯金は?」、そんな「勤続10年女子」たちの本音に迫ってみた。

今回登場するのは、宮崎県で団体職員として働いている綾子さん(仮名・32歳)。

綾子さんは黒髪のロングヘアを後ろでまとめていて、一見、化粧をしていなそうに見えるほどの簡単なアイメイクとリップグロスのメイク。短めに切りそろえられた爪からは、年齢よりも幼い印象を受けた。薄手の白いシャツの上からグレーのカーディガンを羽織り、腰回りが少しダボっとしたベージュのチノパンを合わせている。

「今は信用事業の窓口業務を行なっています。最初は覚えなければならないことが多くて大変でしたが、残業もあまりないので、平日はボルダリングのジムに行ったり、撮り貯めをしていたバラエティー番組を観ています」

趣味の国内旅行では、2年に1回は北海道や東京へ友人と旅行に出かけている。地元は周りも高齢化してきており、都市部に旅行に出かけると“地元以外で暮らしてみたい”という願望が芽生えるが、一度手に入れた安定した仕事は手放したくないと思いとどまっている。

綾子さんは宮崎県宮崎市で生まれ育った。不動産業を営んでいた父と、家業を手伝っていた母、7歳下の弟の4人家族。両親ともに九州出身で、親戚も近隣県で暮らしているため、綾子さんは小学校を卒業する記念に家族旅行で東京ディズニーランドへ出かけるまで東京方面へ行ったことがなかった。親戚関係の結びつきが強く、困ったことがあると家族や親せきが集まって助けあうのを見ていたため、従妹も兄弟のように感じていた。

彼女が小学校に入学した頃、弟が生まれた。実家は、住居とは別の場所で不動産業を営んでいたが、学校から帰ると率先して母がいる事務所まで弟を迎えに行き、おむつ替えやミルクの準備など育児を手伝った。その経験から、従妹たちに子供が生まれるとちょっとした預かりを頼まれたりすることもあった。面倒見のよさからか、職場でも新入社員から仕事の悩みを打ち明けられることも多い。

小学校に入り漢字を覚え始めると、読書に熱中した。放課後や昼休みには児童向けの本を借り、読みふけった。留守番中は、本の中のセリフを読み上げ、そのキャラクターになりきることもあった。中学に入学すると、たまたま見たドラマで好きになった俳優が、学生時代に演劇部に所属していたと知った。歴史にも興味があった綾子さんは、色々な時代を扱った演劇に興味を持ち始める。しかし、彼女が入学した中学には演劇部がなかったため、陸上部に所属し、長距離種目を中心に練習に励んだ。陸上部なら基礎体力も付きそうだし、柔軟体操などその後の演劇部でも活かせそうと思った。

九州男児の父の猛反対にあい、演劇を諦め近隣の大学に進学

高校を受験する際に、演劇部がある学校かどうかを調べた。行きたいと思った高校は偏差値も高かったため、中2になると塾に通い始めた。学習塾は成績順で3クラスに分かれていて、最初は真ん中のクラスからスタートしたが、国語と英語など文系科目はすぐに一番上のクラスに入れた。数学は何度も同じ問題集を繰り返し、パターンを暗記した。自分の理解度を確認するために、勉強が苦手な同級生に数学の問題の解き方を教えていた。

「自然と身に着いた姉御肌っていうのか、人の面倒を見ることが多かったですね」

家の中では、父の言うことが絶対という雰囲気だった。父は、“高校は県立以外はだめだ”と宣言。受験はプレッシャーだったが地道な努力が実り、県内でも有数の高校に合格。念願の演劇部に入部すると、平日はほぼ毎日部活動に励んだ。東京の大学を出た顧問の女性教師が、高校演劇で使う戯曲や演劇のDVDを貸してくれた。その女性教師が、芝居の面白さを教えてくれた。文化祭の公演前には毎日のように帰宅時間が20時を過ぎ、母親から心配され、父には“勉強もせずに遊んでばかりだ”と叱られた。

「実は、それまで演劇自体もほとんど見たことがなかったんです。演技の練習というよりも、自分たちでナレーションをしたり、照明を変えたり。裏方が多かったんですが、とにかくもうすべてが初めてで楽しかったですね」

高2になると、都内の大学に進学を希望する者や、上京して演劇の道に進みたいという同級生も出てきた。綾子さんも進路を考え始めるようになり、演劇への夢も捨てられなかった。しかし、地元志向が強い両親に「東京の大学に進学したい」と相談すると、「お前には無理」「女の子だからダメ」と反対にあう。

「周りは東京や、大阪というような九州以外の大学に進学をする同級生も多かったです。でも、うちは“地元で”の一言で済まされてしまいました。親戚が九州や中国地方にいるので、“国立だったら、他県の受験でもいいよ。でも九州か山口とかまでだよ”と言われました」

結局、綾子さんは親の意思に従い、九州の他県の大学に進学。

「上京を反対されたこともあって、親から離れたかったんですよね。でも進学してから、生活のために親から中古で軽自動車を買ってもらっちゃいました。演劇も、大学に入ったらすっぱりと辞めました。長期休みの時にはクルマを運転して実家に帰っていたので、そんなに遠くに出たという気持ちにはなれなかったです。国立大学に進学したので、周りも公務員や教員を目指している人も多かったですね」

演劇部に在籍していた約3年間のあいだ、一度も主役を演じる機会はなかったが、脇役でも楽しかった。

就職で安定した団体職員の道に進むも、ノルマが達成できず落ち込む日々……。家族や親戚の協力が支えになり、地元に対する愛情が芽生えてくる。〜その2〜に続きます。