経済評論家の勝間和代さんが、恋愛関係にある女性と暮らしていると公表して話題となっています。

勝間さんは今回の公表について、自身のブログで「同性を好きになることはずっと悩んでいたことですし、また、お付き合いが始まってからも、人にそのことを言えないことを悩んでいましたが、その2つの事実を公開することで、私も楽になるし、周りにも同じような悩みの人のヒントになる可能性があると思ったからです」とコメントしています。

女性だけでなく男性でも、同性に好意を持つことは、特に珍しいことではありません。

たとえば、数年前にAKB48が下着姿でキスをしたりイチャイチャしたりするPVがありました。それを「可愛い」と思えるのは、同性同士でキスしたりイチャイチャすることに対して、違和感がないからでしょう。

また、30代、40代の筆者知人には「中高時代に同じ部活の先輩が好きで、バレンタインデーに告白したことがある」という人も少なくありませんし、「初恋はいじめっこから守ってくれた女の子だった」という人もいます。そういった自身の経験や感覚もあって、祝福や「勇気ある行動」との賞賛以前に、勝間さんの「同性を好きになることはずっと悩んでいた」という気持ちのほうに注目し、「悩むことないのに……」という意見が多いです。

アラフィフはさらに冷静です。49歳になる知人女性が「少女漫画世代だからかな」と言っていましたが、筆者も思い当たるフシがあります。

不朽の名作と呼ばれる『ポーの一族』(萩尾望都)を筆頭に、女子高演劇部を舞台とし、映画化もされた『桜の園』(吉田秋生)、男子寮に住む高校生たちの日常を描いた『ここはグリーン・ウッド』(那州雪絵)などなどなど、同性の恋愛がナチュラルにストーリーに盛り込まれているものが一般少女女性漫画誌で多く連載されていたし、身近でもありました。それは漫画じゃないか、ファンタジーじゃないかと言う人もいるかもしれませんが、筆者世代は、人生の大切なことはたいがい漫画から学んだという世代なのです。「いろんな人がいて当然だよね」「違和感は何ひとつない」「結婚もし(2回)、子供も産み(3人)、離婚後に好きな人と両想いになって一緒に暮らせるとか、最強。羨ましい気持ちしかない」という声が聞かれました。

マイノリティーは悩まなきゃいけないの?

マジョリティー=正義、という図式は成立しません。とくに、恋愛なんていろいろです。「勝間さんは有名人だから、ちょっとでも人から弱みと感じられる部分を見せたら足を引っ張る人が一般人より多いであろう」ということもありましょうし、自身もLGBTを支援するイベントに参加したり、運営する勝間塾で識者によるLGBTにまつわる勉強会を開催したりしているそうですから、立ち位置を公表しないとブレてしまう、という立場もあったかと思います。だからこそ、「私も楽になる」としながらも、「周りにも同じような悩みの人のヒントになる可能性があると思った」という言葉が出てきたのであろうと推測します。

確かに、マイノリティーの立場を上げるには発言力のある人が必要です。今、LGBTへの公的支援や理解を高める運動はブームといっていいものがあります。それによって、悩みをもつマイノリティーの方々が、自分に自信がもてたり自分を普通に愛せるようになるのはいいことだと思います。だから、勝間さんの公表が賞賛に値するという意見が多いのも理解できます。

しかし、それ以前に、LGBTだからって悩まなくちゃいけないってことのほうが問題だと思うのです。

今回の勝間さんの公表について、毎日新聞では「同性交際」、朝日新聞では「同性との交際」など、性的マイノリティーの直接的な単語を避け、事実のみを見出しにしています。それは、まだまだL(レズビアン)G(ゲイ)B(バイセクシャル)T(トランスジェンダー)という言葉が強いからだと思います。本来は、ただの性志向を表す言葉(LGB)であり、生き方のひとつ(T)です。それなのに、なんとな〜く口に出しにくいという風潮、文字にするとしっくりこないような感覚。これがなくならない限り、「普通」も「平等」も遠いのではと思うのですがどうでしょうか……。

「性対象に対して批判も差別もする気ない。むしろ勝間さん、お相手、その元パートナーっていう三角関係のほうがよっぽど気になる」「自分だったら絶対に誰にも言わない。仕事に影響しそうだし」その2ではアラサーとアラフォーに今回の話題についての意見を聞きました。〜その2〜に続きます。

街でこういう雰囲気のカップルを見かけても「付き合ってるのかな?」くらいにしか思わない。あるとすれば「あらイケメン」くらいである。それは異性同性変わらないんだけどな……少数派だろうか。