コネ入社を異常に敵視する人が知らない真実
なぜ「コネ入社」は叩かれるのでしょうか(写真:HiroS_photo / PIXTA)
今年4月、三菱UFJフィナンシャル・グループへの「コネ入社」を示唆するツイートをした女子大生と称するツイッターIDが炎上した。その後、当該IDによる「アノニマスに乗っ取られた」といった弁明や、「彼女のような学生は実在しない」などの続報もあった。すべてがツイッターで注目を集めるための愉快犯による釣りだった可能性もあるが、当時のネットは問題のツイートを叩く意見であふれていた。
コネ入社とは両親や親戚、その友人などのコネクション(人間関係)を通じて目当ての企業に入社する行為であり、別名「縁故入社」とも呼ばれる。
批判の内容は、基本的には「コネ入社はずるい」「いちいちSNSに書くのは非常識」「大企業がコネ入社を許すのはいかがなものか」といったもの。中には、「俺はコイツが許せない。無内定無職のすべてを使ってコイツを地獄に引きずり回したい」という過激な反応も見られた。
ネットには、この他にもコネ入社を批判する意見が多くあふれている。そこで今回は、「コネ入社の是非」について考えてみたい。
なぜ「コネ入社」は叩かれるのか?
コネ入社を話題とした炎上は今回が初めてではない。2012年に老舗出版社である岩波書店が、2013年度入社社員の応募資格として「岩波書店著者の紹介状あるいは岩波書店社員の紹介があること」を挙げた。つまり、岩波書店の関係者とコネを持っている応募者だけを採用すると宣言したわけである。
この時に、コネ入社が取沙汰され「それくらいできる人間でなくては岩波書店の社員は務まらない」や「あくまでも採用方法の一つ」といった擁護派も多数出たものの、コネ入社というインパクトの強い言葉により、批判的意見を書く人もそれ以上に出た印象がある。
さまざまな反応を見ると、コネ入社がとかく批判されるのは以下のポイントに集約される。
【1】本人の実力ではなく親や親戚の威光により入ったため不公平
【2】その人間が入ったため、貴重な枠が一つ失われ、有能な人材が失われた
【3】自分が入りたかった会社にやすやすと入ったところが腹立たしい
【4】公正な採用をすると思っていたのに裏切られた気持ちになった
【5】一生が安泰な状況を約束されたような立場をやすやすと手に入れたのが腹立たしい
ここで重要なのが「当事者性」である。先に紹介した「俺はコイツが許せない。無内定無職のすべてを使ってコイツを地獄に引きずり回したい」というコメントについては、これを書いた人物の「日本で無内定無職なのでタイで働いてます」というプロフィールを信じれば、「コネを持つ特権階級のせいで自分はこんな状況にいる……」という怨嗟も感じられる。
これを考えると、今回、コネ入社をうたった自称・女子大生を批判した人々はこれから就職をする現役の学生や、人気企業の正社員になれなかった非正規雇用者も含めた社会人の人々だろう。
一方で今回の件については、私の周囲の正規で人気企業に入った人々はあまり気にしていないし、自らの実力で転職も成功させている人々からもまったく怨嗟の声は出ていない。「どうでもいいじゃん」という声だらけだ。
なお、不思議なのがコネ入社で批判が出るのは就職人気ランキングの上位に入るような会社に入った場合。ないしは地元の人気企業に入った場合に限られる。つまり、コネ入社批判は、「いい思いをできる企業に安易に入った人間」へのやっかみであると判断することができる。「(人気企業だから)いい思いをできる」「(コネ入社だから)安易に入った」も、コネ入社を批判する人間の勝手な思い込みに過ぎないが。
理系大学生のコネ入社が叩かれないワケ
一方で、大学の理系研究室から大手メーカーの研究室に毎年学生が入社することについてはそれほど怨嗟の声は出ない。それは東大のようなトップ大学に顕著であり、批判が出ないのは「立派な大学で、しかも真面目に研究した優秀な人材だったら『枠』があっても自然だよね」と思われているからかもしれない。
だが、文系で自分と同レベルかそれ以下の大学の学生がコネを使って人気企業に入ると途端に怒りがこみあげてくる。理系であれば自分の手に届かない範疇だが、文系であれば自分もそのポジションを取れたかもしれないのに……ということなのでは。
私自身は、コネ入社は肯定派である。理由は、コネ入社だからといって格段に能力が落ちる人間を見たことがないからだ。おそらく仕事のできない社員の割合は、コネ社員と非コネ社員との間に有意な差はないだろう。私が新卒で入った会社は広告業界2位の博報堂。「コネ通」と呼ばれる電通ほどではないが、コネ入社した社員はそれなりにいる。コネで入った社員に話を聞くとこう言う。
「正直自分自身、正攻法でこの会社に入れたとは思えません。ですが、コネ枠があることは会社にとって合理的だと思います。なにせ、コネ入社する社員がいることによって一部の取引先と良好な関係を築け、両社にとって仕事が発生するのであれば、会社にとっても有意義です。少なくとも私自身、『会社にお世話になっている』気持ちは強いので、日々仕事をスムーズに進めるよう心掛けています」(博報堂勤務の男性社員)
彼の言うように、「合理的」だからこそ会社にコネ枠が存在するのだ。
ちなみに私は、「青田買い」と呼ばれる学校指定枠で博報堂に入社している。現在は存在しないかもしれないが、1996年から少なくとも2000年代前半にかけて私を含む一橋大学の学生に対してはさまざまな会社からOB訪問先のリストが送られてきていた。「OB訪問」と銘打っているが、実際は「上位校」の学生限定の採用活動である。これも厳密にいえば「先輩方が優秀だった」という過去実績を前提としたコネ入社のようなものだ。
コネ入社も楽じゃない
実際に会社で仕事を開始すると、コネ入社組か一般入社組かという違いはあまり意識をしなくなる。入社時は「誰がコネ入社か」といったことをヒソヒソと同期同士で語り合うことはあるものの、なんだかんだいって研修中に皆仲良くなり、どんな入社のあり方をしたかはほぼ意識しなくなる。
そして普段の仕事中も、「あいつはコネ入社だ」と揶揄することはない。揶揄する場合は、よっぽど無能だったりグータラだったりする場合だろう。しかも、そのときに無能とグータラの根拠として「コネ入社」が便宜上使われるだけ。それ以外の無能・グータラな理由よりはわかりやすい。コネ以外の方法で入社したのであれば、「突然キレる性格」や「とにかく外注先に対して横柄で人望がない」といったところに無能の根拠を見いだすもの。だが哀しいかな、コネ入社は「あいつはコネで入ったから」の一言で周囲が納得してしまう雰囲気がある。前出のコネ入社社員はこの件についてこう嘆息する。
「もう慣れました。自分の苗字は珍しい苗字なので、多くの人が知っている会社の創業者と同じであることからコネで入社したことがバレてしまいました。そのため、ちょっとしたミスでも『コネだから、仕方ないよね』とバカにされます。コネ入社組は、一般入社組よりもより成果を出さなければ認めてもらえないのです」(博報堂勤務の男性社員)
コネ入社ゆえに、入社後の出世に余計なハードルが存在してしまうのだ。そもそも、コネ入社する人間は、優秀な親族をつねに間近で見ていただけに、立居振舞も洗練されているし、それなりの学歴も持っている。コネ枠だってそれこそ数枠しかないだけに、競争はかなり激しい。
私の場合は、「大学枠」をめぐって同じ大学の学生と競争したが、それでも250人受けて3〜5の枠を目指す争いである。もしかしたら「コネ枠」は「大学枠」よりも厳しい2000人のアピールからようやく20人入る程度かもしれない。しかも、「サラブレッド」と称されるような人々を相手にするのだから、よっぽど大学枠よりも内定に向けた争いはハードかもしれない。
さて、これから大学生の内定が次々と決まっていくが、同期がコネ入社であることが分かったとしても、社内ではそれを理由に揶揄しないでほしい。なぜならどんな入り方をしたにしても、社内の人間は共に働く「仲間」なのだから。身内同士で足を引っ張りあうことほど無駄で見苦しいことはない。