誰もがインターネットやSNSで監視され、さらされてしまうこの時代。

特に有名人たちは、憧れの眼差しで注目される代わりに、些細な失敗でバッシングされ、その立場をほんの一瞬で失うこともある。

世間から「パーフェクトカップル」と呼ばれ、幸せに暮らしていた隼人と怜子。しかし結婚6年目、人気アナウンサーの夫・隼人が女の子と週刊誌に撮られてしまう。謹慎処分を受けた隼人だったが、彼を陥れたのは、2人の悪意の偶然の連鎖の結果だった。

夫のピンチが続く中、妻は番組での夫婦共演で夫を救うことに成功。夫は以前の名声を取り戻したが、今度は妻が過去のトラウマと対峙することに…。

「世間の目」に囚われ、「理想の夫婦」を演じ続ける「偽りのパーフェクトカップル」の行く末とは?




怜子:「自分の感情を抑えるのが、癖になっていた」


『人は10代の時に手に入らなかったものに固執し、追い求め続ける。』

何かで読んだ、この言葉が忘れられない。

私の場合、手に入らなかったものはたぶん『自信』。自分が誰かに『愛されていると信じる』ことが、ずっとできなかった。

荻窪で、大学教授の父と高校教師の母の間に生まれた私の「怜子」という名前は、『賢い子』になるように…とつけられたらしい。

学校の成績は悪くはなかったけれど、天才的な科学者と言われた父に比べれば、私の成績は『そこそこ』に過ぎず、私は両親に褒められた記憶がない。

なんとか両親に褒められたくて、私はいつのまにか「いい子」を演じる癖がついたのだと思う。褒められなければ、せめて怒られないようにしようと、自分の感情を抑えることが癖になった。そして…。

「怜子ちゃんって強いよね。」

高校生になると、みんなにそう言われるようになり、容姿を褒められることが多くなったのもこの頃だった。

そうすると、それなりに男の子から告白されたりして、付き合ったりもしてみた。けれど、最後は必ず相手から振られてしまう。

「怜子は、俺に合わせてばっかりで、本当はどう思ってるのか分からない。」

「怜ちゃん、僕と一緒にいる意味ある?たまには甘えてよ。」

「怜子は、1人でも大丈夫なんだね。」

そんなことばかり言われ続けた。

甘えて、と言われても両親にすら甘えたことのない私は、その方法が分からないまま、どんどん『恋愛』が苦手で、苦痛なものになっていった。

―この人に会うまでは。

「ありがとう」

コーヒーを運んできたスタッフに笑顔でお礼を言いながら、雑談まで始めそうな勢いのこの人が…。私の人生を変えるなんて、出会った時には思いもよらなかった。

―桜井智。

自分の手の中から紙の音がして、さっき彼から受け取った名刺を、無意識のうちに強く握りしめていたことに気がつく。

彼に私から連絡をした後、会う場所に悩んでいると、隼人が事務所を借りればいい、と提案してくれた。

社長は詳しい事情を聞かないまま、部屋を手配してくれた。スタッフには私が仕事で部屋を使うから、とだけ指示してくれたらしい。

そして、隼人は…。社長室で、社長と一緒に私を待ってくれている。


トラウマになった男に会ってまで、怜子がどうしても確かめたかったこと…。


ドアが閉まり、スタッフの足音が遠ざかって行くのを確認したかのように、彼が喋り出した。

「…思ったより元気そうで安心したよ。怜子は、強がってばっかりだから。また無理してるんじゃないかと思って。」

まるで可哀想な子供を見るような眼差しを、私に向けてくる。

―あの頃と同じ。

「とも、さん」

コーヒーを飲もうとしていた彼の手が止まり、私を見た。

長い間口にするのを避けてきた名前。それを声に出せたことにホッとして、その勢いのまま、用意してきた言葉を彼にぶつける。

「あなたに会うのは、今日で本当に最後と決めてます。最後の質問だから、絶対に正直に答えて。私があの時怖くて聞けなかったこと…。」

彼は笑顔を崩さない。けれど瞳が少し揺らいだように見えた。

「私に言ったことの、どこからが嘘で演技だった?それとも最初から?」

「…えっ?」

彼の反応で、確信を持った。彼はおそらく、知らないままなのだ。

7年前。私が何を、知ってしまったか、を。



私と智さんとの出会いは、今の事務所にスカウトされた少しあと。

大学の卒業を控え、モデルを本業にするよう社長に説得されていた時だった。

モデルに専念するかどうか悩んでいた私を、社長が先輩モデルのCM撮影現場に連れて行ってくれた。




その時、現場のアートディレクションを担当していたのが彼だった。

当時、彼は28歳。初めて大きな仕事を任された、まだ駆け出しのアートディレクターだった。

社長が私を彼に紹介すると、はじめまして、と右手を出された。そして軽く私の手を握り微笑んだあと、彼は社長にこう言ったのだ。

「怜子ちゃんって、なんか寂しそうな顔した女の子ですね。」

その言葉はずっと忘れられない。

「クール」
「近寄りがたい」
「プライドが高そう」

それが、私が人から言われてきた「私のイメージ」であり、私も「強くあるために」そう演じてきたはずだったから。

隠し続けてきた本性を彼に見透かされた気になり、私は自分の顔に血が登るのを感じてうつむくと、彼は言った。

「寂しそうな女の子って、俺すごく好き。うん、イメージ通り。」


怜子の人生最悪の日。全てを失いかけた日、そばにいてくれた人は…。


「えっ?」

その言葉がどういう意味なのか、その時は分からなかったが、数ヶ月後、私は化粧品のCMに起用された。担当したのは、智さんだった。

3人のモデルの中の1人だったが、モデルらしく「可愛らしい笑顔」を作ろうとした私に、彼は「無理して笑わないで。本当の怜子ちゃんを撮りたい」と言った。

―笑わなくていいの?本当の私、って?

戸惑いながらも、元々ほかのモデル仲間のように「可愛く笑う」ことが苦手だった私は、彼に指示されるまま、撮影を続けた。

―彼は、本当の私を、理解しようとしてくれてる?

そんな思いを抱きながら、にこりともせずにカメラを見つめた私のメインビジュアルが評判を呼び、私は人気モデルの地位を手に入れ、彼も大きな広告賞を受賞した。

撮影で会うことが多くなった私たちは、公私ともに近づいていき、ある日、彼が私にこう言ったのだ。

「怜子は、本当は寂しがりやのくせに強がってばっかりだから、守ってあげたくなる。俺、多分、怜子のこと愛してると思う。」

幼い頃から求め続けた言葉をくれた彼に、私は夢中になった。

そして付き合い初めて4年が過ぎた頃、私は、彼に自分からプロポーズした。彼が受け入れてくれて、幸せを手に入れた私は有頂天になっていた。

それが、式を1か月前に控えた、あの雨の日に…壊れた。

式の準備は私に任されていた。彼が忙しいのは理解していたつもりだったけれど、結婚式の話になる度に彼のトーンが落ちる気がして、この頃の私は不安を募らせていた。

会えない日々も続いていたから、私は寂しかったのだと思う。一つだけのわがままのつもりで、私は彼にメールを送った。

―ドレスだけは見てもらえると嬉しい。それだけでいいから。

既に3着まで絞っていたウエディングドレスだったけど、最後はどうしても彼と決めたかった。でも…。

私のメールに、わかった、いくよ、と返信してくれたはずの彼は、約束の時間を過ぎても、1時間が過ぎても、現れず連絡もない。

社長に紹介された、守秘義務の厳しい芸能人御用達の店だとはいえ、店員の同情的な眼差しに耐えられなくなった私は、ドレスを脱ぐために試着室に逃げ込んだ。

きっと連絡ができない、何かの事情があったのだろうと自分に言い聞かせながらドレスのファスナーを下ろしたとき、バッグの上に置いていた携帯が鳴った。

飛びつくように携帯の画面を見たけれど、着信はともさんからではなかった。

―隼人だ。

出るかどうか迷いながら、結局はすがるように、通話ボタンを押していた。

「怜子、今大丈夫?」

―大丈夫じゃない。

とっさにこみ上げそうになった言葉を、私はなんとか飲み込んだ。

「怜子の式のことで確認しときたいことあってさ…怜子?どうした?聞こえてる?大丈夫か?」

隼人の声が、心配そうに変わると、もう、だめだった。

「大丈夫じゃない…かも。」

おどけて言うつもりだったのに、涙がこぼれた。一度こぼれてしまうともう止まらず、嗚咽が漏れる。




「怜子?今、どこ?。どうした?怜子?」

隼人が焦り、早口になるのが聞こえて、今すぐ行くから住所を教えろ、と言われてしまった。

泣いていたことは店員にもばれてしまい、なだめるように出してくれたジャスミンティーを飲んでいた時に隼人が駆け込んできた。

店員の女性は「堀河アナウンサー」が現れたことに驚きながらも、許せない様子で言った。

「ずっとお待ちになってたんですよ。そうでなくても、花嫁さんは式の準備で不安になったりするものなんですから、仕事が忙しくても、連絡くらい入れてあげてください。」

どうやら、隼人が「花嫁を泣かせた花婿」だと思われたようだ。

何の罪もないのに、怒られてしまった隼人は、素直にすみません、と頭を下げた。その様子がおかしくて、少し笑ってしまったのを覚えている。


諦めない女、さやか。全てを失いかけている彼女の、捨て身で最後の攻撃が始まる!


結局、智さんから話がある、と連絡がきたのはその数日後。

彼の家で会うことになった。

私は、約束の時間より少し早く着いてしまい、合鍵を使って中に入ってしまった。今思えば、インターフォンを鳴らせばよかったのだと思う。

私が彼の家の鍵を開けた時、中からは彼だけでは無い、複数の人の気配がした。だれかが泣いている。

そしてその涙の主の、お腹は膨らんでいて…。私の婚約者に、しがみついていた。


芸能マネージャー・香川の憂鬱:「しつこい女(ひと)ですね。橘さやかという人は。」


「報告ありがとうございます。記事の内容を見てから、どうするか考えさせてください。今すぐメールで頂けますか?」

道沿いに車を止めている時に受けた、記者からの電話。電話を切り、イヤフォンを外すと、思わずため息が出た。

―まったく…しつこい女(ひと)ですね。橘さやかという人は。

しばらくすると携帯が鳴り、私は少し憂鬱な気分で、送られてきたメールを開く。

送られてきたのは、橘さやかに呼び出された週刊誌の記者が、彼女にインタビューをした内容が文字におこされたものだった。

仮タイトルは、「堀河アナの番組謝罪のウソ!?夫に離婚を切り出された人妻が苦悩の独占告白!」

下世話なタイトルには呆れたが、そのあとに書かれた内容に、私は半ば感心にも近い感情を抱いた。

『私と堀河隼人さんは、結婚直前でした。』
『最終的には、彼は、今の奥さんを選んでしまったんですが…』
『あの日は久しぶりの再会で、私が少し浮かれてしまっていたことは事実です』

写真も添付されている。

付き合っていた頃の写真なのだろう。どれも堀河アナとの2ショット。彼が笑顔で彼女を抱きしめていたり、橘さやかの頰にキスをするように顔を寄せているものもある。

中には、ベッドに寝ている、堀河アナの「寝顔」もあった。




―これは、なかなか…。

だたのバカなら放っておこうと思っていたが。この女(ひと)は、なかなかにあざとく、ずる賢い。

この手の人間からの攻撃を、数多く処理してきたプロの私からみても、この暴露の仕方は厄介だ。

なぜなら、彼女は「ウソは一言もついていない」からだ。

2人が「結婚直前だった」ことは事実だし、「私が捨てられた」とは書いていない。

―ただ、自分が婚約破棄したことを「言っていない」だけだ。

しかし、これが記事になれば、堀河アナが「非道に」橘さやかを捨てた、と「思い込む」人も出てくるだろう。

世間は驚くほど、この手の暴露が好きだ。

1度この手の記事が出ると、雑誌でもテレビでも後追い取材合戦が始まり、世間もSNSなどでターゲットの粗探しに夢中になる。真実があやふやならなおさらだ。

―どうしましょうかね…。

記者からの提案は、私がこの記事を買い取るかどうか、ということだった。もちろん情報はタダではない。金銭ではなく、他のスクープを与えるなどの、何かの見返りを与えなければならない。

ただ、この記事を私が買い取って止めたところで、橘さやかが他の出版社に持ち込む可能性もある。私の力が、全出版社に及ぶわけじゃない。そう考えれば、どちらにしろ…。

―記事が出るのは時間の問題、か。

携帯のメール画面を閉じ、アドレス帳から堀河アナの番号を探すと通話ボタンを押す。

私は、柄にもなくお節介を焼こうとしている自分自身に驚きながら、堀河アナが出るのを待った。

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