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長女が一部上場企業で働いていたのは今から25年前。ところが激務で体調を崩し、自宅で引きこもり状態になってしまう。一時、弁護士を目指したが、夢は叶わず。今では83歳の母親の年金を頼りに生きる57歳の長女は、将来に不安を感じる余り、月5万円も漢方薬を買い込み、家計を圧迫している。母親の他界後も生きていけるのか。ファイナンシャルプランナーが試算した――。

■「もう長くはない」83歳母に57歳娘がパラサイト

寒い冬もようやく終わり、春が巡ってきた今年3月。1本の電話がありました。

「ひきこもりの長女についてご相談したいのですが……」。声の主は83歳の母親でした。

「2年前に夫が亡くなりました。私もそう長くはないかもしれませんので、57歳になる長女と将来についての話し合いをしたいと思っています。でも、夫が亡くなった後、長女の暴言がひどくなってきてしまい、うまく話し合う自信がありません。それに、何から話せばよいかもわかっていません。どうすればよいのでしょうか?」

母親の声に元気はなく、疲れている姿が目に浮かびました。

私はひととおり事情をうかがったあと、ご相談の日時や場所、当日までに準備していただきたいものなどを話し、電話を切りました。しばらくすると先ほどと同じ電話番号から着信がありました。何か言い忘れたことでもあるのかな? と思い受話器を耳に当てるやいなや、怒声が飛び込んできました。

「うちの母をだますのはやめろ! 私は今、弁護士の勉強をしているんだ。弁護士になったらお前を訴えてやるからな!」

▼「弁護士になったらお前を訴えてやるからな!」

くだんの長女本人のようでした。かなり興奮していて、一方的にまくし立てて電話を切ってしまいました。何のことかすぐには理解できず、私はしばらく電話を持ったまま立ちすくんでしまいました。

つまり、相談はキャンセルということなのだろうか? と考えを巡らせていると、再び同じ番号で電話がありました。恐る恐る出てみると今度は母親でした。

「どうもすみません。うちの長女が失礼をしました。私からよく言って聞かせますので、相談は約束通りでお願いします」

私は念を押しておきました。

「確かにご相談はお母様だけでもできますが、対策の実行は親子ですることになります。つまり娘さんの協力が必要不可欠なのです。ご相談の前に娘さんのご了承を得ておいてくださいね」

その後、母親の説得もあり長女はしぶしぶ了承したらしく、最初の約束通りご相談を受けることになりました。

■頑張り屋の娘は、一部上場企業で働いていたが……

相談者の家族は中部地方に在住のため、今回は母親だけが上京することになりました。長旅でお疲れのようでしたので、私は無理のない範囲で聞き取りをしました。

それによれば、長女は大学卒業後、一部上場企業へ就職。仕事はとても忙しく、残業は毎日深夜まであったそうです。当時、50代後半の両親も、頑張り屋の長女が歯を食いしばって仕事をしている姿を頼もしく思っていました。ところが、1年ほどで体調を崩してしまい退職。その後は家の中でゆっくり過ごしていました。

本人としては数カ月ゆっくりするつもりだったのですが、いつの間にか年月はどんどん流れ長女は20代後半に。周りの友人知人が出世していったり結婚して家庭を築いていったりする中で「自分はなんてダメな人間なんだ」という思いを抱くようになってしまったようです。自分自身を責め続けたせいか、いつしか社会と接点をもつことも難しくなっていきました。

▼30歳手前、突然、弁護士の資格を取ることを決意

このままじゃいけない。

30歳手前になって長女は突然、弁護士の資格を取ることを決意し、数年間は1日何時間も勉強をしていたそうです。しかし、司法試験には何度受けても合格できず、いつしか勉強に集中できなくなっていきました。

すでに定年退職を迎えていた父親や母親が心配して声をかけると「うるさい! あんたたちのせいで勉強に集中できない。弁護士になれなかったらあんたたちのせいだからな」と怒られてしまうため、そっと見守っていくことしたそうです。

しかし、結局のところ、弁護士になる夢を果たすことができないまま、以後20年以上も無為な時間が流れました。その間、長女はずっと家にいて、「(娘に)社会復帰してほしい」という老親の思いも自然に消えてしまいました。

▼「あんた(母親)が死んだら、私はどうやって生きていけばいいんだ」

2年前、父親が亡くなった後、状況が悪化します。長女はイライラすることがさらに多くなったのです。時には、深夜に母親を起こして、今までの恨み、つらみ、将来の不安をぶつけてくることもありました。当初は母親も長女と口げんかをよくしたそうです。しかし、最近は高齢ということあってすぐに疲れてしまい、長女の言い分をただただ静かに聞くだけということも増えていきました。

「あんた(お母様)が死んだら、私はどうやって生きていけばいいんだ。私にはお金がない。何とかしろ!」

長女はこのようにお金の不安も口にするようでした。

確かに不安は大きいことでしょう。仮に長女が少しでもお金を稼ぐことができれば将来の見通しはかなり改善します。そこで長女がアルバイトなどをしてお金を稼ぐことができそうかどうか聞いてみました。

「仕事をしてお金を稼ぐのは難しいと思います……。本人はいまだに弁護士にこだわっていて、他の仕事をする気持ちはないようです。それでも長女はなんとかなるのでしょうか?」

母親は心配顔です。私は、現在の収入や支出を確認し、長女の将来の見通しを立ててみることにしました。

■漢方薬を月5万買う娘、年金頼りの家計は年70万の赤字

現在のご家族構成や収入、支出などをうかがったところ、以下のように整理することができました。

【家族構成】
母:83歳 年金受給者
長女:57歳 無職
父は2年前に他界
長女に兄弟姉妹はいない

【現在の収入】
母:公的年金 年額190万円
※老齢年金と遺族年金の合計

【現在の支出】
生活費など:年額250万円
住居費(固定資産税など):年額8万円
支出の合計:年額258万円

【財産】
預貯金:700万円
※自宅は戸建てで持ち家あり

年間の収入は公的年金(老齢年金と遺族年金)の190万円のみで、支出は年間およそ260万円。赤字額はおよそ70万円になります。預貯金も700万円ありますが、このままの赤字が続くと約10年で預貯金は底をつきます。

▼「あと10年で預貯金は底をつく」危機をどう乗り越える?

母親亡き後の長女の生活を考えると、できるだけ預貯金は残したいところです。支出の見直しをするべく、支出費目をさらに詳しく聞き取りをすると、意外なことがわかりました。

「実は主人が亡くなった後、長女は漢方薬を買うようになりました。主人の死がきっかけで、将来に対する不安が急に大きくなったからかもしれません。不安をかき消そうと漢方薬を買ってくるのは仕方がないかもしれませんが、ちょっと効き目がありそうだと思ったらたくさん買ってきてしまうのです。でも、そのほとんどは未使用のまま。今でもいろんな漢方薬を買ってきており、薬代だけで月に5万円ほどかかっています。娘になんと言えばいいのかわからず、そのままにしています」

月5万円ということは年間で60万円。仮にこのお金が見直せるとしたら、現在、支出が年70万円オーバーしている家計は大幅に改善されることになります。

母親が長女にそうした厳しい経済環境にあることを説明できるよう、私はシンプルなキャッシュフロー表(将来のお金の見通しの表)を作成することにしました。

■両親がひとり娘のために残した「個人年金」が窮地を救う

下記は母親が他界した後の収入と支出の大まかな見通しです。

【長女の収入】
・公的年金 年額76万円
・個人年金 年額120万円
※個人年金は60歳から70歳までの10年間受け取れる

【長女の支出】
・生活費など 年額120万円
・住居費(固定資産税など) 年額8万円
支出合計 年額128万円

実は、両親は長女にために個人年金に加入していたのです。私はこう言いました。

「娘さんには個人年金があるのですね! これはすごく安心できると思いますよ。娘さんはご存じなのでしょうか?」

「いえ、お金の話はいままで一度もしたことはありません。なかなかきっかけがつかめなくて……」

▼個人年金のおかげでキャッシュフローは劇的変化

長女が事実上のひきこもり生活に入ってしまった20代の頃、娘の将来を心配した両親は話し合って個人年金の契約をしたそうです。しかし、長女は現在も個人年金のことは全く知りません。これはぜひ伝えてもらいたいことだと私は思いました。聞き取りがひと通り終わった後、最後にお母様にお伝えしました。

「話し合いのための資料作成にはお時間がかかりますので、後日ご郵送いたします。届いたキャッシュフロー表などの資料を使って親子で話し合ってみてください。個人年金は娘さんにとって大変心強いと思います。親御さんの優しさが伝わるといいですね」

「はい、わかりました。後日いただいたく資料をもとに、長女と話し合ってみます。今日はどうもありがとうございました」

母親は少し元気を取り戻したように見えました。

■娘が88歳時点での「赤字116万円」をどうするか?

母親とお話しした内容をもとに、親亡き後のシンプルなキャッシュフロー表を作成してみました。

キャッシュフロー表からわかることは次のようなことでした。

長女が70歳になるまでは公的年金と個人年金があるおかげで赤字は発生しません。しかし、71歳からは収入が公的年金のみになるので年間で52万円の赤字が発生してしまいます(年間収支▲52の部分)。

ということは、71歳からは貯蓄を取り崩す生活が始まります。この貯蓄を取り崩す生活が平均余命の88歳まで続くものとすると、88歳時点で貯蓄残高はマイナス116万円になりそうです(貯蓄残高▲116の部分)。つまり、現状のままではお金が足りない状態だということがわかりました。

▼キャッシュフロー表からわかったこと

この足りない部分のお金(マイナス116万円)は、漢方薬代を見直すことができれば何とかなりそうです。ただし、いきなりゼロにするというのは難しいでしょうから、無理のない範囲で見直せればと思いました。

どうしても強い不安が治まらないのであれば、医療の支援を求めることも必要でしょう。自立支援医療(精神通院医療)で医療費の助成を受けることができれば、支出を抑えることができます。

将来に向けて考えなければならないことは他にもありますが、最初からたくさんのことを親子で話し合うのは大変です。対策もたくさんあればあるほど実行しづらくなっていきます。そこで私は最初の段階で母娘が話し合うためのポイントを絞ることにしました。

(1)長女の生活費の大部分はまかなえそうだ、ということを母親から伝えてもらう
(2)母親が亡くなった時点で、200万円から300万円ほどのお金が残っていると安心
(3)現在の支出(できれば漢方薬代)の見直しをして、貯蓄を残すようにする
(4)適切な医療に関わることも検討する(通院の検討)

私はでき上がったキャッシュフロー表やポイントをまとめた資料を母親あてに郵送しました。

■娘は自分の老後のために漢方薬を買う量を減らした

ご相談を受けた数カ月後、母親から1通の手紙が届きました。

手紙には、相談にのってもらったことへの感謝の言葉とともに、長女の変化についても書かれていました。長女は両親が個人年金を準備していてくれたことに感謝し、その気持ちを直接母親に伝えたそうです。また少し安心したことで、母親への暴言がかなり減ったということです。

さらに、うれしい知らせがありました。長女は、自分の老後のために漢方薬を買う量を減らし、母親の家事を少しずつ手伝うようになったそうです。

手紙の最後には次のようなことが書かれていました。

「親亡き後の準備についてはやることがまだまだたくさんありますが、これから親子で話し合って決めていきたいです」

▼「最初の一歩」母子にも小さな春が訪れた

手紙から最初の一歩を踏み出せたことがうかがい知れました。この親子にも小さな春が訪れたようでうれしく思いました。

将来の見通しについて親子で話し合うきっかけがなかなかつかめず、話し合いを先延ばしにしている家族は多いかと思います。そのようなときは、将来の見通しの資料を作成してみるのもきっかけのひとつになるのかもしれません。

(社会保険労務士・ファイナンシャルプランナー 浜田 裕也 写真=iStock.com)