ーー全米に “二刀流フィーバー” を巻き起こしている大谷。そんな彼を15歳のころから見つづけたライターの佐々木亨氏が、スーパースターへ駆け上がった怪物のすべてを「本人の言葉」とともに語った。

■「知らないことをやるときはワクワクします」

 大谷は知らない世界に挑むことがモチベーションであり、気持ちが揺さぶられる。メジャー挑戦のときも、残留よりも「好奇心が上回った」と話していました。

 2年待てば大型契約の可能性があったわけですが、「そこは関係ない。いま行きたいんです」と。

 これは母親の加代子さんから伺った話ですが、中学で修学旅行に行った際にお小遣いを渡したんですが、そのお金でお土産を買ってきてくれた。

 でもそれ以外は使わず、余ったお金は加代子さんに返金したんです。この話からもわかるように、お金じゃないんです。上の世界でやりたいという、自分の気持ちに素直なだけなんです。

■「ピッチングに関してはセンスがないと思っている」

 彼には驚かされることが多々ありますが、さすがにこの言葉は衝撃的でした。たしかに日ハム時代の中垣征一郎トレーナーも「投球の際、右足軸での体重移動がそんなに上手ではない」と話していましたが……。

 自分でも完璧ではないと考えているのでしょう。逆にいえば、もっとできるという可能性を感じている。完璧ではないからこそ、今はセットポジションですが、いずれはワインドアップにしたいようです。そうなったとき、どれだけの球が投げられるのかという楽しみはありますね。

■「メジャーには正解を探しに行く」

 私見なんですが、大谷自身の中にまだまだといった部分があるんでしょう。彼は成功しても失敗しても「まず、やることに意義がある」といつも言っています。取り組む姿勢です。常に正解を求めて挑戦している。

 もうひとつの口癖が「てっぺんを獲る!」。「周りから認められて、初めてトップなんだ」という話をよくしていて、記録ではないんでしょう。プレーを見てもらって、「すごい選手だ」と思ってもらえることがトップだという意識を持っています。

 おそらく二刀流をやっている以上、記録は難しいと思いますしね。

 そうそう、50歳ぐらいまでやりたいとも言っていました。とにかく野球が大好きで、できるだけ長くやりたいと。彼には変わらない部分と、変わっていく部分の2つが同居している。考え方はまったくブレていない。

 ただ、技術的にはすごく変化を求めている。2つの要素をうまいバランスで自分の中に秘めているのが、大谷翔平だと思います。

ささきとおる
1974年岩手県生まれ 雑誌編集者を経て独立し、スポーツライターに。おもに野球をフィールドに活動するなかで、大谷翔平選手の取材を花巻東高校時代の15歳から続けている。著書の『道ひらく、海わたる大谷翔平の素顔』(扶桑社)が発売中

(週刊FLASH 2018年5月8・15日号)