アメリカの「影の大統領」、ピーター・ティールの思想とは? [橘玲の世界投資見聞録]

写真拡大

 ピーター・ティールはいまやシリコンバレーだけでなく、アメリカでもっとも注目される「思想的リーダー」の一人だ。ドイツ人ジャーナリスト、トーマス・ラッポルトによる『ピーター・ティール 世界を手にした「反逆の起業家」の野望』が注目されるのも、この特異な人物をはじめて正面から取り上げたからだろう。

 著者のラッポルト自身も複数のインターネット企業を創業し、シリコンバレーでもさまざまなスタートアップに投資しているという。しかしなによりも、この本を書いたいちばんの動機はティールが自分と同じドイツ人だからだろう(ドイツの出版社からドイツ語で刊行されたのも同じ理由だ)。

 ティールはフランクフルトで生まれ、1歳のときに家族とともにアメリカ、クリーヴランドに移住したが、鉱山会社で働く化学エンジニアの父の転勤で幼い頃は南アフリカや南西アフリカ(現ナミビア)で過ごした。それ以降はアメリカで教育を受けたが、いまでもドイツ語で会話ができるようだ。

 本書はラッポルトがさまざまな資料からピーター・ティールの経営戦略や投資術、政治思想を分析したもので、ティール自身にインタビューしているわけではない。ティールはあまりメディアに登場せず、現在のところ、ジャーナリストからまとまった取材を受けたのは『ニューヨーク・タイムズ』などに寄稿するジョージ・パッカーの『綻びゆくアメリカ 歴史の転換点に生きる人々の物語』に収録されたものだけだ。

 パッカーは全米図書賞(ノンフィクション部門)を受賞したこの本で、オプラ・ウィンフリー(テレビ司会者)、サム・ウォルトン(ウォルマート創業者)、コリン・パウエル(元国務長官)などの大物からサブプライム危機によって深刻な影響を被ったフロリダ州タンパの無名のひとたちまで、さまざまな人物の物語によって1978年から2012年までのアメリカの変遷を浮き彫りにしようとしている。ティールはその主要登場人物の一人で、ここでの記述がその後、ティールの半生を語るときの定番になった。

 なお、ティールの“著書”としては、スタンフォード大学で行なった起業についての講義を聴講生がまとめた『ゼロ・トゥ・ワン 君はゼロから何を生み出せるか』がある。

ピーター・ティールはペイパルの共同創業者であり、トランプ大統領の有力な顧問

 ラッポルトは冒頭、「今日のビジネス界でピーター・ティールの名を聴いたことがないという人間がいたら、そいつはまちがいなく三流だ」と宣言する。

 ティールは、世界最大のオンライン決済サービス、ペイパルの共同創業者であり、フェイスブック創業期にその可能性に気づいた初の外部投資家であり、CIAやFBIを顧客にもつビッグデータ解析企業パランティアの共同創業者でもある。――パランティアは日本では馴染みがないが、その企業価値は2兆円を超えるといわれている。

 雨後の筍のようにスタートアップが出てくるシリコンバレーでも、評価額が10億ドルを超える企業は「ユニコーン」と呼ばれる。ユニコーンは額に一本の角をもつ伝説の一角獣で、「誰も見たことがない」という意味で使われる。ところがティールは、ユニコーン企業をはるかに上回る100億ドル、あるいは1000億ドル級のスタートアップに3つもかかわっているのだ。

 ペイパルからは、イーロン・マスク(テスラ・モーターズ/スペースX)、リード・ホフマン(リンクトイン)、ジェレミー・ストッペルマン(イェルプ)をはじめ、シリコンバレーを代表する起業家が次々と生まれている。固い絆で結ばれた彼らは「ペイパル・マフィア」と呼ばれ、ティールがその首領(ドン)だ。

 ティールが話題になるのは、ベンチャー起業家やエンジェル投資家としてだけではない。

 ティールはスタンフォード大学で哲学を学び、卒業後は法律家を目指したものの挫折し、ニューヨークの虚飾に見切りをつけてベンチャーの道を選んだという、シリコンバレーでは変わった経歴の持ち主だ。大学時代は保守派の活動家として知られ、「ポリティカル・コレクトネス(政治的正しさ)」を掲げる左派と対立した。

 こうした背景から、近年のティールは政治的・思想的な発言でも注目を集めるようになった。とりわけその名を(あるいは悪名を)轟かせたのは、大統領選でトランプに献金したばかりか共和党の全国大会で応援演説までしたことと、この“ギャンブル”に勝ってトランプの有力な顧問の一人になり、ティム・クック(アップルCEO)、ジェフ・ベゾス(アマゾンCEO)、ラリー・ペイジ(アルファベットCEO)、シェリル・サンドバーグ(フェイスブックCOO)、サティア・ナデラ(マイクロソフトCEO)、イーロン・マスクなどシリコンバレーの大物たちを一堂に集め、新大統領を囲む会合を取り仕切ったことだろう。そのインパクトは絶大で、オンライン政治メディアのポリティコはティールを「影の大統領」と名づけた。

 大学では文系に進んだものの、子ども時代のティールはアシモフ、ハインライン、アーサー・C・クラークなどのSFに夢中になり、トールキンの『指輪物語』を少なくとも10回は読んだSFマニアで、13歳以下のチェス選手権では全米7位にランキングされ、数学とコンピュータの天才として知られていた。

 政治的志向は当時からのもので、8年生(中学3年生)の社会の授業でレーガンを支持し、保守派の論客の新聞記事を集め、抽象的論理を信奉し、個人の自由を至高のものとするリバタリアンになったのだという。

起業でもっとも大事なのは「友情」

 ウォール街と同じく、シリコンバレーも一攫千金を目指す者たちが鎬を削る弱肉強食の世界だと思われている。そんななかでティールは、起業でもっとも大事なのは「友情」だという。

「ペイパルの友人たちは特別な絆があります。あれは実に濃い経験でしたよ。当時の濃い経験があるからこそ、僕らはいまでも固い絆で結ばれているんです」

 ただしここでいう「固い絆」は、たまたま気の合った相手と仲良くなる、という意味での友情とはちがう。

 ニューヨークからシリコンバレーに戻ったティールは、スタンフォード大学の客員講師をしていたときに、6名ほどの聴講生の1人でウクライナ生まれのプログラマー、マックス・レフチンと出会う、ティールはこの若者とペイパルを共同創業することになるのだが、二人の「絆」がつくられる様子はとても興味深い。こちらはパッカーの本から引用しよう。

 それから彼ら(ティールとレフチン)は頻繁に会うようになり、難問を出し合いながら互いへの理解を深めていった。ほとんどが数学の問題だった。125の100乗は何桁か(210桁)。ティールが出した難問には、まるいテーブルを想定したこんな問題もあった。ふたりのプレーヤーがテーブルの好きな場所に1セント硬貨を重ならないように交互に置き、テーブルからはみ出さずに最後の1枚を置いたプレーヤーが勝者となる。このゲームにおけるもっとも望ましい戦略はどのようなものか。また、先攻と後攻のどちらを選ぶべきか。レフチンは15分かけて答えを導いた――決め手となるのは、相手の戦略を覆す戦略だ(「覆す」という言葉はティールが好きな表現だ)。

 ふたりは難問を出し合うことで、相手がパートナーにふさわしい頭脳の持ち主かどうか互いに品定めしていた。ある晩、パロアルトのカリフォリニア・アヴェニューのプリンターズ・インク・カフェで繰り広げられた勝負は4、5時間にもおよび、最終的にレフチンでもほんの一部しか解けないような難問をティールが出した。こうして長時間にわたる勝負の夕べはお開きとなり、ふたりは友情と絆を深めたのだった(後略)。

 ティールの有名な言葉に「競争する負け犬になるな」がある。ティールによれば、競争は利益を減らす敗者の戦略以外のなにものでもない。もっとも大きな利益をもたらすのは独占であり、そのためには協力こそが最適戦略になる。

 ペイパルを創業したティールは、ライバルが追随してくる前にユーザー数で圧倒してデファクト・スタンダードを握ることが成功のカギだとわかっていた。そのためクレジットカードを登録した新規ユーザーに一律10ドルをキャッシュバックするばかりか、既存ユーザーが「お友だち紹介」するとさらに10ドルをプレゼントする大型キャンペーンを始めたのだが、それでも振り落とせないライバルがいた。イーロン・マスクという南アフリカ出身の若者が創業したXドットコムがペイパルにきわめてよく似た送金サービスを開発し、倍の20ドルのボーナスをつけてユーザーを急増させていたのだ。

 ここでのティールの決断は、いまやシリコンバレーの伝説となっている。彼は互いに消耗するだけの競争を続けるのではなく、マスクと手を結びWIN−WINの関係になることを選んだのだ。そのためにはCEOを外部から招聘し、マスクに新会社の会長の座を明け渡すこともいとわなかった。

 その後、新会社の経営が混乱したことでマスクは会長の座を解任され、後任にティールが就くことになるが、それでも2人の「友情」は壊れなかった(ティールはマスクのスペースXの有力投資家の一人だ)。しかしこれは、彼らのあいだの特異な“絆”を考えれば、不思議なことではない。

 マスクの経歴は、一卵性双生児と見紛うほどにティールとよく似ている。2人とも早熟の天才(ギフテッド)で、コンピュータ・ゲームとSFに夢中になり、野心にあふれ、学校ではいじめられていた。そんな2人がお互いに同類だと認め合ったからこそ、「協力」というきわめて困難な、しかしもっとも合理的な解に瞬時に合意できたのだ。

続きはこちら(ダイヤモンド・オンラインへの会員登録が必要な場合があります)