by Tekniska museet - CDi-Spelare

オランダの家電メーカー・フィリップス任天堂が共同開発して生まれたゲームハードが「CD-i(コンパクトディスク・インタラクティブ)」です。CD-iは特に話題になることもなく市場から消えていきましたが、実は「CD-iが開発されなければソニーのPlayStationは生まれなかった」とすらいえる存在です。

The History of the Philips CD-i, Failed PlayStation Ancestor - Atlas Obscura

https://www.atlasobscura.com/articles/the-history-of-the-philips-cdi-failed-playstation-ancestor

The New International CD-i Association

http://www.icdia.co.uk/players/index.html

世界で初めて光学メディアドライブを搭載したゲーム機は、1988年にNECホームエレクトロニクスから発売されたPCエンジン・CD-ROM²で、それまでのゲームソフトといえばロムカセット(ロムカートリッジ)でした。しかし、ロムカセットは記憶媒体として半導体メモリを利用するため、コストが高くなってしまうことと量産が困難であることが欠点。そのため、ゲームに応用できる光学メディアの登場が望まれていました。

1986年、フィリップスとソニーは新規格となる「CD-i規格」を共同開発したと発表し、翌1987年にその仕様が公開されました。CD-i規格は、利用者の操作内容に対応する形でさまざまな情報を再生できる規格となっていて、これを利用することでテレビゲームをCD-ROMで販売することができると期待されました。

1990年、ソニーは任天堂に働きかけて、当時開発していたスーパーファミコン・Super Nintendo Entertainment System専用の周辺機器として外付けCD-ROMドライブの共同開発を行いました。開発プロジェクトのコードネームが「PlayStation」でした。



ところが、1991年6月、ソニーがCD-ROMドライブ付きのスーパーファミコン「Nintendo PlayStation」の試作機をイベントで発表した翌日に、なんと任天堂フィリップスと提携してCD-i規格を用いたゲーム機の開発を行うという電撃発表を行いました。その後、一足先にセガが発売していた「メガCD」がそれほど市場に受け入れられなかったことから、任天堂はCDドライブ搭載型ゲーム機の開発をあきらめてしまいますが、フィリップスはCD-iの開発を続行。1991年に業務仕様のプレイヤー「CDi 310」やソフトウェア開発も可能でフロッピードライブも搭載した「CDi 601」など、さまざまなタイプのプレイヤーを発売しました。

フィリップス・CD-iの起動画面は以下のムービーで確認できます。

Philips CD i Startup Intro {Widescreen HD 1080p} - YouTube

1994年には、コントローラーを付属したゲーム特化モデルの「CDi 450」がフィリップスから発売されました。



by Staffan Vilcans

この「CDi 450」と同時にフィリップスから発売されたソフトの1つが「Hotel Mario」です。CDドライブ搭載型ゲーム機の開発をあきらめた任天堂は、フィリップスに対してマリオやゼルダといった自社ゲームキャラクターの使用を認めていました。そのため、「Hotel Mario」は任天堂以外のゲームハード機で公式に販売された、任天堂キャラクターが登場するゲームソフトというかなり珍しい存在です。



by Frédéric BISSON

「Hotel Mario」がどういうゲームなのかは以下のムービーで見ることができます。

Hotel Mario Game Sample -- Philips CD-i - YouTube

実際のゲーム画面はこんな感じ。プレイヤーはエレベーターを利用しながらステージを登っていき、敵をよけながら開きっぱなしになっているドアを閉めるだけという内容になっています。Hotel Marioのあまりにもシンプルで退屈な内容に、「『エレベーターアクション』をまるでゴミにしたようなひどさ」と評されるほど海外から酷評を受けています。



また「Hotel Mario」では、マリオ・ルイージ・クッパが動いてしゃべるアニメーションパートが実装されていました。ただし、そのクオリティはきわめて低く、ネットでネタにされるほど。



フィリップスがゲームに特化したモデルとして「CDi 450」を発売した頃には、既にセガサターンやPlayStationが登場していました。あまりにも遅すぎるタイミングとそれまでの販売戦略が災いし、「CDi 450」がゲーム専門店で扱われることはほとんどなく、合計124本のCD-i対応ソフトが発売されたもののめぼしいタイトルがなかったこともあり、フィリップスは1996年までにはゲーム市場から撤退してしまいます。最終的に、CD-iは全タイプを合わせても世界で57万台しか売れなかったとのこと。

なお、当初ソニーは任天堂の「裏切り行為」に抗議をしたものの、「ソニーと契約したのはCD-ROMアダプタの開発のみであり、フィリップスとの提携と規格採用に影響はない」と任天堂に突っぱねられたため、「Nintendo PlayStation」の開発中断を余儀なくされます。そして、1992年にソニー社内でゲーム業界への進出が議論された際、それまでの「Nintendo PlayStation」開発で得られた結果をそのまま新規プロジェクト「PS-X」へ移行し、1994年にソニー・インタラクティブエンタテインメント(SIE)の前身であるソニー・コンピュータエンタテインメントから「PlayStation」が発売されました。もし任天堂フィリップスによるCD-iの開発がなければ、ソニーのPlayStationはこの世に生まれなかったのかもしれません。