無数の飲食店が軒を連ね、多くのサラリーマンが集う街・新橋。

この街には、そこにいる人の数だけドラマがある。これは、35歳を迎えたふたりの独身男性の物語。

大手都市銀行の法人営業部に所属する秀隆と、広告代理店でプランナーをしている櫻井。

偶然の再会から、この日の会合が実現した。

同じ35歳だが、テンションの違いは明白。その違和感の根底にあるものは何なのだろう。



日本酒を頼むと、店の人が一升瓶で注ぎ、目の前に置いた。すると櫻井が携帯を取り出し、おもむろに日本酒の写真を撮り始める。何回も切られるシャッター音にあっけにとられていると、櫻井が言った。

「インスタ用だよ。オレのフォロワー数5千超えだからさ、割とマメに更新してんの。見る?」

嬉しそうに見せられたインスタ画面には、豪華な料理や高そうなシャンパン、女の子とのパーティーらしき写真がずらりと並んでいた。

プロフィール欄には『某広告代理店プランナー。みんなが知ってるCM・イベント多数制作。』と書かれている。

「何か…派手だな」

コメントに困った僕は、とりあえずそう言ってみたが、櫻井は特に気にする様子もなく、そう? と言うと携帯を置き、お造りに箸を伸ばした。

何の話だったっけ?と言いながら、ああ、と思いだしたように話し始めた。

「ふと気づいたんだよね。大学のサークルの仲間で結婚してないのって、俺とヒデだけじゃん?だから、銀座でばったり会ったの、ホント嬉しくてさ。独身仲間として、これから一緒に遊べたらいいな、ってさ」

言葉通り、本当に嬉しそうに言った櫻井に、僕は一瞬とまどってしまった。


櫻井の言葉に対して、ヒデが伝えた一言とは……?



――もうすぐ、独身仲間じゃなくなるんだけど。

どう切り出せばいいか迷ったが、直球を投げることにした。

「俺、もうすぐ結婚するよ。最近、プロポーズした」

「えっ!?マジで!?」

「マジで。彼女と付き合って、もう4年だし。今式場も探してるとこ」

「……へえー。そうか、じゃ、おめでとう、だな」

櫻井は、日本酒の入ったおちょこを僕の方に差し出した。ありがとう、といいながらカツン、と杯を合わせてみたものの会話が途絶え、気まずい雰囲気はぬぐえなかった。

僕は櫻井の腕に見えた時計に話をそらしてみる。

「いい時計だな」

「あ、気づいてくれた?これ、最近手に入れた限定もの。政府がらみの大きい仕事がうまくいった記念に、自分への投資だと思って奮発した」

その時計の値段がだいたいどれくらいなのかは、想像がつく。ただ、装飾品にお金をかける趣味のない僕にとっては、ケタ外れの数字で、到底理解できない。

また話が続かず、気まずい雰囲気に戻ってしまった。すると櫻井が、なあ、と珍しく真剣な顔で言った。




「マジな話さ。俺たち今、まだ35歳でさ。仕事もこれからってとこだろ。今結婚とかしちゃって子どもとかできたら、そればっかり優先になって、この時計みたいな自分への投資とかも、自由にできなくなるだろ?」

櫻井の言いたい事は分かる。けれど僕はもう、その意見に同調はできなかった。

「俺は、まだ35歳だとは思わない。”もう“35歳だと思ってる。自分のためだけに働くのは飽きた、というか。だから結婚して、家族のために働くっていう次のステージに行こうと思う。その先にあるものが見たい」

僕から目をそらした櫻井が、しばらくして、ボソっとつぶやいた。

「まだ35歳なのか、もう35歳なのか、ね……」

自分の腕時計に視線を落とし、しばらく何かを考えているようだったが、やがて吹っ切れたように顔を上げると、櫻井は明るい口調で言った。

「ま、単純な話、俺はまだまだいろんな女の子と遊んでたい、ってだけだけどね。でもヒデの結婚は心から祝福する。式には絶対呼んでくれよ!」

そして、もう一度僕の方に、おちょこを差し出した。屈託のない学生時代と変わらない笑顔で。でも2人とも、もうあの頃の僕たちじゃない。

「呼ぶよ、式には絶対」

少し切なくなりながら僕は、櫻井のおちょこをカツン、とはじき、乾杯すると中身を一気に飲み干した。


ヒデは新橋の夜に何を思ったのか。切ないが、それでも人生は……。


それ以降は、お互いの仕事の話をした。

櫻井が今、手がけている人気アイドルのアジア進出のプロジェクトの話は興味深かったし、僕が買収に関わっているIT企業のエンターテイメント部門について、櫻井が情報をくれたりした。

しかし話せば話すほど、遊ぶためにお金を稼いでいる櫻井との価値観のズレを感じてしまい、そのうち、会話が途切れ、2人共、携帯をイジる事が多くなった。

そして、店に入って2時間くらいが経ったのだろうか。

「これが、最後のお料理となります」

具は、鱈とたらこだという土鍋ご飯が運ばれてきて、再会の時間が終わりに近づいたことを知る。

「この後の、デザートはどうされますか?」

店員の質問に、僕と櫻井は顔を見合わせた。一瞬の間の後、櫻井が、デザートは結構です、と言った。

店を出たのは、22時半を過ぎた頃だった。

「奢ってもらって悪かったな」

結婚祝いだから、と櫻井が会計を先に済ませてしまっていたのだ。

「次はお前が奢ってくれればいい」

僕は、分かった、と答えたけれど、その”次“はしばらく来ないであろうことを、僕たち2人共が理解していた。




「タクシーで西麻布行くけど、ヒデ、どうする? どっかまで乗ってく?」

「いいよ、まだ電車あるし」

そっか、と言うと、櫻井はタクシーを止め、じゃあな、と言って乗り込んでいった。ドアが閉まる前に、飲みすぎるなよ、と言ったけれど、その声が届いたかどうかは分からない。

乗り込むとすぐに携帯を開いた櫻井は、見送る僕を振り返ることも無いまま、タクシーは遠ざかっていった。僕は、櫻井と2人できた道を、今度は1人で新橋駅に向かって歩きはじめた。




沢山の人生が喧騒の中で絡み合う、働く男たちの聖地、新橋。

酔いで顔を赤くしたサラリーマンたちが、ネクタイを緩め、肩を組み、歌っていたり。しゃがみこんだ上司を介抱している部下もいる。

ここにいる誰もが、僕や櫻井と同じ。どこかでだれかと交わり、共に時間を過ごし、そして別れて、それでも前へ進まなければならないのだ。

ほろ苦い再会の余韻に浸りながら歩いていると、LINEが鳴った。

「何時になりそう? 式場のパンフレットもらってきたから話したくて」

もうすぐ駅だよ、と返信し、僕は彼女の待つ家へ急ぐ。

今は共に歩むことができない旧友の人生も、楽しく幸せな日々が続くよう祈りながら。

ーFin.