撮影=酒井政人

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埼玉県職員の川内優輝が、ついにプロへ転向する。きっかけのひとつは世界のメジャーレースのひとつ「ボストンマラソン」の優勝だ。実業団に所属していない「非エリート」の川内に対して、これまで日本の陸上界は冷たかった。だが不遇の環境にもめげない川内の姿勢は、私たちに勇気を与えてくれる。川内の「戦い方」の秘密に、スポーツライターの酒井政人氏が迫った――。

■非エリート「川内優輝」の生き方に学ぶべきこと

1897年に始まったボストンマラソンは世界最古のフルマラソンだ。4月の第3月曜日、米国の歴史ある街はランナーと彼らを応援する者たちで、お祭り騒ぎになる。そのスケールは東京マラソン以上といっていい。そんな伝統ある大会で日本人ランナーが優勝をさらった。

川内優輝。日本では「公務員ランナー」として有名な男が、世界中を驚かせたのだ。

ボストンマラソンの優勝にどれだけの価値があるのか。ある外国人エージェントは、「テニスの錦織圭がウィンブルドンで優勝するくらい凄いことですよ」と教えてくれた。川内が撃破した相手には、2018年ロンドン世界選手権金メダルのジェフリー・キルイ(ケニア)、同銀メダルのタミラト・トラ(エチオピア)、2016年リオ五輪銅メダルのゲーレン・ラップ(米国)といった世界トップクラスの面々がいる。

事実、川内はボストンを制した後、ケニア人選手など世界各地のレースで勝負しているランナーから写真撮影を求められていた。しかも、川内がフルタイムで勤務する公務員だということも米国のメディアを大いに驚かせている。

▼いつも軽んじられてきた男が「世界のKAWAUCHI」に

現地のテレビ中継で「奇跡の男だ!」と絶叫された日本人ランナーは、これまでその真面目で朴訥としたキャラクターゆえ、「とにかく歯を食いしばって頑張るザ・日本人ランナー」というイメージで見られた。しかし、今や「世界のKAWAUCHI」とリスペクトされる存在になった。彼のこれまでの独自ともいえる取り組みには、ビジネスのヒントがたくさん詰まっている。

時間がない。環境が悪い。自分には向いていない――。壁にぶつかったとき、そんな気持ちになる人は多い。しかし、川内はそのすべてを自らのマネジメント力で吹き飛ばしてきた。川内は学習院大学を卒業後、埼玉県庁に入庁。その後は、フルタイムで勤務をしながら、主に週末を活用して世界中のレースを走っている。トレーニングの時間を確保するのは簡単なことではない。長期の合宿もできなければ、指導者もマネジャーも栄養士もいないのだ。

■実業団選手より短い練習時間で実績を残す公務員

川内は現在、埼玉県立久喜高校定時制課程の事務職員として、昼12時45分から夜の21時15分まで勤務している。このため平日にトレーニングができるのは午前中のみ。川内は自身のトレーニングについて、こう語る。

「私は実業団選手のように多くの練習時間を確保できません。強度の高いポイント練習は週2回で、水曜日もしくは木曜日がスピード練習(400mや1000mのインターバル走など)。土曜日に距離走(30〜43km)やトレイルラン、日曜日にレースというのが流れです。あとの5日間はすべてジョグになります。ポイント練習は週に2回だけですから、そのときはいつも以上に集中して取り組んでいます。また、仕事に集中することで、競技にも集中できる。効率のよい練習というのは、仕事のおかげで身に付いた部分も大きいと思います」

マラソンに取り組む実業団の選手たちは、合宿を頻繁に行い、月間で1000km以上の距離を走り込む。一方、川内の月間走行距離は600kmほど。限られた時間と環境の中、集中して取り組むことで成果を上げてきた。

▼陸上では無名の学習院大学で才能を開花

立て続けにレースに出ているのでタフな印象もあるが、高校時代は故障に悩んでいた。埼玉県大会では上位に入れず、進学先は陸上では無名の学習院大だった。そこで才能を開花させる。高校時代は朝練習があり、ポイント練習も週に3〜4回あったが、学習院大では朝練習がなく、ポイント練習は週2回だけ。「速く走る」ことではなく、「一定ペースで押していく」ことに重点が置かれていた。さらに当時監督を務めていた津田誠一氏からは、「頑張るな、頑張るな」と声をかけられていたという。

「大学での練習は高校時代と正反対だったので、当初はなかなか信じることができませんでした。でも、少ない練習量で高校時代の記録を超えたことで、この練習は正しいと思うようになったんです」

ゆとりある練習メニューが精神的な余裕につながり、故障は激減。トレーニングを継続して積むことができるようになり、川内は大きく成長した。

環境で人は変わる。自分に合った練習スタイルが見つかれば成長できることを川内は証明した。会社で思うような結果を残せていない方も、新たな発想で取り組むことができれば、事態は急変するかもしれない。

■川内のやり方に異論を挟む者はいなくなった

社会人になってからのトレーニングも大学時代とさほど変わらないが、近年はレース出場が多くなっている。これは川内が公務員と並行して取り組む中で身に付けた“究極のトレーニング”と言っていいだろう。

川内は公務員のため、レースの出場料を受け取ることはできない。だが「招待選手」として招かれていれば、交通費・宿泊費などは大会主催者側に負担してもらえる。川内はそうやって世界各地のレースに出場してきた。しかも招待されたレースでも力を抜くことはない。競争相手がいなくても、全速力を貫いてきた。決まった練習パートナーがいない川内にとっては、実戦こそが最高のトレーニングになっている。

また、試合数が多くても、それぞれにテーマを決めて臨んでいる。そして、本当に狙うべき試合には、そこから逆算するかたちで出場するレースを決めて、コンディションを調整している。これも川内流のマネジメントだろう。

川内は1年間に10回ほどフルマラソンに出場している。日本のほかのトップ選手は年間2レースほどなので、単純計算で5倍だ。当初は「出場レースが多すぎる」と疑問視されていたが、マラソンで川内に勝てない実業団選手が続出したため、川内のやり方に異論を挟む指導者はいなくなった。

世界的に見ても、川内のマラソン出場回数は常識外れに多い。今回のボストンでフルマラソンは80回目の出場。これまでに2時間20分切りを78回、2時間15分切りを55回、2時間12分切りを26回、2時間10分切りを12回も達成した。

▼国内外で32回の優勝をして成功体験を積む

その類いまれなキャリアは世界のエージェントからも尊敬を集めている。ケニア人選手のあるエージェントは、日本人が2時間6分台で走ってもまったく驚かなかったが、わずか2週間のインターバルで2時間9分台を連続でマークした川内のパフォーマンスについては「信じられない!」と心底ビックリしていた。

川内はどんな大会に出場しても、「どこかで戦ったことがある選手がいる」という状況のため、舞い上がることはない。そして、ライバルたちの実力・タイプなども熟知しており、自分が勝つための戦略を常に考えてきた。また、「優勝を争えるレースのほうが何倍もいい経験ができる」と、優勝タイムが2時間10〜15分のレースに数多く参戦。今回のボストンまでに32回の優勝を経験するなど、「成功体験」を積み上げて、勝負勘を養ってきた。

■凡人には考えられない練習法と自己マネジメント術

そして、川内が自身の“ウイニングショット”として磨いてきたのが、「ラストスパート」だ。この発想も凡人にはちょっと考えられない。なぜなら、川内は元来、スピードがない選手だからだ。

昨夏のロンドン世界選手権は最後の2.195kmを出場選手最速となる6分41秒で走破。今回のボストンでも川内は勝負どころまでは無理をせず、終盤の爆発力で大金星を挙げている。川内の5000m自己ベストは13分58秒と低調なものだが、マラソンの終盤では5000m12分台のスピードを誇る猛者を凌駕してしまうのだ。

この特殊能力も日々のトレーニングで身に着けた賜物といえる。川内は2010年の東京マラソンで最終盤40kmからの争いで3人の日本人選手に僅差で負けてから、「ラスト2.195kmの力さえ磨けば勝てる」と想定。距離走やレースでは、どんなにきつくても、最後は必ずペースアップすることを自分に課してきた。常にラストの切り替えを意識してきたことで、驚異的なスパートを可能にしたのだ。

川内は常識を打ち破ることで、次々と新たな可能性を追求してきた。皆ができないと思うことを実現するには、誰もやらないことに挑戦するしかない。それはマラソンもビジネスも同じだろう。自分の取り組み方次第で、様々なチャンスがあると川内は教えてくれているのだ。

▼来春からは24時間を競技のために費やす

数々の栄光をつかんできた公務員ランナーは、今年度いっぱいで退職し、来春からプロランナーに転身する。川内はプロ転向の理由をこう語った。

「私はサインに『現状打破』と書いているんですけど、自己矛盾を感じていたんです。昨夏のロンドン世界選手権はあと一歩で入賞することができませんでしたし、自己ベストも5年間出ていません。自分は現状維持ではないか、と。公務員をやりながら競技をやっていて、何も挑戦していない。今後自分が何をやりたいのか考えたときに『マラソンで世界と戦いたい』という思いが強くなり、このような決意になりました」

来春からは、限られた時間ではなく、24時間を競技のために費やすことができる。新たな環境で、どんなマネジメント力を発揮するのか。今後も川内優輝から学ぶことがたくさんありそうだ。

(スポーツライター 酒井 政人 撮影=酒井政人)