「STAP細胞はあります」から4年、地獄をさまよった小保方氏の今

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他人事とは思えない

STAP(Stimulus-Triggered Acquisition of Pluripotency、刺激惹起性多能性獲得細胞)なるものが発見されたと2014年1月に理化学研究所が発表し、たいへんな騒動になった。

その渦中にいたのが小保方晴子氏だ。この騒動については、毎日新聞科学環境部記者の須田桃子氏が2015年1月に文藝春秋から上梓した『捏造の科学者―STAP細胞事件』(第46回大宅壮一ノンフィクション賞受賞)で真相が詳しく解明されている。

ちなみに評者は当時、大宅賞選考委員をつとめており、この作品を強く推した経緯がある。その後、小保方氏は、2016年1月に講談社から『あの日』を発表したが、感情的に須田氏に反発するだけで『捏造の科学者』が具体的かつ実証的に提起した問題には何一つ答えていなかった。

それだから、『小保方晴子日記』については、たいした期待をせずに読み始めたのだが、内容が実に面白い。科学者としてではなく、人間の心理の描写に関して、小保方氏には類い稀な才能がある。

評者も鈴木宗男事件に連座して、メディアスクラムの対象になったことがある。あの辛さには経験者にしかわからないところがある。小保方氏の逃亡中の姿が実は他人事とは思えない。

小保方氏は、ペットのカメ「ぽんちゃん(本名ぽんすけ)」を連れて逃げる。2015年1月12日(月)の日記にはこう記されている。

〈少し眠れたような気がする。朝ご飯も少し食べた。今日はまた移動日。雪が積もりすぎていて、車で走るというより目的地まで滑った。もはや車でなくソリ。ここは寒すぎる。寒すぎてつらい。

目的地付近でぽんすけを預けた。ぽんすけの水槽はいつのまにか私の体の一部になっていた。手と腕に感じていたぽんすけの重みがなくなった途端に体のバランスが取りにくくて、立っていられなくなった。

すごく寂しい。泣いた。

それでも、ぽんすけの安全が確保できたことに安心する気持ちが、日ごとに濃度を増す心の不安をほんの少し中和してくれたような気がする〉。

ペットは餌をやり、世話をする主人を裏切らない。今まで信頼していた人が次々と掌返しをする中で、爬虫類のカメであっても人間よりはずっと信頼できるパートナーであるという心情が評者にはよくわかる。

さらに組織の冷酷さについては、同年3月20日(金)の記述が興味深い。

〈理研が私に論文の投稿料60万円を返還請求することを発表したと連絡を受けた。

内臓が突き上げられるかのようにこみ上げる悔しさ。血を逆流させるほどの「信じられない」という思い。抗えない感情の渦は、似た感覚を持った時の記憶を連鎖的に呼び覚まし、苦しみの濁流に変わる。

「研究の状況を常識的に考えたら、理研が小保方さんにお金の返還を求めることは絶対にありえない」と私に説明をした理研の事務方の幹部がいた。騒動中、大将と名乗っていたのに、いつのまにか本陣を去ってしまった人。思い出すことを避けていた人の顔が頭に浮かび、目の奥で赤い光が弾けた。頭の中も、目に映るものも、すべてが赤い。

沸騰した濁流で体が破裂しそう。それでも、心の痛みを感じる体の芯は氷を詰め込まれたように冷えきっている〉。

それでも生き続けるなんて…

STAP細胞は、小保方氏だけでなく、笹井芳樹氏(理化学研究所、自殺)、若山照彦氏(山梨大学)らとの共同研究だ。

理化学研究所の幹部たちも、当初は小保方氏を若手女性研究者として売り出そうとしていた。組織とは都合が悪くなると、特定の人物に責任をすべて被せ、生き残ろうとする。そして、生き残るためならば何でもする醜悪な人々の姿を小保方氏は目の当たりにしたのだ。

評者も鈴木宗男事件で、なりふり構わず生き残ろうとした元鈴木宗男派官僚の醜悪な実態を見た。

さらに興味深いのは、家族による小保方氏に対する支援がきめ細かいことだ。2016年3月8日(火)の記述が興味深い。

〈『NHKスペシャル』の残像が脳裏に焼き付いて離れない。泣いてたまるものかと気を張っていたら、眠れなかった。今もまだ動悸がする。

BPOへの意見書を準備しなくては、ホームページを作らなくてはなど、するべきことは浮かぶのに、11時頃まで体が動かず、姉に電話。

「はるちゃん、確定申告しなくちゃね」と言われ、今もなおこの社会で生きる義務を課せられていることが不自然に思えた〉。

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こういうときには確定申告などの手続きを怠ると、それが不祥事として報道されることがある。姉が細心の注意を払って小保方氏を守っていることが伝わってくる。

ちなみにこのBPO(放送倫理・番組向上機構)への申し立てについては、「名誉毀損の人権侵害が認められる」「放送倫理上の問題も認められる」と小保方氏側の主張が認められた。

さて、小保方氏の将来を示唆する興味深い記述もある。2016年6月25日(土)の日記にこんな事実が記されている。

〈講談社の文芸の担当編集者から小説執筆の練習課題が送られてきた。お題は大学受験をテーマにした短編小説。せっかく人生のトラウマを乗り越えようとしているのに、よりにもよって別の思い出したくない人生の思い出を書くことになってしまった。

お昼から書き始めて、朝の4時に2万字ほどの原稿を書き終わった〉

半日強で、400字換算で50枚の原稿を書くことができるのは、たいへんな生産量だ。『あの日』も『小保方晴子日記』も当事者手記なのでジャンルとしてはノンフィクションに属する。

ノンフィクションでは架空の事柄は書けないが、小説ではこの縛りがなくなる。科学よりも小説の世界においての方が、小保方氏の才能がより発揮できると思う。

『週刊現代』2015年5月19日号より