埼玉県の新しい学力調査では、子どもが持つ学力以外の能力も把握できる(写真:EKAKI/PIXTA)

子どもが成長した証とは何か。良い教師の条件とは何か。もし、それが客観的に把握できるとしたら、画期的なことではないかーー。
埼玉県が2015年から始めた学力・学習状況調査(以下、埼玉県学調)は、良い教師の条件が把握できる大変まれな取り組みである。教師の実力にとどまらず、子どもの力が伸びる条件までわかることもあり、全国に同様の動きが広がり、世界からも注目を浴びている。
文部科学省から出向中に埼玉県学調を作り上げた2人の現役官僚が、新しい学力調査に秘められた可能性を明らかにする。

50メートル走を7.5秒で走ることを目標としたとき、7.4秒で走った生徒Aの担任教師が、7.6秒で走った生徒Bの担任教師より優秀といえるだろうか。無論、子どもの足の速さだけで教師の力を結論づけられない。

学力も同じである。良い結果を出した子どもの担任教師が「良い教師」とは限らない。そもそも教育の本質的要素は、子どもがどれだけ高い結果を出したかではない。子どもの力をどれだけ伸ばせたかどうかが重要である。要するに「伸び率」が良い教師を見極める判断材料となる。

従来型の試験では「伸び率」を見られない

良い教師・良い指導を知るには「伸び率」を正確に把握する必要がある。

たとえば、ある子どもがテストで今までに取ったことのない高得点を挙げたとしよう。だがこれでは、テストが簡単になって高得点が取れただけかもしれない可能性が残る。

つまり、テストの結果を成長の証と見なすためには、それぞれの試験の難易度差を考慮する必要がある。

しかし、テストの正答率を判断基準にしたり、同じ試験を受けた子どもの中で順位付けしたりする従来型の試験は、「伸び率」の把握に焦点を当てた設計になっていないと指摘されている。

そこで埼玉県は、新しい学力調査を始めるに当たり、「項目反応理論(Item Response Theory;IRT)」と呼ばれるテスト理論を用いることにした。

IRTは、TOEFLやSAT(米大学進学適性試験)で用いられている現代的なテスト理論であり、「伸び率」の把握に活用することが可能といわれている。OECD(経済協力開発機構)が実施する学力調査などでもこの理論が採用されている。

さらに「伸び率」の把握には、同じ子どもを継続的に調査することが必要ともいわれている。そのため埼玉県学調は、同じ子どもや学校の変化を継続的に把握できるよう設計されている。

ある小学校に通う4年生の子どもが5年生、6年生と進級するたびに「追跡調査」を行うのである。こうすることで子どもがどれだけ力をつけたのかがわかるようになる。ここが従来の学力調査との大きな違いである。

前述の通り、従来の試験では全体の平均点がはじき出され、それと比べて高いか低いかという評価に終始していた。

ただ、これでは一人ひとりの「伸び率」は見られない。たとえ平均点に達していなくても、「伸び率」を見て成長が認められれば、その生徒の力は伸びたといえる。

いわば「平均点の呪縛からの解放」こそ、埼玉県学調の最大の特徴である。このような調査を自治体レベルで大規模に実施するのは、世界的にみても極めてまれだ。

埼玉県では、埼玉県学調で得られた情報をもとに、教師・学校・教育委員会が子ども一人ひとりの「伸び率」を把握し始めている。

さらに、調査データに基づいた分析を経て、子どもが伸びる仕組みも詳細に検討している。その結果、子どもの力を伸ばすコツが教師間で共有されるなど、前向きな取り組みが広まりつつある。

教師の実力が子どもの力を伸ばす

では、子どもの力はどうすると伸びるのか。

埼玉県教委は、慶應義塾大学SFC研究所に対し、3年間で累計約90万人分のビッグデータの分析を依頼した。その中で一定の因果関係として見えてきたことが2つある。

1つは、自制心や勤勉性、苦手でも頑張る気持ちといった要素(非認知能力)を伸ばせれば、学力は伸びていくのではないか、ということである。

そして、もう1つが興味深い。学力や非認知能力は、対話的・主体的な深い学び(アクティブ・ラーニング)に基づいた授業を実践したり、上手にクラスをまとめられたりする教師によって、より伸ばされるのではないか、というのである。

子どもの学力を上げようとすると、目前の試験で点数を取れるように勉強させる方法が考えられがちかもしれない。しかしながら、勉強そのものを目的化したところで、必ずしも試験で点を取れるようになるわけではない。

子どもが自分をコントロールしてこつこつとまじめに取り組み、苦手な教科でも気持ちを整理して課題に向かう態度をどれだけ養えるか。埼玉県学調のデータ分析結果は、試験で点を取れるようになるためにはこうした視点を持った教育が必要ではないかと示唆している。


埼玉県学調では同じ子どもの学力を追い続けられる(著者作成)

そして、このような子どもの姿勢や態度は、一方的に教え込まれたりするよりも、アクティブ・ラーニングによる教師の引き出し方や、子どもたちの教師への信頼性で決まってくる可能性があることがわかってきた。

こうした「良い教師」の条件を見極められるのが、埼玉県学調の強みである。

保護者の方々においては、自分の子供が通う学校の教師を見るとき、近視眼的に成績を上げているかどうかよりも、教師が子供同士の人間関係を上手く構築しながら、主体的で対話的な深い学びを行っているかどうかを確かめてほしい。親として子供と向き合う際も、親と子の人間関係とアクティブ・ラーニングを勉強のポイントとして意識するといいだろう。

埼玉県の取り組みが全国へと波及

まじめに取り組む態度といった「非認知能力」は、日本の学校教育が元来大事にし、多くの教育活動を通じて伸ばそうとしてきたものである。

埼玉県学調でそれが客観的に把握できることが知られると、全国の自治体から注目されるようになった。学力と非認知能力を伸ばすと同時に、子どもの「伸び率」を見られることが教育の本質につながっていると評価されているのだ。

2018年度からは、福島県の郡山市や西会津町に加え、広島県福山市が、埼玉県と共同で調査を実施することが決まっている。2019年度には福島県全域で実施される予定だ。

埼玉県学調は世界からも注目されている。

世界35カ国が加盟するOECDは、非認知能力を伸ばす教師の条件を知りたがっている。しかし、OECDが実施している学習到達度調査(PISA)は、同一の子どもを対象に継続的に調査しているわけではない。そのため、国際教員指導環境調査(TALIS)と結びつけても、いい教師の条件の把握には限界があると指摘されている。

そこでOECDは埼玉県学調に注目し始めた。PISAを考案したとされる「ミスターPISA」こと、シュライヒャーOECD教育・スキル局長は、2017年7月に来日した際に埼玉県を訪問し、埼玉県学調を高く評価して連携の必要性を主張した。

埼玉県が生み出した新しい学力調査が今後、世界の教育政策に影響を与える存在になる可能性もある。

「新学力調査」が教育の在り方を変えていく

近代の学校教育制度が、近代社会が形成される中で生まれてきた比較的新しいものであることを踏まえると、現在の制度が未来にわたって不変であるとは言えない。

人工知能やビッグデータの研究を行う理化学研究所の星野崇宏氏は、2017年12月に開催された「学力向上コンソーシアム」で、「これまでの学校・教師の役割に関して、AIで代替できる部分と人でないとできない部分が、データを分析する中で見えてくる可能性がある」と指摘している。

今後、子どもたちが問題や質問に回答した結果を集め、AIを含めた解析を通じて、AIが個々の子どもたちに最適な練習問題を出題するなど、AIが解決策を提示して教師をサポートする時代が到来する可能性もある。

一方、埼玉県学調では、非認知能力が子ども同士または子どもと教師とのかかわりの中で培われることも示されている。どれだけAIが発達しても、教師のもとで人々が学び合うという学びの本質や教師の必要性は今後も変わらないであろう。

現在の学校・教師の役割にビッグデータと最新技術が変革をもたらすとともに、子ども一人一人の学力や非認知能力が客観的に把握できるという新たな展開は、今後の教育の在り方に一石を投じることになるだろう。