-保険プランニング-

そのとき、人間の本性が自ずと露わとなる。

三上保(みかみ・たもつ/30歳)は、外資系保険会社の保険プランナー。

垣間見える男女の闇に「結婚は最大のリスクである」と考えを拗らせていく保だが、運命の出会いは突然やってくる。

小悪魔美女・美里に心奪われる保。が、彼女は貯金0円の浪費女だと判明。しかし意外な素顔を知るにつれ内面にも惹かれていく。

契約成立後も次々と保に顧客を紹介してくれる美里。富山にいる彼女の両親も紹介してくれるが、なんと保険商談中に熟年離婚の危機が勃発。

動揺する保をよそに、美里は意外にも涼しい顔。

「男を上げる女」と周囲からも評判の彼女は、両親を説得して離婚危機を回避。

さらには保のために年金商品の契約までプッシュしてくれたのだった。




自立した妻


「では、次回はいくつか具体的にプランを用意してきます」

六本木の高級マンション。

30畳は超えているだろう広いリビングで、保は向かいに座る女性に頷いてみせた。

原井美里の紹介で商談にやって来たのは、彼女の大学時代の先輩だという、ともに外銀勤めのセレブ夫妻。

しかし指定された20時に自宅を訪れてみると夫の姿はなく、保を迎えたのは妻・鳥居礼子だけだった。

礼子は妊娠を機に退職しているが、父親が経営する会社の役員に名を連ねているとかで不労所得があるらしい。

今回保が呼ばれたのも鳥居家の資産形成の話ではなく、完全に礼子個人のニーズによるものだった。

「美里ちゃんに紹介してもらえてよかったわ。子どものために、しっかり備えておきたくて」

淡々と希望を話す彼女は、非常に凛としていて美しい。

…しかし保は、彼女のその声や表情に、どこか冷たい印象を受けた。

「基本的に家計は夫に任せてますが、私は私で別に資産を作っておきたいの。今はお互い良い関係ですけど…」

そして彼女は、一度口を閉じる。

一瞬、何かを考えるように目を動かしたあと、礼子は再び淡々と続けた。

「でも今後どうなるかは…正直、わからないでしょ?」


たとえ夫と離婚してもダメージがないように備えるハイスペ妻。 一方、原井美里の両親はというと…


-なんていうか、隙のない女性だったな。

礼子と別れてひとりエレベーターに乗りながら、保はそんな感想を抱いていた。

経済的にも精神的にも完璧に自立した、ハイスペ美人妻。

“結婚は最大のリスクである”などと拗らせている保であるが、彼女くらい依存しないパートナーであればリスクなどないのでは、…と思えるほどだ。

「別に、夫の稼ぎに頼る気はないの」

商談中、彼女は何度もそう口にした。

稼ぎをアテにされるのはリスキーに違いないのだが…しかし彼女のように「頼る気はない」などとあっさり言われてしまうのも、どことなく寂しい気がしてしまう。

保は験担ぎや風水大好き、毎朝の神頼みも欠かさない。

そうやってできる限りのリスクを避けて生きてきたはずの保だが、原井美里と出会ってからというもの、どうもその価値観にブレが生じている気配がある。

「貯金0円なんです♡」と口にしておきながら交際費にはまったく糸目をつけず、フラワーアレンジメントなど金のかかるお稽古に通い、美容もファッションも手を抜かない美里。

浪費家としての素養がありすぎる彼女は、嫁候補としては確実にハイリスクである。

それなのにどういうわけか、先ほどまで対面していた鳥居礼子夫人のような完璧妻より、天真爛漫な原井美里の笑顔を求めてしまう自分がいるのだ。




再びの富山


それからおよそ10日後、保は再び富山県氷見市にある美里の実家を訪れていた。

前回のアポでは、父親・原井茂が誰に相談もなく会社を退職したことが発覚。

予想外すぎる出来事に呆然とし、その後、怒りMAXとなった母親・美代子の口から「離婚」の言葉が飛び出す騒ぎにまで発展していた。

「先日はすみませんでした。…お恥ずかしいところを見せてしまって」

応接間で向かい合い、そう言って照れ笑いを浮かべる美里の母・美代子の表情は、随分と穏やかだ。

美里から報告を受けたとおり、夫婦関係はすでに修復されたようである。

「これね、お父さんが焼いてくれたパン。よかったら召し上がってください」

そう言って、美代子がバスケットにかけられたふきんを外すと、ふんわりと小麦の甘い香りが漂ってきた。

「美味しいんですよ。ね、お父さん」

母・美代子の言葉に、隣に座る父・茂が「ああ」と短く声を出した。

相変わらず寡黙すぎる父。この短い言葉が、保がこの日初めて聞く彼の声であった。

しかし保は、ふたりのやりとりに、前回のアポでは見られなかった温かさを感じるのだった。

「どうぞどうぞ」と、保にパンを嬉しそうに勧める美代子の姿に。そしてそんな彼女を見つめる、父・茂の瞳に。

定年を目前にして、勝手に会社を辞めた夫。

これまでに作ったこともないのに「パン屋を始める」などと言い出した夫。

驚きと動揺で最初は取り乱してはいたものの、妻は夫の決意を受け入れ、ふたりはともにリスクを背負う覚悟を決めた。

それはもちろん、夫の収入に依存してきた母・美代子の中に、それ以外の選択肢がないということかもしれない。

しかし、だからこそふたりは歩み寄る努力をしたのだろう。

-夫との関係が今後どうなるかは…正直、わからないでしょ?-

保はふと、鳥居礼子が冷たい目で言ったセリフを思い出した。

50代も半ばになって、同じような状況がもし鳥居夫妻に起きたとしたら。

…きっと、歩み寄る事などないに違いない。


夫婦愛に触れた保は、温かい気持ちに。そして美里の両親から、意外な事実を知らされる


美里への思い


終始和やかなムードの中、年金商品の説明を一通り終えた保に、母・美代子が思い出したように口を開いた。

「三上さんは、独身でいらっしゃるのよね?」

確かめるような言い方で、彼女は保の瞳を覗き込む。

「ええ。残念ながら、彼女もいません」

聞かれてもいないことまで答え照れ隠しの笑みを浮かべていると、美里の母・美代子はどこかホッとしたような表情を見せた。

そして、思いがけぬ事実を保に告げたのだ。

「美里がね、三上さんのことを話してくれるとき、なんだかとても楽しそうなのよ。よくしていただいているそうで、有難うございます」

「え…!」

-あの美里が?俺の話を、楽しそうに…?

どうしても緩んでしまう頬を隠すように、保はそっと下を向く。

しかし高揚する心を止めるすべはなく、もしかしたら美里も自分に好意を持ってくれているかもしれないと思うと、居ても立ってもいられない気持ちになる。

今すぐにでも、美里に会いたい。

そんな、まるで10代の頃のような衝動を感じて、保は自分で自分に苦笑するのだった。




美里の実家を後にしてすぐ、保は通りすがりのコンビニに立ち寄った。

はやる気持ちを抑えるように、運転席で電話をかける。

今日、実家に再び訪れることを報告しておいたからだろうか。

まるで電話が来るのを待っていてくれたかのように、ワンコールがなり終わるとすぐに、美里の声がした。

「原井さん。今、ご実家に伺ってきたところです。契約はスムーズに進みそうで、本当にありがとうございます」

簡単に報告を終えて、保はそのまま言葉を続けた。

また今度、ではタイミングを逃す。今、この瞬間のテンションで伝えなければ。

「原井さん。東京に戻ったら、また一緒に食事に行きませんか。きちんとお会いして、伝えたいことがあります」

勢いのままに言い切ると、電話の向こうで息を呑むような音がした。

「…私も」

ほんの少し改まったような声で、美里が答える。

「ぜひお会いしたいです。私も三上さんに伝えたいことが。多分…きっとだけど、三上さんと同じ気持ち」

鈴が転がるような可愛らしい美里の声は、保の心をみるみる薔薇色に染めていく。

思い返せば最初に出会った時からもう、こうなることはわかっていた気がする。

結局、恋愛は理屈じゃない。

誰かを好きになるのに、理由などいらないのだ。

浪費家だからとか、ハイリスクだからとか、マイナスポイントを探したところで走り出した気持ちは止められない。

いや、むしろあらゆるリスクだって受け入れようという覚悟こそが、誰かを愛するということなのかもしれない。

-よし、ロブションを予約しよう。

東京随一のシャトーレストラン『ガストロノミー・ジョエル・ロブション』は、愛らしい美里のイメージにぴったりだ。

そして同時に、保はこうも心に誓うのだった。

美里のためにも、まだまだ東京で上を目指そう、と。

Fin.