「東京のやり方じゃ、まるで通用しない…。」28歳女が大阪での“鉄の掟”を破って涙した夜
あなたが大阪に抱くイメージは、どんなものだろうか?
お笑い・B級グルメ・関西弁。東京とはかけ離れたものを想像する人も少なくないだろう。
これは、そんな地に突然住むことになった、東京量産型女子代表、早坂ひかりの大阪奮闘記である。
東京から大阪への転勤を命じられたひかりは、結婚も視野に入れていた隆二とのしばしの別れを経て、意気揚々と大阪へ赴いた。
しかし先輩の高倉淳子にいきなり大阪の街を爆走することを命じられて…!?
―たしか、一粒で300メートル、だったっけ。
テレビで見たことのあるグリコの看板を眺めながら、ひかりは子供のころに食べたキャラメルに書いてあったフレーズを思い出していた。
ー朝から5粒分は走った気がする。
心斎橋筋にある店舗への欠品補充に奔走すること1時間、ようやく一仕事を終えたひかりと淳子は、カフェで今後の打ち合わせをすることにしたのだ。
「早坂さん来てくれたから、2往復でいけたわ、助かった!疲れたやろ?」
クールビューティーな外見とは真逆の人懐っこい声で話すのは、高倉淳子。情報通の梨花いわく、“なにわの女商人(あきんど)”と評判の人物。
現在の役職は営業だが、もともとはひかりと同じ美容部員で入社したのち、最年少でマネージャーに昇格と、まさに順風満帆の出世コースを歩んでいたらしい。
“でもなぜか突然、美容部員を辞めて営業に転籍したいって願い出たらしいの。異例だけどそれまでの功績がすごすぎて、人事部もOKを出さないわけにはいかなかったみたいよ。”
しかも、営業やらせてもナンバーワンらしいと、梨花が興奮気味に話していたのを覚えている。
―そんなすごい人に同行できるなんて、わたし、ツイてるかも。
「いえ、全然大丈夫です。高倉さんこそ、お疲れ様です。」
笑顔でそう答えたが、実際は靴ずれで歩くのも辛い状態だ。営業同行と聞いていたので、スーツに合わせて高めのパンプスを履いてきたのが裏目にでた。
「東京では、営業の方はいつも車だったので驚きました。高倉さんは、使わないんですか?」
口に出した後、嫌味っぽく聞こえていたらどうしよう、と思ったが、淳子の様子を見ると気にする必要はなさそうだ。
「両店とも心斎橋筋沿いやったし、朝の御堂筋めっちゃ混むから車より歩くほうが早いねん。急な欠品やったから手伝ってくれて助かった。ありがとう!」
白い歯を大きく覗かせて笑いながら、淳子はつづけた。
「このエリアのお客様はな、“いらち”やねん。」
大阪に多数生息する「いらち」に、ひかりは対応できるのか?!
「うちが担当してるエリアのお客さんはな、いらちな人が多いねん。心斎橋から難波の間は、百貨店とドラッグストアが合わせて何十件もある超激戦区やから、一分間の欠品が命取りになる。ひかりちゃんもそれ覚えといてな。」
―イラチ…?イライラしている人、ってことかな?
聞き覚えの無い言葉と、聞きなれない大阪弁。
もっと違和感があってもおかしくないが、淳子の人懐っこい声のおかげか、ひかりの耳にはすんなり入ってきた。
「というわけで、今日からの同行やけど、基本的には今後担当してもらう店舗に一緒に行って、数字の面から状況を説明さしてもらうね。その他の細かい課題とかは、店のスタッフにきいてもらえばスムーズやと思うわ。いこか!」
淳子が早々と席を立つのを見て、慌ててひかりも後を追った。
百聞は一見に如かず、とは、まさにこのこと。
「大阪の店舗は、東京と全く違う」といろんな人から聞いていたが、たしかにまるで同じブランドとは思えないほど、すべてが別世界だった。
客とスタッフの距離感は驚くほど近いのに、滞店時間は東京の約半分。とにかく目まぐるしく人が入れ替わる。
お客様によっては最後まで椅子に座らずに会計まで済ませる人もいて、ラグジュアリーブランドとは思えない慌ただしさだ。
―これは、いろいろやるべきことがありそうね…!
東京一等地の百貨店内店舗でリーダーを務めていたひかりは、接客には自信持っていた。心を込め、時間をかけておすすめすれば、どんなお客様でもアドバイスを受け入れて、商品を購入してくださると経験で知っているのだ。
「早坂さん、お待たせしました」
慌てて後ろを振り向くと、先ほどまでカウンターで忙しく接客していたスタッフが立っている。
「すみません、挨拶が遅れまして。私、心斎橋中央店のリーダーをしております、村上絵美子です。少し前までこのエリアでマネージャーをしておりましたので、わからないことがあれば、何でも聞いてくださいね。」
盛りが強めのショートヘアに、濃いめのメイク。猫のような大きな瞳でじっと見つめられると、思わず一歩引いてしまう。
―この人が、私の前任者か。
よろしくお願いします、と挨拶をしながら、ひかりは不思議に思った。
淳子が営業に移ったあと、後任としてマネージャーに着任したのが、この村上絵美子ということだろう。梨花の話によると1年足らずのうちに音を上げたらしいが、ちょっとやそっとで諦める人物には、どうも見えない。
「てか、早坂さんと私同い年やし、仲良くしてくださいね!あ、大阪はじめてなんやろ?たぶん勝手が違ってややこいことも多いから、何でも聞いてな!そうや、連絡先教えて!!」
「う、うん…。」
初対面から1分足らず。弾丸並みのスピードでぐいぐい距離を詰めてく絵美子は、ひかりが抱いていた大阪人のイメージそのものだった。
東京のやり方が通用するとは限らない!?このあと、ひかりが犯した最大のミスとは?
―あの馴れ馴れしさにはびっくりしたけど、気軽に話せる子ができてよかった!それにしても、どの店舗にも早急な改革が必要だわ…。
今日は3店舗を回り、すべての店舗において東京の完成度とは程遠いことを目の当たりにしたのだ。
「今日は、どうやった?」
御堂筋を並んで歩きながら、淳子が口を開く。昼とは雰囲気が全く変わった大通りは、なんとなく東京の街に似ていて、ひかりの足取りを軽くさせた。
「はい、いろいろ課題が見つかったと思います。」
ひかりは意気揚々と続ける。
「こちらの店舗では、総じてお客様の滞店時間が短いのが気になります。東京ではもっと時間をかけて丁寧に接客し、そのうえで新しいアイテムをご提案するチャンスを広げています。」
それが結果として客単価を上げ売上アップにつながる、と熱弁するのを淳子は黙って聞いている。
「また、来店頻度を下げることになるまとめ買いをお勧めしているスタッフが多かったのも驚きました。これは、早急に再教育を徹底しなければなりません。販促物のトンマナもブランドにそぐわないと思われるものも散見したので、東京でシェアされている成功例を展開させていただきたいと思っております。」
―明日から、早速実行しよう!
興奮気味に話すひかりを黙って見つめていた淳子が、ふと足をとめた。
「ひかりちゃんには、大阪のスタッフのいいところ、全然見えてへんねんな。」
急な言葉に立ちすくむひかりに、淳子は静かに、しかし強い口調で続ける。
「自分の今までの常識がすべてと思ってるままやったら、大阪ではうまくいかへん。東京は憧れなんかと違う。うちらのライバルなんやで。」
思いがけない言葉に、急激に鈍い痛みが胸一杯に広がる。
淳子の言う通り、今日一日で気づいたのは欠点ばかりだった。大阪の粗を探して東京のやり方で埋めようとしていたのは、確かだ。
「東京のマネなんてしてたらあかん。大阪のやり方で勝負する。それが、大阪鉄の掟やで。」
そういって再び歩き出した淳子を、ひかりは呆然と見つめていた。
◆
―大阪の掟なんて、私にはわからない。
その夜はなかなか眠れず、淳子の言葉が頭の中で何度もリフレインした。
確かに、自分でも無意識のうちに大阪を見下していたのかもしれない。しかし東京のマネ以外にできることなんて、あるのだろうか。
「絵美子です〜!さっそくやけど今週土曜日ごはんどうですか?!同期も誘っとく!」
陽気なメッセージが光るスマホをベッドの上に放り投げ、枕に顔をうずめた。
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仕事も恋も相方次第!大阪のお作法、お教えします。