生粋の京おんな・鶴田凛子(26歳)は、西陣で呉服店を営む京野家の跡取り息子・京野拓真と婚約中だ。

義母の過干渉に苦しむ凛子は拓真に嘘をつき、学生時代に好意を寄せていた竜太と密会。心が揺れてしまう。

ますますエスカレートする義母の横暴。しかし婚約者・拓真は事なかれ主義で凛子は我慢の限界に。

ついに爆発した凛子を拓真は意外にも男らしく受け止めるが、凛子は桜子に誘われ東京へ。

竜太と再び再会し、自分には逃げ場所があることを知った凛子はもう一度だけ拓真と頑張ってみようと心に誓う。

しかし拓真の口から、昔結婚を考えていた女性がいたことを知らされ…。




-はぁぁぁ…。

凛子が思わずため息を漏らすと、ゆりえがちらりと視線を向けてきた。

ザ・リッツ・カールトン京都の『ザ・ロビーラウンジ』。

ここは京町家の建築技法を取り入れた落ち着いた空間で、開口部の大きな窓からは開放感を得られ、つい長居をしてしまう。

昼過ぎに集合しアフタヌーンティーを楽しんでいた凛子とゆりえだったが、すでに時は夕刻に近づいていた。

「…まーた、ため息ついてる。そんな気にすることー?終わった過去の恋なんて」

「別に、気にしてるわけと違うし…」

ゆりえが「呆れた」と言わんばかりの目を向けるので慌てて言い訳してみるものの、漏れたため息の理由はもちろん、拓真の一件だ。

-昔、結婚を考えた女性がいた-

知らなかった。彼に、そんな女性がいたなんて。

そしてその事実は、凛子の心に思いがけぬ感情を運んだ。

最初は、裏切られたような気持ちになった。

そして次にふつふつと湧いてきたのは、対抗心とも似た感覚だった。

「そんなに気になるんやったら、聞いてみたらいいやん」

ゆりえは簡単にそんなことを言うが、拓真本人に尋ねるようなことはしたくない。

するとそんな凛子の心などお見通し、とでもいうように、彼女は意味深に言葉を続けるのだった。

「拓真さんって、同志社やんね?桜子さんやったら知ってるかも。彼女のお兄さんも同志社で、確か拓真さんと同級生」


拓真が結婚を考えるほど好きだった女性とは…?真実が明らかに。


婚約者の元カノ


「ああ、坂東愛さんのことね」

スマホの向こう側で、桜子は拍子抜けするほどあっさりと事実を認めた。

気になり始めたら我慢ができず、凛子はゆりえと別れてすぐ、ホテルの駐車場で早速桜子に電話をかけていた。

「坂東…愛…」

名前が判明すると、これまでぼやけていた輪郭が途端にくっきりとしてくる。

-どんな人なんやろ…?

自宅でデザイン画を描いていたらしい桜子は作業を中断したようで、席を立ちお湯を沸かしている音がする。

「…それにしても。拓真さんもわざわざ言わんでいいのにね。まあでももう彼女…愛さん、結婚して子どももいはるから。終わったことやからこそ、話したんかもしれんけど」

凛子が黙りこんでいると、桜子は凛子を諭すように話を続けた。

「ほら、若い時って自分と違う境遇の人に妙に惹かれたりするやん?拓真さんも、そうやったんとちがうかな。

愛さんは確か…滋賀の公立高校から同志社に来はった人。成績もよくてミスコンにも選ばれたり目立つ人やったから兄もよく話題にしてて、それで私も名前を覚えてるんやけど」

「そう、なんや」

-ミスコンにも選ばれるほどの、美人なのか。

胸の奥が、ぎゅっと締め付けられる。

話を聞くかぎり、その坂東愛という女性より自分の方が優れているところなど…何もない気がしてしまう。

「お似合いのふたりだったし…その当時は、ね?そのまま結婚するものと思ってたから別れたって聞いたときはびっくりした。しかもその理由が…」

桜子はそこまで言うと、小さく息を吐いた。

「お義母さんが…反対したんですよね?」

拓真からそう聞いた、と伝えると、桜子は憤慨するような口調で言葉を続けた。

「そう。愛さんの家は母子家庭で、大学にも奨学金で通ってたみたいで。そのことを知ったお義母さんが、わざわざ借金のある片親の娘と結婚せんでもって猛反対したって、噂で聞いた」

-あの義母なら、あり得る話だ。

これまで散々、義母の横暴ぶりを見せつけられてきた凛子にしてみれば、桜子の話は大げさでもなんでもない、すべて事実であろうと感じた。

「京野のお義母さん…相当難しい人みたいやね。凛ちゃんは大丈夫…?」

心配そうに付け加える桜子に、凛子は曖昧に返事をする。

-母さんは、凛子ちゃんのことを気に入ってる。

以前、拓真はそう言っていた。

一体、どこを!?

ずっと疑問に思っていたが、しかし今となればその理由がよくわかる。

義母は、凛子自身のことなど見ていない。見ているのは、老舗和菓子屋の娘で斎王代をも務めた凛子の出自。ただ、それだけだ。

だがその出自も含めての凛子であることも、また事実である。

そして半年後、凛子は京野の家に嫁ぐ。

かつて坂東愛という女性がどれほど願ってもなれなかった、京野拓真の妻となる。

不公平だろうが理不尽だろうが、それが京都の名家に生まれた拓真と凛子、そして坂東愛の、生まれ持った運命なのだ。


拓真と元カノの真実を知った凛子の心境に、変化が?


大恋愛ではなくても…


週末、凛子は珍しく拓真とふたりでディナーを楽しんだ。

「ふたりでゆっくり食事しよう」と拓真から誘われたのだ。

『未在』での一件以来、彼はできる限り義母の干渉を排除しようと努力してくれているようだった。

この夜彼が選んでくれた『MAVO』も、ティーペアリングでフレンチがいただけるという珍しいお店で、それはあまりお酒の飲めない凛子も楽しめるように、という気遣いに違いなかった。

「凛子ちゃん、これ受け取って」

デザートまですべてのコースが終わったタイミングで、拓真が見覚えのある小箱を取り出す。

彼の掌にあるのは、ついに完成した婚約指輪だ。

2カラットを超えるだろう、リング中央に鎮座するダイヤモンドの輝きに目を奪われる。

無条件に高揚する心に、凛子は自身の変化を感じた。

-どうせ全部、義母の言いなりなんでしょ。

少し前なら、きっとそんな風にしか思えなかった。

しかし今は、違う。

拓真が真剣に向き合おうとしてくれているのがひしひしと伝わるから、自分もそれに応えてあげたいという気持ちになる。

-お父さんと結婚するって決めて、お母さんは正解やったよ。と言うより、お父さんと二人で正解にしてきたんかな-

凛子はふと、そんな風に言っていた母の言葉を思い出した。

お互いが少しずつ歩み寄ろうとするその姿勢が、お互いの心を少しずつ変えていく。

夫婦の絆というものは、その繰り返しで育まれていくものなのかもしれない。

「改めて…僕と結婚してくれますか?」

かしこまった表情をしていても、誰と競い合うこともなく平穏に生きてきた拓真の声は、いつだって和やかに響く。

しかし彼とて表には決して見えないところで、自身の境遇を必死で受け入れてきたに違いないのだ。

この結婚は、大恋愛ではない。

様々なしがらみに縛られ、自由もない。

しかしだからといって、幸せになれないわけじゃない。

「はい。よろしくお願いします」

凛子はこうしてようやく、運命を受け入れる覚悟を決めたのだった。

▶NEXT:最終回 5月20日 日曜更新予定
ついに結婚へ。凛子と拓真を待ち受ける未来は、天国か地獄か?