麻生太郎

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セクハラ罪はないけれど

 官僚らの処分が発表されたあとも、財務省の不祥事絡みの報道は続いている。その「発火点」の一つがトップ、麻生太郎大臣の「余計な一言」なのは間違いないだろう。

「セクハラ罪って罪はない」「(改竄は)どの組織だってありうる」「福田にも人権はある」

 いずれも誤りではない。話の全体を読めば大臣に悪意があるわけではないこともわかる。そしておそらくメディア側はこうした「失言」狙いで質問を浴びせ、切り取って使っているのも明らかだ。

 が、それにしても……。

「何もこのタイミングでわざわざそういうことを言わなくても」

 支持者の中にもそう思う方は少なくないのではないだろうか。

 麻生大臣に限らず、

「本音かもしれない。本当のことかもしれない。でも今それを言う意味ってあるの?」

麻生太郎

 といった「余計な一言」を言う人に日常生活でも遭遇することはある。

 こういう人の心理はどうなっているのか。また、どのへんに気を付ければそういう失言をせずにすむのか。

 テレビでもお馴染み、齋藤孝明治大学文学部教授には、その名も『余計な一言』という著書がある。さまざまな「余計な一言」の傾向と対策を披露している同書で、麻生大臣のパターンにあてはまりそうなところをご紹介しよう。

「本音」はいつも必要ではない

 まず齋藤教授が強調しているのは「本音はいつも必要ではない」という教訓だ。たとえば、結婚披露宴における新郎の上司のこんなスピーチ。

なぜあの人にムカつくのか? 職場、家庭、人間関係に潜む28の「地雷」を徹底解剖。『余計な一言』齋藤孝[著]

「このたびは佐藤君、陽子さん、ご結婚おめでとうございます。佐藤君が入社したのは5年前。最初はずいぶん線が細い青年で心配でした。

 その後はたくましくなった……かといえば、そうでもない気もしますが、まあ結婚できて本当によかったと思っています。

 なにはともあれおめでとうございます。離婚なんてことにならないことを心から祈っています」

 これは、通り一遍のスピーチを避けようとして“毒”を入れて面白くしようとして、失敗した例だ、と齋藤教授はいう。

「結婚式の挨拶で、毒舌めいたスピーチで笑いを取ろうとして、この毒の配合を間違えているのです。『話に毒を入れる』際には、少量で効き目のある毒を入れる必要があるのですが、実はこれはとても難しい技術なのです。

 この上司は、ビートたけしさん、松本人志さんや有吉弘行さんを真似ているつもりかもしれません。しかし、素人が彼らの真似をしてもよいことは決してありません。

 有吉さんは、長い低迷期がありましたが、この毒の絶妙な調合による入れ方で、復活を遂げ、いま最も人気のある芸人さんの一人になっているのです。

 実際に、スタジオで本人にお会いしてみると、実に気が利く、とても丁寧な方です。配慮や気配りがよくできて、仕事ぶりもてきぱきとしています。彼の実像は、極めてまともな常識人なのです。だからこそ、絶妙に毒を用いることができる。

『毒舌』というのは、きちんと常識を踏まえ、あるいは場の空気が読めて、トークも上手であり、笑いを起こさせるプロの芸人だからこそつかえる技術です。社会で許される限度の気の利いた分量の毒でないといけませんし、この調合がとても難しい。素人は、基本的に真似しないほうがよいのです」

政治家はなぜ「本音」を言いたがるのか

 麻生大臣のケースとは異なるが、一時期、歴史認識に関する政治家の発言が「失言」「問題発言」扱いされることもよくあった。これもまた「間違いではないが、今それを言う?」という類のものかもしれない。

 齋藤教授はこう分析する。

「おそらくこういう人は、『本当に思っていることを黙っているのは、何だか不誠実な気がする。この本音を隠しもつのはいけないのではないか』と思って、溜めこんでいたものを吐き出すように、本音を漏らしてしまうのでしょう。『王様の耳はロバの耳』という寓話と同じことです。

 そういう気持ちは人間に共通のものなので理解はできます。しかし、そもそも政治家に求められる資質として、『話したくても話してはいけないことを、話さずに我慢できる』という精神的な強さも含まれているはずです。本音を言ってスッキリする職業ではなく、むしろ逆なのです」

 言いたいことをあえて呑みこむこともまた、立場ある人には求められる資質だ、というのだ。このアドバイスを聞いていれば、件の前次官も「おっぱい触っていい」などと口にすることはなかったかもしれない。

 それはさておき、齋藤教授は「本音」の取り扱いについてこうもアドバイスしている。

「本音を言うことにはさしたる意味がない、という認識も必要です。

 ほとんどのことは『本音』ではなくて、あくまでもその人の『現在の認識』もしくは『一つの認識』に過ぎないと思ったほうがよい。それは刻々変化するものなのです。

 パーティで余計な『毒舌』『本音』を口にする人や、失言をしてしまう政治家には、そういう認識が足りないのです」

 最後に、おさらいを兼ねて同書で紹介している「余計な一言を防ぐためのポイント」から麻生大臣にも、我々にも役立ちそうなものを引用しておこう。

・素人の「毒舌」ほど危険なものはない。

・多くの場合、「本音」は必要とされていない。

・思ったことをそのまま発言してはならない。

デイリー新潮編集部

2018年5月11日 掲載