アラサーの神戸嬢を語るには欠かせないある“時代”が、神戸にはあった。

2000年代初期、今なお語り継がれる関西の「読者モデル全盛期」だ。

それは甲南女子大学・神戸女学院大学・松蔭女子学院のいずれかに在籍する、容姿端麗な神戸嬢たちが作り上げた黄金時代である。

しかし時を経て読モブームは下火となり、“神戸嬢”という言葉も、もはや死語となった。

そして2018年現在。神戸嬢の歴史的時代を生き抜いた“元神戸嬢”たちは、それぞれの道を歩んでいる。

当時神戸のカリスマ読モだった寛子は、現在会社員。やりがいを持って仕事をしているが、キラキラと活躍する神戸嬢たちを見ながら「これで良かったのか」という葛藤もあった。




「寛子ちゃん、なんか今日雰囲気違うね。珍しい色の服着てるじゃん。」

今日の寛子は、先日亜由香の店で購入したワンピースを着ていた。気持ちまでふわりと軽くなるような、ベビーピンクのAラインのワンピース。

「関西の子、って感じだよね。その感じ。寛子ちゃん、昔有名だったんでしょ?こないだ、寛子ちゃんの昔の写真見せてもらってびっくりしたよ。関西って独特だよねー。」

本社から出張で来ている上司に掛けられた何気ない言葉が、先程までふわりと軽やかなだった寛子の心に、ずっしり重く響くのだった。

あの日言われた一言も、寛子の胸を今でもチクリと刺している。

―やっぱり寛子ちゃんですよね!そうかなと思ったんですけど、なんか全然あの時と印象が違うから…。

正直、あの時ワンピースを着て鏡に映った自分の姿に違和感はあった。しかしながら、思わず購入してしまったのだ。

昔の自分を取り戻せる気がして―。


“元神戸嬢“にはありえない?!普通のデートとは?


スムーズに仕事を終えられず、会社を出たのは待ち合わせの予定時間5分前だった。約束に遅れてしまった寛子は急ぎ足でお店に向かう。

このワンピースを着ようと思い立ったのは、今夜のためだった。

今日待ち合わせをしている省吾は、寛子が働くインテリア会社の担当バイヤーだ。

何度か展示会などで会う内に会話も弾み、ご飯の約束を交わすまで自然な流れだった。仕事以外で省吾に会うのは今日が初めてである。

待ち合わせは、大阪・肥後橋にあるイタリアンバルの『(食)ましか』。

一見タバコ屋さんのような外観であるが、一歩中に入ると30席ほどのカウンター席にぎっしりと客がひしめき、アットホームな賑わいを見せている。

「遅くなってごめんなさい!」

狭い店内の人の間をかき分け、寛子は省吾の横に1つ空いたスツールになんとか腰掛ける。

「全然!先に1杯やってたとこ。お仕事、お疲れさま。」

省吾さんは寛子よりも2歳年上の33歳。長く付き合った人と別れて以来、しばらく彼女がいないらしいという噂を先輩から聞いた。

省吾は、いつも穏やかで部下たちからの信頼も厚く、職業柄センスの良いこざっぱりとした服装をしていた。寛子の会社の女子からも人気高く、彼女が居ないなんて嘘のようだ。だから、そんな彼との約束を寛子は楽しみにしていた。

「ここ、来てみたかったんだよね。」

省吾が東京から異動で大阪にやって来て、まだ1年前も経っていない。コスパの良いハイクオリティな料理が揃うと人気のこの店は、いろんな業界人にお勧めされて一度来てみたかったらしい。




この店のほとんどが、セルフサービスになっている。

入口前にある冷蔵庫からビールを取り出し、ワインマシーンから自分でグラスにワインを注ぐ。セルフサービスだけれど、ワインはソムリエが選ぶこだわりの自然派ワインだ。

「“トリュフのタヤソン あさりバタークリームソース”がおすすめだって聞いたから、絶対食べたいんだよね。」

注文も自らレジで行う。レジ上の黒板を指差しながら、眉をしかめどれを食べようか真剣に悩んでいる省吾の横顔を見上げ、寛子は思わず笑ってしまう。

きっと“元神戸嬢“の皆にこの話をしたら、口を揃えてこう言うだろう。

「初デートでセルフサービスは、ありえへん。」

以前の寛子のままなら、“元神戸嬢“たちのようにそう言ったかも知れない。“元神戸嬢“が思う理想のデートではないかも知れない。

けれど、雑多で賑やかな雰囲気の中で、自然と距離も近くなる。

生クリームとバターの深く濃厚なソースとたっぷり散らされたトリュフをパスタに絡め、サッパリとした軽快な白ワインを味わいながら、寛子の心は満たされていった。


“元神戸嬢”たちが辿りついた、本当の幸せの定義とは・・・?


「なんか寛子ちゃん、外で会うとまた雰囲気違うね。今日の服装かな?」

省吾からふいにそう言われた時、寛子は急に自分が場違いな気がして恥ずかしくなる。

ワンピースに、久しぶりに履いたヒール。バッグは、MARNIのTRUNK。大学生の時とは違いブランドものに執着はないが、自分で働いたお金で、ある程度好きなものを買えるようになったのだ。

だけれどレストランの雰囲気を考えると、今日はチョイスミスだったかもしれない。

「友達がブランドをやっていて、その子のブランドの洋服なんです。」

恥ずかしさを隠すように、俯き加減で寛子は答える。

「自分でブランドやるなんて、皆すごいね。寛子ちゃん、いつもの感じも今日の感じも、似合ってるよ。」

そう言ってくしゃっと笑うと、垂れ目がちの省吾の目が余計に優しい目になる。その口調から心からの言葉だと分かり、寛子はまた恥ずかしくなり、微笑んだ。



―寛子、どうやったん?デート。
―ねえ、早く報告して!!

省吾と分かれた帰り道、神戸組のグループLINEの受信音が止まらない。

久しぶりに寛子が誰かとデートに行くということで、神戸組の皆から矢継ぎ早にLINEが飛び交っていた。

寛子は、今日の楽しかった出来事をLINEで報告した。省吾のこと、連れて行ってくれたお店のこと。

―え?なんなん?初デートでそこ?でも、美味しそう。次友達と行ってみるわ。

―めっちゃいい人やん!でも、サラリーマンなんやな、付き合うだけなら楽しくていいかもね。

寛子のデート報告に喜びながらも、省吾に対しては少し否定的であった。

決して悪気がある訳ではない。それは、彼女たちの友人としての真摯なアドバイスなのだ。

彼女たちが育ったのは、“神戸”。否応なしに埋め込まれた価値観の違い。

確かに、省吾は若社長ではないしいわゆるおぼっちゃま育ちでもなさそうだ。初デートに洒落たレストランに連れて行ってくれるようなタイプではない。

ただ一つだけ言えるのは、今日のデートは純粋に楽しかった。

神戸嬢だった自分は、もう過去のものだから―。

寛子は、携帯の画面を見つめながら心の中で呟いた。



数日後、ルクアイーレの7階『bills大阪』に、寛子と圭子はいた。

“元神戸嬢”たちが東京に行けば必ず立ち寄っていた、世界一の朝食として知られる『bills』が、昨年遂に関西にも出来た。

『bills』に来たら欠かせないリコッタパンケーキとパブロバをシェアしながら、寛子は思わず、最近考えていた心の内を圭子に話したくなった。

「圭子、私な…。今、神戸にいて自分が何が幸せかわからへんねん。そもそも私、神戸生まれじゃないしね。だけど、今自分が選んだ道が正しいのかわからへんわ。」

神戸で言われる“幸せ”の定義は、分かりやすい。

実家は裕福であること、神戸の私立内部生であること、ブランドに囲まれた生活であること。

限られたコミュニティで生き、その中で名を知られることが正とされる、神戸という街。それを次の世代にも受け継いで行くことが正とされる、神戸という街。

その中で皆幸せに暮らしているのが、神戸という街なのだ。

圭子は真っ直ぐに寛子の目を見つめ、ゆっくりと話し出した。

「私たちって、多分すごい狭い世界と価値観で生きてるねん。時々窮屈にそんで滑稽に感じることもあるけど、でも、それが私たちの”普通”やねん。そうやって、皆生きて来たから。

私は今の旦那さんと結婚して、違う世界を見せてもらった。けどな、別にどの世界が幸せでどの世界が幸せじゃないかって、本人にしかわからんから。

大丈夫。寛子は寛子の真っ直ぐさで、自分の人生を信じて。」

そう言って圭子は、強い瞳で頷いた。




その眼差しを受け止めながら、寛子は心の中でこう思うのだった。

あの時の自分があったから、いまの自分がいる。これからは、この言葉を胸に生きていこうと決めた。

神戸嬢だった自分を過去のものと切り捨てるのではなく、神戸嬢だった自分が過去にいたから、いまの自分がいるのだ、と。

―Fin.