ヤマハが2017年に発売した新タイプのアコースティック管楽器「Venova(ヴェノーヴァ)」。手軽さが受け、好調な売れ行きを見せている(写真:ヤマハ)

リコーダーのような、ソプラノサックスのような見た目をした、これまでにない新しい楽器が人気を博している。ヤマハが2017年4月、欧州を皮切りに発売した新タイプのアコースティック管楽器「Venova(ヴェノーヴァ)」。180グラムと軽く、リコーダーに似た指使いで、サクソフォンのような広がりのある音色を奏でられるのが特徴だ。

ヴェノーヴァはサックスのような広がりのある音色が特徴だ(映像:ヤマハ)

2017年8月には日本で発売され、同年9月の北米、同年10月の中国と続く。価格は約1万円。気軽に試してもらおうと、本体にはプラスチックを採用して製造コストを抑えた。発売初年度(2017年4月〜2018年3月)の世界販売目標3万本に対し、3万5000本を販売。とりわけ牽引したのは日本だ。

販売好調の日本では商品不足も

日本ではほぼ全員が小中学生時にリコーダーを授業で吹いた経験があるうえに、学校などで吹奏楽部が盛んだ。ヤマハは今回、SNSを積極活用して、「カジュアル管楽器」として打ち出したことが奏功し、吹奏楽経験者がカジュアルに演奏できる2本目の楽器として、あるいは久しぶりに演奏したいという思いに応える楽器として認められた。楽器で初めてグッドデザイン大賞を受賞したことも追い風となった。消費者への訴求効果はヤマハの想定以上で、日本では昨年末に商品が足りなくなるほどの勢いだった。

楽器名の「ヴェノーヴァ」は、ラテン語で「ventus(ヴェンタス、風)」と「nova(ノーヴァ、新しい)」という言葉を組み合わせて造った。「日常に新しい風を届ける」が新楽器のテーマだ。この楽器を世に送り出したのは、ヤマハの楽器事業統括部で管楽器を企画している中島洋リーダーだ。

「伝統的な管楽器の弱点を解決した手軽な楽器を作りたい」。中島氏は、かねてからこう考えていた。小中学校で学ぶリコーダーは1000円程度にとどまる一方、本格的な楽器はハードルが高い。サックスやクラリネットを買うには最低でも数万円が必要となり、本体が重く複雑でメンテナンスが必要と、興味を持っても気軽に試せない点が課題だった。そこで中島氏は、リコーダーのように手軽かつサックスに近い音色の楽器を作れないかと考えていた。

しかしサックスは円錐型の複雑な形をしているからこそ、特有の音色を可能にしている。ヴェノーヴァがシンプルな構造でサックスに音を近づけられた背景には、1977年に日本音響学会で発表された論文がある。「円筒を分岐させることで、円錐型をしているサックスの音色に近づけることが出来る」という論文の内容が1992年頃にヤマハで発見され、面白い理論だと技術研究所内で長らく温められてきた。


ヴェノーヴァの材質はプラスチックの一種、ABS樹脂。耐久性に優れ、水洗いも可能だ(記者撮影)

2009年頃、中島氏がこの理論を知り、「シンプル・安価・メンテナンス不要」という特性を兼ね備えた楽器、というコンセプトが誕生。ヴェノーヴァの開発が始まった。40年前に生まれた理論を元にプラスチックの管を分岐・蛇行させ、サックスの音に近づけようと取り組んだ。手軽さにこだわり、本体と付属のリードには、軽量で耐久性に優れるプラスチックのABS樹脂製を採用した。

「手軽な楽器」開発に強くこだわる

サックスを吹くハードルの1つに、家で演奏するには音が大きいことがある。研究段階で音量を小さくする構造も検討したが、1オクターブ程度まで演奏音域が狭くなる弊害が生まれた。1オクターブのみでは演奏できる曲が非常に限られる。そこでヤマハは独自の解析技術を駆使して、本体内側の直径のサイズや音孔(トーンホール)を設計。リコーダーとほぼ同じ2オクターブの音域を確保することができた。

演奏者の年齢や演奏場所を選ばずに使える「カジュアル管楽器」というコンセプトに沿って開発を進めた結果、トレードオフで失ったものもある。楽器はこれまで、より発音が均一になるよう改良が重ねられ進化してきた。しかしヴェノーヴァでは、真鍮などを本体に使った金管楽器のように正確な音程を手に入れるのは難しかった。

また、小型化すると穴をしっかりおさえて音を出すのが難しくなってしまった。開発段階では、音響のシミュレーションを繰り返しながら、設計を細かく見直したが、こうした課題を100%解決することは困難だった。開発陣は迷ったが、「手軽さ」というコンセプトをぶれさせず、可能な限りコンパクトで、楽器として必要な機能を発揮できる最大のものを作ることに決めた。

こうして楽器が完成するが、発売を前にして、社内では「本当に大丈夫か」という賛否両論が巻き起こった。ヤマハはこれまで製作した楽器をオーケストラに使ってもらうなどして、音を極めてきた。歴史的にも、楽器はより良い音を出すために発展してきた。ヴェノーヴァは今まで重きを置いていた価値観を捨てることとなり、むしろ退化したとも言える。しかし「顧客にとってこの楽器の価値は自由に気軽に遊んでもらうこと」と定めて発売を決めた。


ヤマハが提供するアプリを使えば、ヴェノーヴァの練習ができる(写真:ヤマハ)

ヴェノーヴァは実際にはどのようなシーンで使われているのか。発売後、開発陣が想定していたとおり、先進国では、気軽に山や海に持ち運んで演奏する写真や動画がSNSには数多くアップされている。

ほかにも、吹奏楽の中で演奏さたり、ほかの楽器と一緒にアンサンブルを行ったりしたという話も聞こえてくるという。

新興国市場へも積極展開

発売開始から1年。ヴェノーヴァの展開は今後どうなるのか。世界首位の総合楽器メーカーであるヤマハは、学校教育や音楽教室向けの豊富なラインナップを強みとしてきた。引き続きビジネスの軸は先進国だが、人口が増え、中間層が厚みを増しつつある新興国市場も魅力的に映る。ヤマハは今、中南米の音楽教育で生徒たちにシングルリードの楽器体験をしてもらおうと、運指表を現地の学校に送るといった提案活動も始めている。


ヤマハはヴェノーヴァの教本も用意した。「手軽さ」という新機軸で、新しい市場を開拓できるか(記者撮影)

「新しい風として、今よりももっと開かれた人にリーチしていきたい」と生みの親である中島氏は話す。まだヴェノーヴァの存在を知らない人は、世界中に何億人、何十億人といることが念頭にある。ヤマハはマスへのリーチを狙い、SNSによるヴェノーヴァの宣伝活動にもさらに力を入れる考えだ。

もちろん、ヴェノーヴァを通じてほかの自社製品にも興味を持ってもらい、できれば販売につなげたいという商売気もあるだろう。楽器開発の常識に「手軽さ」という新機軸で逆らったともいえる新製品の好調ぶりは、ヤマハの楽器作りにどのような影響を与えていくか注目される。