“飛騨の小京都”とも呼ばれる情緒ある町並みをそぞろ歩く外国人観光客たち(筆者撮影)

飛騨高山を訪れるイスラエル人が急増している

江戸時代からの古い町並みが残る「飛騨の小京都」。今、日本四大朝市として名高い岐阜県高山市の飛騨高山を訪れるイスラエル人が急増している。

「シャローム!」

ヘブライ語(イスラエルの公用語)で「こんにちは」を意味するその言葉が威勢よく響き渡るのは、飛騨高山の名物朝市だ。地元農家が丹精込めて育てた新鮮な野菜や果物のほか、特産の手作りの漬物や和菓子、さらには可愛らしい和風小物などがずらりと並び、そぞろ歩く観光客が絶えることはない。

もともと、その風情ある街並みから、飛騨高山を訪れる外国人観光客の数は多く、街中には英語や中国語のみならず、タイ語、韓国語、ドイツ語、フランス語、スペイン語など他言語での散策マップなども充実している。

いわば「外国人フレンドリー」と言えるこの街で、今とりわけ力を入れているのがイスラエル人観光客の受け入れだ。高山市の担当者によると、イスラエル人の宿泊客数は2013年の2833人から、2016年は初めて1万人を超えて3倍以上に急増している。実際に飛騨高山の街を歩くとイスラエル人とおぼしき観光客を見掛けることも多い。

ヘブライ語で声掛けをしていた飲食店の店主に話を聞くと、急増するイスラエル人観光客に対応するため、簡単な単語だけ覚えるようにしたのだという。イスラエルなどヘブライ語圏からの観光客はまだ数が少なく、ヘブライ語の対応は充実していない。そのため、「非常に喜んでもらえる」と手応えを感じている。


外国人観光客の多い飛騨高山では手書きの英語の張り紙などもよく見かける。日本風の可愛らしい雑貨は外国人女性にも大人気だ(筆者撮影)

イスラエル人が岐阜県に集う理由

なぜ今、イスラエル人が岐阜県に集うのか、その理由は、実にナチス時代にまで歴史を遡ると見えてくるという。

第2次世界大戦中、ナチス・ドイツの迫害によりポーランドなど欧州各地から、安住の地を求め逃れてきたユダヤ人難民たち。その時代に、リトアニアで領事代理として勤めていた杉原千畝は、独断で彼らに「命のビザ」を発給して脱出を助け、約6000人の命を救ったとされる。

「日本のシンドラー」とも呼ばれるその人道的功績はユダヤ人の間でも広く知られており、そのゆかりの地とされる岐阜県八百津町にある「杉原千畝記念館」を訪れるイスラエル人が増えているのだ。


初体験のほんのり甘い和風卵焼きを頬張って記念撮影(筆者撮影)

イスラエル人の観光客が杉原千畝記念館を訪れた際に、近隣の高山市や白川村を回るケースが多いことに目をつけた自治体担当者らが、これら観光地と杉原にゆかりのある場所をめぐる広域の観光ルートを「杉原千畝ルート」とネーミング。ルート沿いの市町村で連携して誘客プロモーションを世界に向け展開している。

日本酒の酒造で、試飲を楽しんでいたイスラエル人夫妻は「飛行機の長旅は大変だったけれど、それだけ来る価値があった。日本とイスラエルを結ぶ絆に触れたことも貴重な経験だったし、何より初めて味わうジャパニーズ・サケはほんのり甘くておいしいよ! 買って帰りたい」とほろ酔いの上機嫌で語った。

イスラエルからの観光客だけではない。幅広くユダヤ人に来てもらおうと、岐阜県はJTB中部と連携し、ユダヤ人が多く住むニューヨークやロサンゼルスに“命のビザ”「杉原千畝・ 訪日旅行インフォメーションセンター」を開設した。杉原千畝に関連する施設や周辺観光地に関する情報提供を積極的に行うほか、交通機関や宿泊先の手配も手掛けるという。昨年冬には、ユダヤ系の主要メディアの担当者を対象に、杉原千畝記念館や白川郷などを案内するツアーも組むなど、現地での周知にあらゆる手段を使って取り組んでいる。

また、2月にテルアビブで開催された国際観光展には「杉原千畝ルート」の魅力をPRするブースが構えられ、世界各国の展示が行われる中でとりわけ人気を博した。「命のビザ」を持ったユダヤ人難民が上陸した日本で唯一の港である「人道の港 敦賀」に関する映像の上映が行われると、涙を流して見入る参加者の姿もあったという。

現地でPRを行った敦賀市の職員は「単にパンフレットを配布するだけでは得られないプロモーション効果も得られた。会場にはイスラエル国立ホロコースト記念館のほか、リトアニア、ポーランドといった歴史的に関係の深い国からの関係者が出展しており、ブース同士での非常に有意義なやり取りも生まれた」と話す。現地での反応に確かな手応えを掴んだようだ。

慣れない戒律に戸惑うことも少なくない

しかし、一般の日本人にとっては、慣れないユダヤ教の戒律で戸惑うことも少なくない。イスラエルから団体で参加していた高齢のツアー客らは、サービスエリアで途中休憩の際に、頭に小さなキッパと呼ばれる帽子を乗せて静かにお祈りを捧げていた。

もの珍しげに彼らの様子を眺めていた、千葉県から旅行中だという20代のカップルは「びっくりしました。どこの宗教ですか?あまり見慣れない帽子を被っていたので……」と、驚きを隠さなかった。一口にユダヤ教徒といっても、黒い帽子と黒いスーツに身を包んだ戒律を厳格に守る超正統派から、宗教による日常生活の規制や制限を嫌う開放的な世俗派まで、その信仰の度合いはさまざまだ。最近では、東南アジアからの観光客を中心にイスラム教徒を日本で受け入れることも増え、ハラールなどの言葉も浸透して少しずつ国民の理解が深まるなか、日本でユダヤ教の戒律はまだ広くは知られていないのが現状だ。


イスラエルから来たユダヤ教徒たち。念願の日本旅行でバスの中は大盛り上がり。サービスエリアでバスを降りると静かに祈りを捧げていた(筆者撮影)

テルアビブを中心に多い世俗派のユダヤ人には、戒律で禁じられている豚肉を使った豚骨ラーメンが今人気を呼ぶなど、宗教が生活スタイルにほとんど影響しない宗派も少なくない。一方、戒律を厳しく重んじる敬虔なユダヤ教徒の場合、金曜の日没から土曜の安息日などは一切の労働が禁止されているため、迎え入れる側にも相応の知識がないと困惑する場面も出てくる。

たとえば、エレベーターのボタンを押すことを避けるケースもあり、ホテルのスタッフに開けてもらうなどの補助を求めることがあるという。また、料理に使われている食材でも、イスラム教における「ハラール」と同様に、「コーシャ」と呼ばれる認証があるため、知らずに提供して断られてしまう場合もあるそうだ。

理解を深めることが観光客の増加に繋がる

政府が「観光立国」を合言葉に、急速に外国人観光客の受け入れインフラを整備する一方で、直接触れ合うことになるのは迎え入れる飲食店や宿泊先など市井の人たちでもある。宗教や生活習慣の違いなどに対する理解を深め、居心地の良い日本を感じてもらうことが、口コミやリピートで訪れる観光客の増加に繋がるだろう。

ちなみに、杉原千畝の関係資料「杉原リスト」は、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の「世界の記憶」(世界記憶遺産)への登録を見送られる決定が下された。去年10月末の決定に、登録を信じてきた関係者の間には落胆が広がった。ただし、その人道的行為と功績の後世への記録、継承に深い意義があることは確かで、再び登録への再挑戦を望む声も出ているという。

記念館を訪れた60代のイスラエル人男性の言葉が印象的だった。「今回は夫婦で来たが、杉原氏の当時の功績を思うと涙が出る。この貴重な史実をもっと広く世界中に知ってもらいたいし、まずは日本に来たことがない自分の息子にも必ず訪れて日本とイスラエルの絆を感じてもらいたい。こうして一人の人間の温かさを知ることは、歴史書をただ読むよりもずっと心に深く残るのです」