一見、何の問題もなく幸せそうに見える仲良し夫婦。

けれども彼らの中には、さまざまな問題を抱えていることが多い。

モラハラ夫と離婚した神山由香里は、気がつけばいつの間にか自分が不倫の加害者側になっていた。

彼女が北岡樹と不倫をした経緯とは…?




神山由香里の告白


私も、気づけば36歳。世間から見れば「おばさん」と言われてもおかしくない年齢になってしまった。

私は横浜のそこそこ裕福な家庭に育ち、容姿にも恵まれ、何不自由ない暮らしをしてきた。ただ、厳格な父の言うことは昔から絶対で、男性には従わなければならないと脳内に刻まれていた。

それでも、周りの男性たちは常に優しく、私はそのことを自覚することはなかった。

そう、結婚をするまでは…。

元夫である林田洋介と出会ったのは、同じ輸入会社に勤めている頃だった。経理をしていた私は様々な部署との関わり合いがあり、その中で人を寄せ付けないオーラを放った、恐ろしく仕事のできる彼が何だか気になった。

他の男性と違って浮ついた感じもなく、人の目をまっすぐに見て話す。その力強い眼差しに、私は一瞬で心を奪われたのだ。

「林田さんって、何考えているかわからなくて怖いよね」

周りの経理の女の子達はそう言って、あまり彼に近づこうとしなかったので、自然と私が洋介と関わることが多かったのだ。

ある日仕事で遅くなった帰り道、洋介と一緒になった。いつもは無駄口を一切たたかないその男が、一体何を考えているのか興味があった私は、思い切って言ってみた。


由香里の言った言葉とは…?


馴れ初め


「お腹減りましたね。ご飯でも、どうですか?」




その言葉に彼は一瞬しかめっ面したように思ったが、あっさりと「いいですよ」と言って、さっとタクシーを拾い、『銀座 楼蘭』に連れて行ってくれた。

着いてからも自然にドアを開けてくれたり、気がつけばお会計を済ませてくれていたりと非常にスマートで、それは普段見ていた姿からは想像できなかったので驚いた。

しかも何より、一緒にいて楽しかったのだ。おしゃべりなわけではないが、言葉選びや話題のチョイスが絶妙で、気がつけば私は彼にのめり込んでいた。

そうして程なくして、私たちは付き合い、結婚をすることになった。

結婚したときは本当に嬉しかった。私と付き合ってから柔らかな雰囲気を醸し出すようになった洋介は、もともと歌舞伎役者のような整った顔立ちをしていたせいもあり、女性社員から憧れられるような存在になったのだ。

私はそんな夫を自慢に思っていたし、社内で「お似合いの夫婦だ」と言われる度に、こそばゆくも嬉しく感じていた。

しかし、このとき…“予兆”はすでにあったのだ。

私が他の男性社員と笑顔で話していると、洋介は明らかに不機嫌な様子を見せた。経理という仕事上、様々な部署の男性と話すのは仕方がないことだし、笑顔で接するのも社会人としての常識だ。

けれど彼はあざとくその現場を見つけては、家に帰ってチクチクと言うのだった。

「随分と楽しそうに仕事をするんだな。仕事場をホストクラブとでも間違えているのか?」

そこで私が反論すればよかったのだが、男性に対して従順でなくてはいけない、と無意識に思い込んでいた私は、なるべく彼を怒らせないようにと努めた。

そうして徐々に笑顔が少なく、明らかに男性に対して様子のおかしい私に、同僚達が心配してくれた。

「どうしたの?最近変だよ?何かあった?」

「ううん、大丈夫。ごめんね、心配かけて。仕事はちゃんとするから。」

そうしたやり取りを聞いていたのか、洋介の上司が彼にこう言った。

「なんか最近、お前の嫁さん元気ないって言われているぞ?彼女は皆のアイドルなんだから、元気づけてやれよ。」

プライドの高かった洋介は、上司にプライベートなことを言われたことが、心底恥ずかしかったようだ。その上、自分の妻が「皆のアイドル」と言われたことが、からかわれているようで相当頭に来たらしい。

その夜、暴力こそなかったものの、数々の暴言を浴びせられ、無理やり辞表を書かされた。そして私は翌日、それを提出し、引き継ぎもそこそこに会社を辞めてしまった。

そこからは地獄のような日々だった。私が生きているのは洋介のためだ、とでも言うように、全てを洋介に捧げる毎日だった。

少しでも気にくわないことがあると食事も与えられず、暴言を浴びせられる。そうして私も洋介も、徐々に壊れていった。

最終的には友人や両親とすら連絡を取らせてくれなくなり、異変に気がついた母がある日、様子を見に来てくれた。

昼間なのにカーテンを閉め切り、けれども物音のする我が家を見て、すぐにおかしいと気がついたようだった。

「どうしたの!?何があったの!」

玄関を開けた私を見た母の、最初の言葉だった。

母はすぐに私を実家へと連れて帰った。私を泣きながら見つめる母を見て初めて、自分の置かれた状況がおかしいことに気がつき、涙が止まらなくなっていた。


自分の状況に気がついた由香里は…?


樹との出会い


そこからは、両家の親も入れての話し合いとなった。洋介は離婚を嫌がっていたが、幸いにも義母が私のことをよく思っておらず、何とか離婚の方向で話がまとまった。

着の身着のままで出て来たので、何度か夫の留守中に家に帰らなければならなかった。その時に会ったのが、樹だ。

「神山さん…。何か、あった…?」




離婚が決まっていたとは言え、精神的に参っていた私は、樹から見ても分かるほどに憔悴していたようだ。

夫とは真逆に優しく接してくれる樹が、その時の私には、神様がくれたお守りのように感じてしまった。

結婚をしていたことは知っていたが、何となく、本人に直接は確かめなかった。

それに彼自身、私と同じように傷ついて疲れていて、どこかで助けを求めているようだった。そんな彼に自分を重ねてしまい、離れることができなくなった。

ー大丈夫、友人として会っているだけよ…。

初めは自分にそう言い聞かせていた。しかし、洋介との離婚が正式に決まった日、彼とのこれまでの思い出…良かったことも悪かったことも全て、走馬灯のように頭を駆け巡った。

そして、その心の隙間を埋めるように、樹と体を重ねてしまった。

洋介とのことは、離婚だけで終わらなかった。別れてもなお、洋介はストーカーのように私に付きまとった。時には実家にまで押しかけ、近所の人にもあることないことを言い回ったのだ。

私は警察に相談し、洋介に直接注意をしてもらった。ストーカー行為は収まったものの、近所の噂の的になってしまい、今度は父とうまくいかなくなった。そして、自立するためにも、家を出ることを決意した。

ちょうどその頃、知り合いの紹介で、小さな銀行の事務に就職が決まり、杉並区のアパートを借りる事ができた。

ーおめでとう、由香里!でも、林田さんが本当に諦めたか分からないから、気をつけて。何かあったらすぐに連絡して。

樹のそんな言葉が支えだった。しかし、それもいずれ手放さなくてはならない日が来る。

「由香里、ごめん。奥さんに、俺たちのことがバレたかもしれない。しばらく、会えなくなる。でも、もし何かあれば飛んでくるから」

幸いなことに、あれから洋介のストーカー行為はパタリと無くなった。プライドの高い洋介には、警察からの注意が効いたのだろう。

「うん、分かった」

樹にそう返事をした後、ふと我に返った。これまでは、自分がモラハラの被害者だった。それがいつの間にか、自分がよその夫と浮気をする加害者となっていたのだ。

ーそうだ…彼には奥さんがいるんだ。頼ってはいけなかったんだ…。

気がつけば、自分が傷つける立場になってしまっていたのだ。その事実が急にズシンと重くのし掛かる。その上、もし慰謝料なんて請求されたら、今の自分の状況では払えそうもない。

樹への思いが恋なのか、ただ傷を舐め合いたかっただけなのか分からない。けれども、いつまでも彼に頼っていてはいけないのだ。

ーなんてことをしてしまっていたんだろう…。

そして私は、樹との別れを決意したのだった。

…しかし時はすでに遅く、後日、樹の奥さんに呼び出されることとなった。

面会の日、想像していたよりも若くて綺麗な彼女を見て、自分でも驚くような感情に襲われた。

ー悔しい…

樹とは、きっぱり別れるつもりでいた。それなのに、若くて綺麗で仕事もあって樹もいて…。私が欲しいものを全て持っている彼女を目にした途端、嫉妬心が芽生えた。

そして樹自身、私を忘れきれていないと感じた。私を見る目に、少なからず熱を感じたのだ。

ーきっと、この夫婦は、いつか壊れる…

そう確信した私は、ただただ小さくなって謝った。少しでも同情を引くためだ。

人の感情というのは本当に恐ろしい。あんなに強く自分を責めたはずなのに、私は“嫉妬”という醜い感情をコントロールできなかった。

けれど、最後は彼らが選択することだ。私はただ目を潤ませて、二人の未来の行く末を静かに見届けることにしよう。

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いよいよ明日最終回、あゆみが出した結論とは…?