マイノリティ──。

「社会的少数派」の意。 「社会的弱者」として言い換えられることもある。

当連載では、自身もマイノリティの立場であるライター・おつねが、マイノリティを描く映画を通して、見解を語っていきます。

『ぼくを探しに』(2014年日本公開)

主人公は、幼いころに両親を亡くし、そのショックで言葉を話すことができないまま大人になったポール。 姉妹のおばに世界一のピアニストになるよう育てられ、友だちもいない孤独な日々を送っていた。

そんなある日、ポールは同じアパルトマンに住む謎めいた女性、マダム・プルーストに出会う。彼女が淹れたハーブティーは、失われた記憶を呼び覚ます不思議な力を持っていた。

無くしたはずの過去を取り戻しながら、彼の人生は少しずつ変化していく--。

いつも応募しているけど、なかなか当たらない試写会が当選したので観に行った本作。

苦手意識があったフランス映画を「あ、おもしろいかも」と思わせてくれるようになった。

まさに「THE フランス映画」って感じ

ポスターや予告からも分かるように、とにかくカラフルで音楽もとってもポップで、まさに「THE フランス映画」って感じの本作。

きっと、すごく重いテーマを、重すぎないように観客が観やすいようにするうえで必要な演出だったんだろう。

フランス映画特有の、ゆったりとした何が起こっているのかよく分からない時間が冒頭30分くらいあるけれど、そこさえ乗り超えたら、ちゃんと深くておもしろい映画だから安心してね(笑)。

記憶って、自分の都合の良いように改変されてしまうもの

本作のキーとなっているのは、記憶。

人間の記憶って、時間が経てば経つほど自分の都合が良いように改変されてしまうし、その時間のなかで他人からいろいろな意見を言われると、どんどんその意見に寄ったものになってしまう。

そんな、主人公・ポールのような経験は、大なり小なりよくあることだと思う。

自分では寸分の狂いなく、正しいと思って覚えているからこそ、そこに他人から口を出されると頭が混乱してしまうし、少し攻撃的にパニックになってしまう人もいる。

「昔はこの人に気持ち悪がられていたのにな」って考えてしまう

私は、小学生のとき、少しかわいいものが好きなインドア派の男の子ってだけで、周りから避けられていた。

ここ数年は、東京に出てきたからってこともあるかもしれないけれど、テレビ番組にいろいろなセクシャリティの人が出るようになったり、セクシャリティにフォーカスを当てた映画がヒットするようになったりして、とても生きていきやすくなったなって実感する。

でも同時に、「昔はこの人に気持ち悪がられていたのにな」なんて、どうしても考えてしまうことがある。

さっきも言ったけど、ポールのように、人間の記憶って自分の都合の良いように、また周りからの刷り込みで、すぐに改変されてしまう。

それは決して悪いことじゃないし、以前は否定的だったセクシャルマイノリティに対して、プラスに解釈してくれるようになったのであれば、これほどうれしいことはない。

「ゲイだから」を取り除いた自分を想像してみる

そんななかで、よく私が引っかかるのが「ゲイだから」って言葉。

「ゲイだからおしゃれだよね」

「ゲイだからみんなと感性が違うよね」

「ゲイだからおもしろいよね」

世間がイメージしているゲイは「明るい」「感性が豊か」「おもしろい」「おしゃれ」とかたくさんあって、そのどれもが良いイメージだし、たとえば私なんかは芸術学部ってこともあって、きっと世間の人が抱くゲイのイメージ通りなんだろうな。

だけど、いつも疑問に思ってしまうのが、「ゲイじゃなかったら私は魅力的な人間じゃないの?」ってことと、「世間のイメージから外れたゲイの人たちはどういう印象で見られるの?」ってこと。

ときどき、「セクシャルマイノリティ」という括りを外した自分を想像してみたら、すごく怖くなる。

いまいろいろな人が私に対して抱いてくれている魅力が半減したり、下手したらなくなってしまうのかな? なんてね。

「男の子だから」って言葉、昔から苦手だった

それと同時に、ひとつ言いたいのが「セクシャルマイノリティだから」なんてことはひとつもないんだよってこと。

テレビで活躍している人たちは、オカマさんだからおもしろいとかそんなことなくて、きっとその人自身に魅力が詰まっていて、たまたまオカマだったってだけのこと。ただそれだけ。

昔から苦手だった「男の子なんだから」「女の子なんだから」って言葉。

みんなも自分が「男の子だからかっこいいよね」とか「女の子だからかわいいよね」って言われていることを想像してみてほしい。

そして、もし誰かを褒めてあげる機会があったら、その人自身を褒めてあげてほしいな 。

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