巨人が20得点で歴史的勝利

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5回と6回に安打を集中させての大勝

 巨人は4月25日、群馬県立敷島公園野球場で行われた中日戦に、20-4で大勝した。NPB公式戦での20得点以上は77回目だが、戦力が均衡した現代のNPBでは極めて珍しい。

 4月25日の得点経過を見てみよう

中  日|000 110 002-4
巨  人|102 287 00X-20

 5回と6回に合計10安打を集中させ、15点を奪ったものだ。

 直近の20得点試合は2016年5月24日ヤフオクドームで行われたソフトバンク、オリックス戦。
オリックス |000 014 010-6
ソフトバンク|215 841 01X-22

 巨人にとって、20得点試合は1955年6月22日の広島戦(後楽園)以来、実に63年ぶりのことだった。2リーグ分裂前後のNPBは、球団間の戦力格差が大きく、投手の数も少なかったため、大差の試合も少なくなかった。巨人は創設時から圧倒的な戦力を保有していたので、ワンサイドゲームで勝利することも多かった。

巨人の20得点試合は通算10回目、過去9回のスコアは…

 巨人の20得点試合は通算10回目。過去9回のスコアを新しい順に紹介する。

1955年6月22日 後楽園球場
広  島|000 041 000-5
巨  人|200 706 73X-25

1954年5月12日 後楽園球場 
広  島|001 000 000-1
巨  人|228 026 10X-21

1954年4月10日 小倉豊楽園球場
巨  人|411 027 024-21
洋  松|000 500 010-6

1951年8月8日 小樽桜ヶ丘球場
広  島|000 101 011-4
巨  人|020 410 94X-20

1951年7月25日 大阪球場
巨  人|932 000 503-22
広  島|000 002 000-2

1951年5月11日 後楽園球場
国  鉄|000 000 002-2
巨  人|059 002 05X-21

1950年4月29日 水戸水府球場
中  日|031 000 101-6
巨  人|553 106 01X-21

1948年10月16日 名古屋大須球場
大  陽|202 00 0 001-5
巨  人|137 0122 10X-26

1946年8月31日 後楽園球場
巨  人|201 7311 002-26
中部日本|000 101 000-2

 9試合の中には、地方球場での試合が3つある。昔の地方球場はグラウンドが小さく、乱打戦になることが多かった。また、ナイターの場合、照明設備が薄暗く、安打が増えたとされる。

 今回の群馬県立敷島公園野球場は両翼99.1m、中堅122mの標準サイズ。打者有利とは言えないが、地方戦はいつもとは雰囲気が違う。そのことが影響しているのかもしれない。

NPB史上最多得点は何点?

 巨人の最多得点は1946、48年に記録した26点。これはNPB史上4位タイだ。

 NPB史上最多得点は、まだ戦前の1940年に記録された32点だった。

1940年4月6日 西宮球場
阪  急|401 226 584-32
南  海|000 002 000-2

 30点差勝利も史上最大得点差だ。

 歴史的な大勝によって、巨人のチーム打率は前日の.273から.282に跳ね上がった。セでは断トツの1位だ。一方で、中日のチーム防御率は3.82から4.62へ。前日までリーグ4位だったが、最下位に沈んだ。

 今季の巨人は、オフに村田修一を自由契約とし、阿部慎之助や長野久義らベテランをスタメンから外し、岡本和真、吉川尚輝など若手を抜擢しているが、これが功を奏して打線が活発になった。またこれまで「専守防衛」だった小林誠司も打棒が振るっている。1試合の打線爆発だけでは何とも言えないが、いい兆候であることは間違いないだろう。

 一方の中日は、リリーフの主力だった又吉克樹が6試合で防御率12.00と大不振。投手の人材不足もあって大量失点を喫した。今後は投手陣の立て直しが急務だろう。

 歴史的な大量得点が、巨人躍進の起爆剤になるか、注目したい。(広尾晃 / Koh Hiroo)